月別アーカイブ: 2014年1月

お稽古追加のお知らせ 2/14(金)

2/14(金)15:00~  
此花スポーツセンター(西九条)

お稽古追加になりましたのでお知らせします。
井上

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審査のあとさき ささの葉合気会 中野論之

審査のあとさき
ささの葉合気会 中野論之

午前6時前、凱風館の前へ着く。
日の出を10分ほど過ぎており、東の空が白っぽく光る。もう中へ入ってよいものか、朝稽古に参加したことがないのでどうも勝手がわからない。誰かが出入りする気配もなく、少し離れた場所でしばらく待つことにする。あまり緊張は感じなかった。それでも、気分爽快にはほど遠い。合気道を始めて以来、これほど重い気分で道場へ来るのは初めてだ。
これから5級審査を受けることになる。ささの葉合気会の稽古に体験で参加したのが2013年3月の20日、入門は28日。今日が9月19日だから、ざっと半年で初審査の運びとなった。
8月の末からは普段の稽古のあとで審査に向けて自主稽古にも参加してきた。おかげでそれぞれの技の不確かな部分はじょじょに減っていった。とはいえ、「今回の5級審査ではみんな二教をやっている」「昨日は後ろ両手取りが出た」などと聞けば内心穏やかではいられない。それに本番では緊張のあまり頭が真っ白になることもありうるだろう。
審査に落ちたところで破門にされるわけではない、もっとしんどい局面だって今までの人生に何回もあったじゃないかと、そう自分に言い聞かせてみても大して効果はないようだった。不安なものは不安なのだ。当日までに出来ることといえばなるべく稽古をすることぐらいしか思いつかなかった(もちろん一人稽古を含めての話)。
結局、いくら追加の自主稽古をしても「これでもう大丈夫」という境地に達しないまま、とうとう今日を迎えてしまった。ともかく審査に臨むときは、速く技をかけようと急ぐよりも落ち着いて丁寧に動こう、とだけ改めて思う。——誰か来たようだ。
自転車に乗ってきた米澤和代さんから「もう開いてると思いますよ」と声をかけられ、凱風館の玄関へ入る。靴を脱いでいると、玄関口の引き戸が開いて篠原拓嗣先生と御令嬢の鈴音ちゃんが現れた。17年前、中学3年生の頃の私が、よほどの事情がなければこの時間は常に寝ていたのをふと思い出す(午前3時ぐらいまでラジオを聴くことはあった)。
更衣室で着替え、道場へ入った。入り口のそばで井上清恵先生と会う。とりあえず掃除を済ませる。
道場後方(南側。入り口に近い側)の左すみで身体をほぐしているとだんだん人が入ってくる。きょう審査ですね、頑張って下さい、と顔見知りの人たちから言われる。私と一緒に本日の5級審査を受ける南原淳さんも来た。実は朝稽古の始まる前に南原さんと私とで技の確認をしましょう、という約束をしていたけれど、すでに道場内の門人のほとんどが後方に並んで座っている。人数は2列分と少し余りが出るていど。木曜の朝は人が少ないと聞いていたとおり、前回の金曜の夜稽古(2013年6月=拙文「60個目のハンコ」を参照)と較べれば多くはない。しかし私にとってはささの葉合気会でのお稽古拡大版の人数に匹敵するようなもので、「それでも多いのでは」との印象を受けた。そのせいもあって、袴を穿いた女性が2人だけ技の手順を確かめていたものの、内田樹先生を静かに待つ状況に何となく気圧されて確認作業はやらずじまいとなってしまった。気にせずやればよかったのかもしれないが……。
また雰囲気に吞まれているぞ、と感じる。よくない兆候だ。前回の凱風館の夜稽古に参加したときも同じ感覚を味わった。そうなるとどうしても身体が硬くなる。このまま審査に臨むのは何とか避けたいところ。が、焦っても状況が改善されるとも思えないのでひとまず放置しておいた。
内田先生が来られる。準備体操と阿吽の呼吸、呼吸合わせと呼吸操練を行なう。片手取りの転換の受けは篠原先生が呼ばれた。転換6種をやってみせたあと、内田先生が急に「輪ゴムある?」と永山春菜さんに声をかけた。今日の稽古は両手の親指と小指に輪ゴムを掛けてするように、とのこと。これは9月14日に凱風館で開かれた韓氏意拳講習会で、講師の守伸二郎先生が紹介した方法である。親指と小指の間に引っかけた輪ゴムの張りを失わないように動くというものだ。
内田先生の説明が終わる。永山さんから輪ゴムをいただき、米澤さんと組んで片手取りの転換をする。そのあとは天地投げに始まり、入り身投げ・四方投げと両手取りの技が続いた。何回も稽古してきて手順を覚えている技ばかりのせいか、はたまた輪ゴムのおかげなのか、いつの間にか道場の雰囲気に自分がもう吞まれていないことに気づく。もっとも取り受けの交代のたびに輪ゴムを付けたり外したりする余裕が私にはないので、途中からゴムは手首に はめっぱなしにしておいた。
