60個目のハンコ ささの葉合気会 中野論之

60個目のハンコ
ささの葉合気会 中野論之

金曜日、凱風館の夜稽古へ参加する。
道着に着替えて道場へ入った。稽古が始まるまでは残り15分ほど。予想よりまばらな印象を受ける。道場の入り口から見て右手奥に木刀の素振りをしている人が2人。左手奥では、昼間のセッション(安田登さんと一ノ矢さん・内田樹先生の鼎談)で取り上げられた相撲の身体運用を試そうと四つに組む人もいる。右手前で、本日の5級審査を受けるマーガレット(Margaret Buenconsejo)さんが次々と技をかけていく。最後の確認をしているのだろう。
そのうちに内田先生がお見えになる。いつの間にかずいぶん人数も増えており、見学者も何名かいる。ささの葉合気会での稽古と同じく、黙想してから大先生の写真に礼。続いて準備体操となるや、とたんに道場の後ろで正座していた門人がばらばらっと前へ出た。体操を開始する。この時点で、「周囲の人との間隔が狭い」とすでに感じる。少し窮屈な思いをしつつ、体操・阿吽の呼吸、呼吸合わせと呼吸操練を行なっていく。
四方を斬って、「はい」と内田先生の声がかかると全員が道場の後ろへ下がる。湯浅和海先生が呼ばれ、前へ出て内田先生の受けを取った。片手取りの転換6種。私は隣の篠原拓嗣先生と組み、再び全員が道場内へ散らばって動き始めた。技を受ける最中、他の人と何度もぶつかりそうになる(篠原先生によれば土曜日の初心者稽古はさらに人数が多いという)。交代して私が取り。周囲に気をつけながら動く。いつもより身体が硬い気がする。
続いて別の技へ移る。事前に入手しておいた情報のとおり、足運びなどの基本的な細かい手順を内田先生は解説なさらない。お話しになるのは「動きを止めないで、相手の身体を伸ばして」などと肝心なことばかり。あっという間に説明が終わり、私の理解が追いつく前にその技をするはめになる。そして次の技へと変わる。ぱぱっと説明が済む。すぐに自分の取りの番が回ってくる。何度か稽古した技であってもぎこちない動きになるくらいだから、初めての動きではどうしても まごついてしまった。
汗が流れる。
——ああ、雰囲気に吞まれているな……。
何度となく、はっきりとそう思った。だから身体も緊張して硬くなりがちなのだろうし、凱風館での稽古へ初めて加わる身としては場の雰囲気に圧倒されても仕方のないことではあるけれど、けっこう辛くて しんどさもある。何より稽古の流れが速いのでついていくのが大変だ。かなり冷や汗もかいたはず。
ふいに内田先生の声が通る。
「次の技が一周したら審査やるから」
審査が始まる段になると門人が道場の後方(入り口の側)へ3列に並んで正座した。前では内田先生とマーガレットさんだけが正座で向かい合っている。「受けの人は?」と内田先生が言われ、3人の女性が前へ出ていく。そのなかで袴を穿いているのは1人だけ。
審査が始まる。しん、とする道場。「天地投げ」「内回転投げ」と技の名称を言う内田先生。迷いなく次々と技をかけていくマーガレットさん。なお、最初に「両手取りの◯◯」と指示されたら以降の技も両手取りで行ない、「正面打ちの△△」などと新たな指示が出ればそこで初めて取り手を変える。最後は座技呼吸法だ。審査の様子を列の左端から凝視する私のすぐ前では、永山春菜さんがカメラで録画し続けている。
あっさりと審査が終わり、採点票らしきものを内田先生が永山さんへ渡した。これで稽古も終わりかと思いきや、またも湯浅先生が呼ばれた。今度は一教をするという。たまたま近くにいた井上清恵先生と、次に組みを替えて竹下伸代さんと一教を行なった。お二人から丁寧に教えていただく。「けっこう辛くて しんどさもある」状況には違いないが、やはり顔見知りのかたが相手だと少しはほっとする。荒れ狂う嵐の海へ投げ出されて もがくうち、運良く浮き袋へ手が届いたときの気持ちに近いかもしれない。
座技・呼吸合わせ・連想行のあと、内田先生より審査の結果発表。マーガレットさんへ4級が授与され、拍手が起こった。
稽古が終わり、篠原先生と一緒に内田先生へご挨拶をする。「ふだんの稽古の何十倍キビシいんやろ、って思いました」と申し上げたら内田先生に大笑いされた。
凱風館の稽古でも、出席すればもちろん会員証にハンコを押してもらえる。そういえば内田先生のハンコって、どんなものなんだろうか。——2013年6月14日、もうすぐ合気道を始めて3カ月。60個目のマス目には、落書き風の猫の顔が押されていた。