なめらかな稽古とその敵   ささの葉合気会 中野論之

なめらかな稽古とその敵
ささの葉合気会 中野論之

18時半を過ぎたので凱風館まで歩いていく。
2014年9月12日、金曜日。このあとの夜稽古で1級審査を受けることになる。前回までと同じく、い
まだに「審査を楽しむ」などという心境にはほど遠い。とはいえ不安や緊張より先にまず感じるのはぐったり
とした疲労。このところ稽古に関わる不慣れなことにずっと力を傾けていたうえに寝不足が重なれば仕方ない。
今日は18時ごろから凱風館が開くらしいと聞いていたので審査前に最後の確認をすることもできたけれど、
もうそれは控えてさっきまで身体を休めることに専念していた。
これから審査なのに、すでに身体が疲れているのは残念だ。できれば万全の状態で審査を受けたかった。でも、あらかじめ決められた大事な場面へ向けて充分に準備してから臨むことと、調子の悪いときにそれでも何かを決断したり動かざるを得ない局面でなるべく自分を整えて挑むことは、どちらも大切なことだとも思う。
交差点の赤信号で立ち止まっていると清道館の岡田充広さんに声をかけられた。彼の審査も今夜である。連れ立って凱風館へ行く。
更衣室で着替えて道場へ入る。あっちこっちで審査直前の最終確認の最中と思われる門人の姿がある。少し暑いのはこの人いきれと冷房が入っていないせいか。顔見知りの人と会うたびに挨拶する。岡田さんと一緒に3級審査を受ける清道館の佐藤龍彦さんは私よりもずっと早くに来て最後の確認をしていたようだ。端のほうで軽く身体をほぐしたりしていると大松多永さんが寄ってきて「がんばるんだぞ」と茶目っ気たっぷりに言ってくれた。そのうちに全員が道場の南側(出入り口に近い側)へ正座して待機する。見渡せばざっと3列だ。金曜の夜稽古にしてはまだ少ないほうかもしれない。
内田樹先生が来られた。準備体操と阿吽の呼吸、呼吸合わせと呼吸操練、四方斬りを行なう。六方向の転換の受けは神吉直人さんが呼ばれる。この動きについては内田先生からの説明はなし。隣にいた岡田さんと組む。
相変わらず周囲の壁や人に受けをぶつけそうになるので注意しながら取りをした。
逆半身片手取りの動きを題材に内田先生が解説される。
「ないものをあるように扱う。それも水気を含んだものがいい。小さな氷の欠けらとか」
「(逆半身片手取りから入身で導いて相手に気を通す動きをしてみせたあと)足を一歩よこにどけて、受けの
背中側に身体を寄せて——なんて説明してもなかなか伝わらない。それよりも氷の欠けらが掌の上にあって、それを落とさないよう動きながら最後に相手の襟口から ひょいっと氷を入れる、と言うほうが伝わりやすい」「用があるのは神吉くんじゃなくて、神吉くんの着ているジャージのライン。それを巻き取るように動く」
今回の審査にあたり、ささの葉合気会での自主稽古は私が担当させてもらった(ただし一度だけ多永さんと
二手に分かれて行なった)が、伝えたいことがうまく伝わらず、自分の教え方の未熟さに歯がゆい思いをしたものだ。内田先生の言葉を聞いて、〈足を一歩よこにどけて〉式の説明をするばかりで〈氷の欠けらを落とさないように〉といった喩えを私がほとんど用いてこなかったことに気づかされた。また「ないものをあるように
扱う」という言葉は、〈演じる〉という行為と武術との関係を改めて思い出させるものだった。(演劇と武術
の関係については武術家・甲野善紀先生のDVDを紹介する次の一文「甲野善紀による内容紹介」をご参考に。
http://kono.yakan-hiko.com)
逆半身片手取りの技を掛かり稽古で行なう。受けや取りをしながら身体を動かすうち、じきに〈あれっ〉と
感じた。疲れが抜けていないはずなのに、妙に身体が軽く動く。先日の演武会のときとは大違いだ。ふだんのささの葉の稽古でもここまで軽やかには動けていない。緊張で硬くなっている感じはまったくなかった。
自分が取りをするときは、一人に技をかけた直後と次の人に技をかけるまでの間をつなぐように気をつけた。切れ目を作らない、ということを このところずっと注意している。今回の審査でも、技が上手に出来ないのは仕方なくてもひとつひとつの技と技のあいだで気持ちや流れを切らないようにしようと決めていた。とにかく切れ目を作りたくなかった。前回審査時のハンコをゼロ個目(その次の分を1個目)と数えると、今夜のハンコで合計154個となる。
同じ数え方で私を上回る人の存在も具体的に知ってはいるものの、たぶん少なくはないのだろうし多いに越したことはない。それでも、ハンコの数が多いからと安心して道場の外では何の稽古もしない、という態度は やや問題があると感じてしまう。伸びる人は、道場以外でもきっと なにかしらの稽古や工夫をしているはずだから。 道場以外の場で行なうものとしては、たとえば自宅などで自分なりの方法で一人稽古をすればよいはずだが(私の場合は袋竹刀や木刀や杖などの道具を使って一人稽古をすることが多い)、そういうこととは別に、常日ごろ稽古のことを考えているだけでもずいぶん違ってくるのではないかと思う。ふだんから無意識に稽古をしているようなものだからだ。