両手取りの一教を内田先生が解説される。足を踏み替えて半身を変えつつ、受けに摑ませた手を斜め後方へ引いてから返す際、二次元的にではなく三次元的に、動きを止めずに手を返していく、という説明を聞く。近くの人と組んで一通り一教をする。「はい、組みを変えて」と内田先生の声が飛ぶ。別の人と組もうとしたら運悪くあぶれてしまった。前回ならここで大人しく引っ込むところだが、今日はぱっと目に留まった袴姿の2人組のそばへ素早く寄って「混ぜてください」とお願いした。誰かと見れば清恵先生と鈴音ちゃんだ。お二人の御厚意で、私だけ余計に取りをさせてもらう。もう本当に審査のぎりぎり直前なのに それでも清恵先生が「ここで一歩、足を出して。そう」とアドバイスしてくれる。
いよいよ審査が始まる。内田先生以外の門人の全員が、道場の後方へいったん下がり、並んで正座する。人数は合計で2列分と少々。齋藤剛さんと南原さんと私の名前が呼ばれた。前へ出て内田先生と向かい合って礼。それから審査の受けとして加わる熊切秀昭さんと我々の4名でお互いに礼をした。輪ゴムは両手首に はめたまま。
最初は齋藤さん、次に南原さんの順で審査が行なわれていく。受けを取るときはとにかく流れを遮らないよう気をつけた。特に、取り手を間違えては申し訳ない。
取りの人が緊張しているのを感じながら受けを取る。いくら緊張していても滞りなく進めばよい。しかしこちらが受けのとき、私に両手首を摑まれたまま取りが固まる場面もあった。それは両手取りの技で、つい先ほどまで実際に身体を動かして行なっていたはずのものだ。と、そうは言っても とっさにどのような動きだったか分からなくなるのは、審査の場面で決して珍しいことではないだろう。自主稽古で、審査に準じた模擬形式で技をかけていたときに私も同じ体験をした。他人事ではない。それはともかく、このような場面で口を出して手助けするわけにもいかないので、いったん離れてから再び取りの手首を摑み直すことしか私にはできなかった。
2人の審査が終了した。少し、息が荒くなってきている。疲れ果ててはまずいので、その前に自分の番が来て助かった。「中野さん」と内田先生に名前を呼ばれて私の審査が始まる。まずは天地投げから。そして入り身投げと小手返し、四方投げの表・裏と両手取りの技が続く。緊張のあまり身体が硬い、という感じはない。うっかりするとつい動きが速く雑になりそうな気がして、ややゆっくり技をかけようと心がける。居並ぶ門人から見て最前列の左端では永山さんが立ったままカメラを回し続けている。審査のときはギャラリーの視線がかなり気になるのでは、と予測していたけれど、まったくそんなことはない。彼ら・彼女らの存在を認識はするが意識はしない、そう表現すれば私の感覚に最も近いと思える。——両手取りの技が続く。「一教」と内田先生。一瞬、さっきの清恵先生の言葉が脳裏を掠め、熊切さんの手を返すときに足を出す。一教の裏を齋藤さんに、二教の裏を南原さんにかける。8月末の時点では二教の動きがよくわからず、9月に入ってから何度も繰り返すうちにようやく手順を覚え込んだ(ただし後ろ両手取りや諸手取りの二教はそれなりに稽古をしたものの未だにあやふや)。自主稽古に参加できていなければ ここで立ち尽くして流れが止まっていたかもしれない。次いで正面打ち一教の表と裏、入り身投げ・小手返し・内回転投げを行なう。さらに相半身片手取りの入り身投げと小手返し、四方投げの表、一教の表と続く。最後は座技呼吸法を熊切さんに受けてもらった。
審査を終えて門人の列の右端へと戻る。ほどなく動悸が激しくなり、それが鎮まると一気に汗が噴き出してきた。激しく動いたつもりはないのに、知らず知らず身体にかなりの負担をかけていたらしい。落ち着いてくるとさすがに疲れを感じる。私たちのあとにも他の人の審査が続いており、せっかくだからよく見ておこうとはするけれど、何だか気が抜けてしまい、もうぼんやりと眺めるだけで精一杯だった。
本日の審査がすべて済み、それから少しだけ稽古をして終了した。そして内田先生から審査の結果が伝えられる。齋藤さん・南原さん・私には3人とも4級が授与された。
朝稽古のあと、「おかげさまで4級をもらえました」と顔見知りの人たちに挨拶をしてまわる。相手から祝福の言葉をかけていただいた——おめでとう、よかったね、素敵でしたよ、と。
一緒に稽古をしている人たちに、少しは何かを返せた気がした。

