「独立器官」  井上英作

「独立器官」

文芸春秋に掲載されている村上春樹の「女のいない男たち」シリーズ第4作目である。勝手に単発で終わると思っていたので、ファンとしては嬉しい限りである。

 主人公の渡会は、52才の美容整形外科医で、特に何の不自由もない生活を送っていた。彼は、結婚をしたことがないが、複数のガールフレンドと関係を持つということを繰り返していた。そんな彼がある既婚の女性と知り合い恋に落ちる。その結果、渡会は死んでしまう。簡単にあらすじだけを書くと、何だか取りとめのない恋愛小説に見えるが、村上春樹が書く以上、そんな単純な話ではない。

まず、第一に村上春樹は、本作で根源的な問いを発している。その問いとは、「私とはいったい何なのか?」である。僕は、これを読んだ瞬間に、ぐっと息を飲んでしまった。なぜなら、村上春樹の作品で、これほどまでに直接的な表現に、僕は今まで出会ったことがないからだ。

渡会は、おそらく初めて(そんなことはどこにも書いていないが)女性のことを好きになってしまう。その結果、「私とはいったい何なのか?」という問いにたどり着く。このことは、この短編のシリーズに通底しているテーマで、女性という他者と出会うことによって初めて、私という他者と出会ったことを意味している。ここまでなら、特に驚くべきことでもないが、その結果、主人公が死んでしまうというところが、この作品が特異なところである。しかも、主人公は、何も食べずに死んでいくのである。むしろ、消えていくという表現の方が正しいのかもしれない。

「私」という他者に出会った結果、自分が消えてなくなるというのは、一体どういうことなのか?それは、「私」は存在しないということを意味しているのではないだろうかと僕は思う。何だか禅問答みたいな話になってきたが、「世界」は、「私」と「他者」という対立する二つの要素でできているのではなく、「私」と「他者」が混然一体となった何か大きな循環するエネルギーの中で、ほんの一瞬ぽっかり浮かんでは消えていく、そんな瞬間が「私」なのではないのだろうか?

この作品の中で、主人公は、ある男と友だちになる。その男の名前は、「谷村」という。
そう、前々作の「イエスタディ」の主人公である。このように、各作品が独立した物語だと思っていたところへ、それぞれの物語が交錯し始め、全体性を見せ始める。そのこと自身が、循環する大きなエネルギーのようなものを象徴している。

村上春樹は、そんな壮大な根源的なテーマを簡単な物語に還元して、私たちにさりげなく提示してみせるのである。

村上春樹は、稀有な作家だ。