「イエスタデイ」 井上英作

「イエスタデイ」について

「イエスタデイ」といってもビートルズのあの名曲のことではなく、文芸春秋新年特別号に掲載されている、村上春樹の短編小説の題名である。主人公谷村の友だち木樽は、東京の出身であるにも関わらず、流暢な関西弁を話し、「イエスタデイ」を関西弁で歌う。谷村は神戸出身で、大学進学のため上京し、18年間の人生をリセットするために関西弁を使用することをやめてしまう。一方、木樽は阪神タイガースの熱狂的なファンであることだけを理由に関西弁を習得する。
 世界各国で作品が翻訳されている村上春樹が、どうしてこのタイミングで、日本語の方言、しかも自身の母語(という表現が正しいかどうかはよくわからないが)である関西弁による小説を書いたのか、僕は大変興味を抱いた。
 僕は、生まれも育ちも関西で、しかも、どこにいっても関西弁しかしゃべれない、所謂、関西人である。時々、東京にいる間、奇妙な東京弁を話す関西人がいるが、僕にはどうしてもそれができない。以前、僕は仕事で北陸を担当していたことがある。お客さんと商談するとき、最初はなるべく標準語で話そうと試みるが、商談が佳境に入ってくると決まって関西弁で話をしていた。もちろん、関西弁の方が慣れているということもあるが、何より標準語で話してしまうと、話している内容の大事な要素が欠けてしまうような気がしたからだ。
 僕は、村上春樹の作品は、「他者」とどのように関わっていくかについて書かれているものだと理解している。村上春樹にとっての「他者」とは「世界」そのもので、そのよく分からない「世界」と通じるためには、どうしても回路が必要となり、そのことを執拗に、真摯に村上春樹は、そのときの年齢に応じて書き続けてきたように思う。つまり、村上春樹が世界性を獲得できたのは、人間にとってのこの根源的な問いを発し続けてことによるものだということである。
そして、その結果、たどり着いたのが「他者」とは「私」そのものであるという答えだった。そのことは、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読めば明らかである。
今回の「イエスタデイ」で、村上春樹が関西弁に注目したのは、「私」という「他者」に出会ったしまった結果だろうと僕は思っている。「世界」と向き合ってきた先に、見えてきたのが、実は「私」だったいう堂々巡りである。しかし、私たちは、このよく分からない堂々巡りの輪のような中に、ぱっかり浮かんでいるのではないのだろうか?
 
「昨日は、あしたのおとといで、おとといのあしたや。それはまぁ、しゃあないなあ」

この小説は、最後にこう言って終わる。