60個目のハンコ ささの葉合気会 中野論之

60個目のハンコ
ささの葉合気会 中野論之

金曜日、凱風館の夜稽古へ参加する。
道着に着替えて道場へ入った。稽古が始まるまでは残り15分ほど。予想よりまばらな印象を受ける。道場の入り口から見て右手奥に木刀の素振りをしている人が2人。左手奥では、昼間のセッション(安田登さんと一ノ矢さん・内田樹先生の鼎談)で取り上げられた相撲の身体運用を試そうと四つに組む人もいる。右手前で、本日の5級審査を受けるマーガレット(Margaret Buenconsejo)さんが次々と技をかけていく。最後の確認をしているのだろう。
そのうちに内田先生がお見えになる。いつの間にかずいぶん人数も増えており、見学者も何名かいる。ささの葉合気会での稽古と同じく、黙想してから大先生の写真に礼。続いて準備体操となるや、とたんに道場の後ろで正座していた門人がばらばらっと前へ出た。体操を開始する。この時点で、「周囲の人との間隔が狭い」とすでに感じる。少し窮屈な思いをしつつ、体操・阿吽の呼吸、呼吸合わせと呼吸操練を行なっていく。
四方を斬って、「はい」と内田先生の声がかかると全員が道場の後ろへ下がる。湯浅和海先生が呼ばれ、前へ出て内田先生の受けを取った。片手取りの転換6種。私は隣の篠原拓嗣先生と組み、再び全員が道場内へ散らばって動き始めた。技を受ける最中、他の人と何度もぶつかりそうになる(篠原先生によれば土曜日の初心者稽古はさらに人数が多いという)。交代して私が取り。周囲に気をつけながら動く。いつもより身体が硬い気がする。
続いて別の技へ移る。事前に入手しておいた情報のとおり、足運びなどの基本的な細かい手順を内田先生は解説なさらない。お話しになるのは「動きを止めないで、相手の身体を伸ばして」などと肝心なことばかり。あっという間に説明が終わり、私の理解が追いつく前にその技をするはめになる。そして次の技へと変わる。ぱぱっと説明が済む。すぐに自分の取りの番が回ってくる。何度か稽古した技であってもぎこちない動きになるくらいだから、初めての動きではどうしても まごついてしまった。
汗が流れる。
——ああ、雰囲気に吞まれているな……。
何度となく、はっきりとそう思った。だから身体も緊張して硬くなりがちなのだろうし、凱風館での稽古へ初めて加わる身としては場の雰囲気に圧倒されても仕方のないことではあるけれど、けっこう辛くて しんどさもある。何より稽古の流れが速いのでついていくのが大変だ。かなり冷や汗もかいたはず。
ふいに内田先生の声が通る。
「次の技が一周したら審査やるから」
審査が始まる段になると門人が道場の後方(入り口の側)へ3列に並んで正座した。前では内田先生とマーガレットさんだけが正座で向かい合っている。「受けの人は?」と内田先生が言われ、3人の女性が前へ出ていく。そのなかで袴を穿いているのは1人だけ。
審査が始まる。しん、とする道場。「天地投げ」「内回転投げ」と技の名称を言う内田先生。迷いなく次々と技をかけていくマーガレットさん。なお、最初に「両手取りの◯◯」と指示されたら以降の技も両手取りで行ない、「正面打ちの△△」などと新たな指示が出ればそこで初めて取り手を変える。最後は座技呼吸法だ。審査の様子を列の左端から凝視する私のすぐ前では、永山春菜さんがカメラで録画し続けている。
あっさりと審査が終わり、採点票らしきものを内田先生が永山さんへ渡した。これで稽古も終わりかと思いきや、またも湯浅先生が呼ばれた。今度は一教をするという。たまたま近くにいた井上清恵先生と、次に組みを替えて竹下伸代さんと一教を行なった。お二人から丁寧に教えていただく。「けっこう辛くて しんどさもある」状況には違いないが、やはり顔見知りのかたが相手だと少しはほっとする。荒れ狂う嵐の海へ投げ出されて もがくうち、運良く浮き袋へ手が届いたときの気持ちに近いかもしれない。
座技・呼吸合わせ・連想行のあと、内田先生より審査の結果発表。マーガレットさんへ4級が授与され、拍手が起こった。
稽古が終わり、篠原先生と一緒に内田先生へご挨拶をする。「ふだんの稽古の何十倍キビシいんやろ、って思いました」と申し上げたら内田先生に大笑いされた。
凱風館の稽古でも、出席すればもちろん会員証にハンコを押してもらえる。そういえば内田先生のハンコって、どんなものなんだろうか。——2013年6月14日、もうすぐ合気道を始めて3カ月。60個目のマス目には、落書き風の猫の顔が押されていた。

