合気道の手

昨日、朝の稽古で内田先生が、「写真集の多田先生の手を思い出して!」と仰った。
あ、同じだと思ってにやりとした。
このごろ私が稽古で繰り返すのも、「写真集の多田先生の手」。

「合気道の手」と言われる手の形がある。
両手で剣を持ち、ぱっと放した手の形。
指先がすっと伸びて力まず、包むような手の形。

多田先生のイタリア合気会50周年を記念して、月窓寺道場から多田先生の写真集が出版された。
多田先生のたくさんの強く美しい技の瞬間瞬間を見ることができる。
多田先生がいつも語られる言葉が添えられて、まるでそこに多田先生がいて一緒に稽古しているような錯覚にさえなる、素晴らしい構成であるが、中でも私が惹きつけられたのは、先生の手だ。

写真集のどのカットも、先生の手は合気道の手になっている。
そしてどの手にも、「気」がみなぎっているのがはっきり写し出されている。
指先から「気」がびゅーびゅーと出ているのが見える。

手先をしっかり伸ばせと、初心の頃よく言われたが、初めは意味がわからなかった。
今ならはっきりとわかる。
手先が死んでいると、力の通る道が途中で切れているのが、受けを取るとはっきりわかる。
手先まで通らないので、手首や肘や肩に力が留まり、その力を使って投げるということになるのだと思う。

内田先生はこの多田先生の手を、「ゼリーの中を指先が一番通り易い動線を取るような手のかたち」、と表現された。
入り身投げの手が以前と変わっていることに気付いた。内田先生は進化されている。

しばらくはこの「手」の可能性を稽古するかもしれない。