稽古をしていて思うことは、人に伝えること、教えることの難しさと面白さ。

人に伝えるためには四苦八苦してでも、何かしらのことばで表現しなければならない。
でもことばで伝えられることにはもちろん限界がある。

きのう春ちゃん(←若いけど合気道の大々先輩)にかかり稽古でキヨエさんの指導する声が道場中に響いていてすごいと思いました」と言われて赤面。
「ついつい熱が入って説明しすぎるので最近気をつけている。春ちゃんのように、ことばではなく身体や動きで伝えることが大事と思う」
と言ったら逆に春ちゃんは「私はキヨエさんを見ていて、もっとことばで説明しようと思いました」とのこと。ふーん、お互いに逆のことを志向してるんだ。

自分が出来ているかどうかは別として、組んだ相手に「こうしてみたら?」と言ったとたんにその人の技ががらりと変わることがあって、それは無上の喜びなのだが、同時に、相手に対して気づいた問題こそが実はその時の自分の問題だったりして、そのまま自分が相手に説明したことに「そうだったのか」と教えられるのだ。
この相乗効果がたぶん、内田先生がよく言われるところの、「合気道を人に教えると格段に上手くなる」ということなのかもしれない。

さて、
自分の道場では、組んだ相手に教えるというのとはまた訳が違う。
そして当然これが最も難しくておもしろい。

いつもあっという間に時間が経って、やってみたい、試してみたいと思っていることの半分も出来ないで終わることが多い。
あれもこれもと欲張るのは、教えられる側からするとお腹いっぱいかもしれないから、さっきの話じゃないけど気をつけないといけない。

全然動けなかった初心者の門人がふと動けたりする、これがうれしくないわけがない、おもしろくないわけがない、はっきり言ってはまる。
教えることは正直難しい。難しいからこそ面白い。あたりまえのことだけど、実感としてやっとわかるようになった。

清道館を立ち上げて2カ月が経った。
稽古の組み立ては毎回試行錯誤。
あれはあかんかったと反省する毎日だけど、身銭を切って私の稽古に来てくれる人が一人でもいる限りこの試行錯誤を続けていこう。
今の自分の中からその対価として差し出せるものはたかだか知れている。
自分がより高みを目指して稽古し続けること、稽古したすべてを差し出し続けること。
これしかない。
一人でも多くの門人が「合気道って面白い、合気道をやってよかった」と言ってくれることを目指して、小さなことから一歩ずつ(@西川きよし)。