「安定打坐」と視覚の関係について    多田塾甲南合気会 松原弘和

「安定打坐」と視覚の関係について

                  多田塾甲南合気会 松原弘和

私は強度の近視である。これを自然な方法で改善したいと思い、アレクサンダー・テクニ―クを視覚面に応用した『アイ・ボディ』(ピーター・グルンワルド著)を読んでみた。この本の主旨は目の奥にある網膜、または後頭部を意識してパノラマのようにものをみる(意識的奥行き知覚)ことで、脳と体全体の機能がより自由にはたらくというものである。確かにやってみると、眼球の力が抜けて全体を俯瞰するように画像が広がり、目にも心にも余裕が生じるように感じる。この「パノラマ視」というものの見方をすることで、如何に自分が目に力を込めて緊張しているか、一点を凝視する傾向があるか、落差を通して実感した。

甲南合気会で初段をいただいてなお、上肢に力が入っているとたびたび指摘される。この無意識的な力みも、目の使い方と関係しているのではないか、というのが『アイ・ボディ』を読んで私が立てた仮説だ。

以前韓氏意拳の講習会で、軽く押さえられた両腕を持ちあげるワークがあった。守先生は受講者の両目の端にそれぞれ人差し指を立てて、ぼんやり視野に入れるのを促した。この誘導により、それまでなかなか上がらなかった受講者の腕がおもむろに上がり始めた。

視覚の用い方と意識のあり方の関連性は昨今の研究で明らかになりつつある。「EMDR」という心理療法がある。一定のペースで眼球を左右に動かすよう誘導することでトラウマを癒すというものだ。また催眠療法においても、クライアントをトランス(変性意識状態)に誘導する際にも、クライアントの目の使い方がチェックポイントとなるらしい。
内田先生はお稽古中によく「ゆっくりでもよいが流れを切ってはいけない」、「緩急をつけずに最初から最後まで同じ早さで動くように」と口にされる。この要請を実現するには、余計なことを考えたり、身体感覚をいちいち確かめたりなどしてはいられない。必然的に、自我を一旦脇に置き、瞑想のときのような意識状態で技をかけたりかけられたりすることになる。

私が思うに、この頭の中に言語が流れず、ただただ身体にある波長の響きが持続している状態こそが多田先生の仰る「安定打坐」の境地であろう。その入り口として周辺視野を活性化する「パノラマ視」は一つの方法でないか。凱風館の朝稽古で試してみて、さすがに安定打坐とはいかないものの、相手の動き全体がすっぽりと目の中に飛び込んでくるようで、局所的な力みが軽減された手応えがあった。

今回の秋合宿で、これからの自分にとってのお稽古のテーマが明確となった。その一つが「意識の切れ目をなくす」である。これに取り組むため、まずは基本的な技からこの「パノラマ視」を習慣化してみる。そこで自分の身体の動きと相手の反応がどのように変化しえるのか。味わい、観察していきたい。