2014年が始まった

「あけましておめでとうございます」

新年2014年のスタート。
12/26に稽古納めと納会を終えてから、ばたばたと年末年始が過ぎ去った。
気がつけば正月4日目、明日は清道館稽古初め。

昨年末12/24のクリスマス・イブに凱風館寺子屋ゼミで発表した。テーマは『「学ぶこと」と「教えること」』。
清道館を立ち上げて9カ月経ったこのタイミングで「学び」と「教え」について考えたことで、いくつかの、「あたりまえ」ではあるが実感として忘れかけていたことを、思い出させてもらうことになった。

一つには、大きな山や壁を乗り越えるような、いわゆる「負荷」が、人間には時折必要である、ということ。
内田先生は毎年6月、お能の発表会の舞台に立たれる。内田先生をはじめ能を習う人たち、つまり素人のみなさんが、プロの能楽師をバック演奏に従えて舞台に立つ。、稽古ではお能のお師匠さまに激しく叱られて、「高いお金払って、なんでこんな辛いことしてるんだろう」と毎回思いながら、これほど緊張することはないというほどに緊張して舞台に立ち、無事にやり終えると、「もう何も怖くなくなる」、と内田先生は仰る。この辛い年に一度の「負荷」が、先生にとっては不可欠なのだそうだ。

内田先生にとっての「能の舞台」は、私にとってはこの「寺子屋ゼミの発表」なのだと思う。
自分にはハードルが高く、途中辛くなり、もう来年はゼミ参加を辞めようと、なんども思った。
が、やり終えてみると、内容の不出来や質の低さはさておき、次の日の朝の、さっと目の前が晴れたような感じ、達成感と言ってしまえばそれまでだが、昇段審査などで味わってきたそれとも少し違う、ああ今までしんどいと思ったことってそう大したことでもないやという・・・
つまり、人にはそういう「負荷」のようなものが時々必要なのだ。たぶん。

もう一つには、この清道館という私が立ち上げた場所、私が主催し、何かを伝え「教え」ていかないといけない場所で、私は何をどう教え伝えていけるかという、立ち会げ以来9カ月間ずっと直面し続けた問いに、漠然とではあるが方向性が見えたことだ。
「学び」つつ「教え」ていく、「教えることで」学び、「学ぶこと」が教えになっていくための構図のようなもの、自分は何をしていくべきか、というメタな課題が、この寺子屋の発表を通して、おぼろげにではあるが、ある形を持って現れた気がする。
具体的にどう稽古するか、ということではない。実際の稽古においては、その結果として、自然と形となって現われる、そういうものだと信じたい。

これだというような「正解」ではもちろんない。そんな万能の「解」は存在しない。試行錯誤を繰り返すのは以前と変わらないだろう。
「わかった!」と思って膝をうち、後日「全然違った!」と赤面する、これを繰り返すことの教育的効果について、内田先生が私の発表の後に語られた。わたしの「おぼろげだけど、わかった!」は「勘違い」かもしれないど始めてみようと思う。

道場も、実際に立ちあげ、扉を開いてみると、想像していたのとは全然違う世界があった。
合気道も、そうだった。寺子屋の発表もそう。
なんでもやってみるものである。悪い頭で想像しているだけではダメなのだ。
動いてみる、やってみる、身体を通して(能も身体の一部である)みる、息を切らし這うように壁を登ってみる、その先にしか新しい地平は見えてこないのだ。

2014年の年頭にひとこと、

「みなさんいつもありがとうございます
今年もどうぞよろしくお願いします」

たくさんの人たちの支えがあって、なんとかやっていける。
気が付けば、そういう誠意ある、信頼できる人たちが周りにいる。
ありがたいことである。
道場を立ち上げてみて身にしみてわかったこと、歳をとってよかったことの一番はこれだ。

どれも頭では分かっているつもりのことなのに、感覚を通して理解するのにずいぶん時間がかかってしまった。
「地べたを這う方法」と橋本治が言ったけど、私はそれしかできない。
今年もまたそうやって「地べたを這い」ながらいこうと思う。
力まず焦らず、一歩ずつ。

2014/1/4