辞書をめぐるはなし──映画『舟を編む』雑感── 佐藤龍彦

辞書をめぐるはなし──映画『舟を編む』雑感──

いくら辞書を買えども、次から次へと欲しいものが出てきます。世の中には「広く浅く」から「狭く深く」まで、初心者向けから玄人向けまで、軽いものから重いものまで、数多の辞書が刊行されています。

私のような産業分野の翻訳を仕事にしている人達の間で、「海野さんの辞書(うんのさんのじしょ)」と呼ばれている辞書があります。正式なタイトルは『ビジネス/技術 実用英語大辞典』。編纂者である海野さんご夫妻自身が翻訳者です。ご両人が既存の辞書を使用されてきた経験から独自の視点で辞書を作ろうと試み、世に出されたのだそうです。たった2人で完成させた辞書。現在、第5版が出ています。

「海野さんの辞書」を含め、私は一日に何百回と辞書を引きます(多い方ではないので自慢ではありません)。一度に二十冊近い辞書に当たることもあります(これも多い方ではないので自慢ではありません)。ひとつの語に対し複数の辞書の記述を読み、さらにインターネットで実際の使用例や使用頻度を確認します(Google さんありがとう)。初めて出会う語はもちろん、既に知っている言葉に対しても、ちょっとでも悩んだら同じことをします(「知ってるつもり」だったことはしょっちゅうのこと)。

これらをすべてパソコン上で行います。紙の辞書にはできない注文です。全ての辞書は小さな小さなN極とS極の列になってハードディスクに収まっています。どれだけ辞書を入れても重くはなりません。そしてわずかなキー操作で瞬時に全ての辞書を引けるようにしています。なんといいますか、味気ないですよ。でも、たとえば明日東京で人と待ち合わせしているときに大阪から歩いて行くのが現実的でないように、私にとって紙の辞書を引くのは現実的ではないんです。ときおり辞書を「粗末に」しているような気分になりますが。

一方で、私自身も小さな辞書を作り、日々面倒をみています。その日出会った言葉を採り集め、整理する作業です。すでに記録している言葉にも、新しい使い方を書き込んだり、「これ間違ってるよ……」と冷や汗をかきながら修正したり。結構手間です。でも、楽しいんです。

先日『舟を編む』を観ました。見出し語24万語の大型辞書「大渡海」の編纂をめぐるおはなしです。コンセプトは「今を生きる辞書」。この映画には世間で使われる言葉を「採取」する場面がたびたび出てきます。「大渡海」監修者の松本先生は、若者の言葉使いにも決して否定的な態度を取らない。「私はそういう言い方はしませんが」と前置きしつつも、実際に使われているのだからと辞書に採り入れていく。あるがままを受け入れる。変化する言葉への謙虚な姿勢。議論を巻き起こす変化もあるはずですが、それらも仲間だといったん認めるのが大人の作法なのでしょう。

「大渡海」編纂の過程でPHSが登場し、ブラウン管モニタとデスクトップパソコンという組み合わせがノートパソコンに変わり、インターネットが普及する。世紀が変わり、ファッションも変わり、白地だった「大渡海」の張り紙は日に焼け、主人公の馬締(まじめ)は下宿先の大家の孫、香具矢と結婚する。世の中も言葉も変遷しますが、人も変わっていきます。余談ですが、恋文のくだりは特に気に入っています。

そして「大渡海」の完成を見ることなく、松本先生はこの世を去る。自分が生きている間にプロジェクトが終わらないかもしれないなんて、そんな「悠長な」仕事が今日どのくらいあるのでしょうか。

とりまく世界に対する当座の落としどころを形に表し、移ろいゆく現実との隔たりを再び縮めてゆく。私が『舟を編む』から切り取った相似形はこんなところです。

馬締君には深く共感しました。ちょっとうらやましいです。

清道館門人 佐藤龍彦

「木野」について 井上英作

前回同様、文芸春秋に掲載されている村上春樹の短編について、書くことにする。気付かなかったのだが、この企画には「女のいない男たち」という副題がついていた。本作は「ドライブ マイ カー」、「イエスタディ」に続く3作目となる。

 本作の題名は主人公の名前のことである。木野は、妻の浮気をきっかけにサラリーマンを辞め、バー「木野」を始める。簡単に言えばそれだけの話である(村上春樹の作品は、あらすじだけを書けばこのようにとりとめのない話が多い)。が、本作においても過去の作品から一貫してひとつのことが描かれている。それは、主人公はいつも女の人から逃げられる、あるいは女の人がいなくなるという事実である。

 これまでの村上春樹の作品を振り返ってみた場合、「羊をめぐる冒険」では、主人公の妻は、最後に「あなたのこと今でも好きよ。でも、きっとそういう問題でもないのね。」と言って主人公の元を離れる。また、「ノルウェイの森」では、恋人の直子は死んでしまう。
 このように村上春樹の作品において男と女は決して交わらない。描き方は違うが、このことは、「村木」と「名美」を描き続ける、石井隆の世界観にも通じる。では、村上春樹が繰り返し、このことを描き続けるのはなぜだろうか?

 僕は、前回の「イエスタディ」の感想文の中で「村上春樹の作品は、「他者」とどのように関わっていくか」を描いているというふうに書いた。その「他者」の中でも最たるものの一つは、僕は「女」ではないかと思っている。つい最近まで、「男」と「女」というのは単に種類の違うものだと思ってきたが、実は「女」というのはまったく別の次元の、よくわからない「他者」ではないだろうかと思っている。かつてジャック・ラカンは「女は存在しない」といった。中沢新一によるとこのことは、「不確個な多」の象徴らしい(余計に分からなくなってきた)。もし、村上春樹が「「他者」とどのように関わっていくか」について描いているとすれば、「女」と上手く折り合いをつけられないでいるのも納得がいく。

 本作の中で木野は、かつての妻との会話を回想し、自分が傷つくべきときに「十分」に傷つかなかったことに気付く。「他者」=「世界」と関わっていくということは、もしかしたら、傷を伴う作業なのかも知れない。しかし、私たちはその痛みを通じて、初めて「私」という「他者」に出会っていくのかもしれない。