稽古を日常化したうえで道場へ通うのを〈なめらかな稽古〉と呼ぶのなら、その対極の、ふだんは道場以外
でまったく稽古も工夫もしないでおきながら道場へ来て「さあ稽古を始めよう」という状態を〈なめらかでな
い稽古〉、あるいはもっと端的に なめらかな稽古の〈敵〉と表現してもいいだろう。その〈敵〉が自分の外で
はなく内にあることも、なめらかな稽古とその敵のあいだが無数のグラデーションで切れ目なく つながってい
ることも、私にはなんとなく身体で感じられる。
なめらかな稽古をするには、とりあえず出来るところから少しずつでも手をつけていくしかなさそうだ。そ
んな気持ちが、ここ最近の「切れ目をなくす」ということに結びついたように思う。せめて道場にいるあいだ、
いまのいまだけは動きと動きの狭間に切れ目を作りたくない、境目をなくしたい、と。
審査が始まる。内田先生以外の門人全員が道場の南側へ正座していく。その隙に水を飲んだ。私が座ったのは右端(東側)の後ろのほう。自分のカバンをそのあたりに置いていたので喉を潤すついでに座っただけだが、たまたまそこは網戸つきの窓のそばだった。おかげで外からの風で涼むことができて ずいぶんと助かった。正座している門人の全体を見ると約5列にまで増えている。
せっかく身体が軽く動いているからには、本音を言えば流れが消えないうちに私の審査をしてほしいくらい
だ。が、残念ながら1級審査は最後となる。集中した気持ちを切らさないように、と思った。
まずは男性の5級審査から。ささの葉の会員で受けるのは廣田景一さん。次に女性の4級審査を挟み、男性の3級審査が行なわれる。ささの葉からは坂東克則さんが、清道館からは佐藤さんと岡田さんが出た。最前列の左端で審査の様子を撮影する永山春菜さんに加え、このときは列の右端のいちばん前から井上清恵先生がカメラを回し始めた。そのあとに女性の審査が続く。
他の人の審査を正座して静かに見ているといきなり動悸が激しくなった。〈なんだ、自分もちゃんと緊張す
るんじゃないか〉と、胸がどきどきするのを感じながら少し安心した。ひとまず下丹田を意識して深い呼吸を
繰り返す。そのうちに鼓動は落ち着いていった。
中野さん、と内田先生に呼ばれて前へ出ていく。同じく1級審査を受ける大山順平さんとともに内田先生へ
礼。受けとして出てくれたのは前回もお世話になった松下昌裕さんと、日ごろ清道館で一緒に稽古している佐藤さんと岡田さん。5人で互いに礼。審査の順番は甲南合気会の大山さんが先かと思ったら私からだ。両手取りの天地投げを佐藤さんにかける。入身投げ・小手返し、四方投げの表・裏と続く。流れを切らないようにと、そんな想いだけが胸にあった気がする。一教の表を岡田さんにかけていく。息を吐きながら ふだんよりゆっくりと岡田さんの手首を畳につけた。次の一教の裏は技をかけた弾みにギャラリーの最前列の右端あたりの人のかなり近くで固めをすることになったものの別に何も焦りはしない。落ち着いて立ち上がる。続く二教の裏のあとは正面打ちの一教の表と裏、二教の表と裏。二教の裏の固めでは、両手の指を手刀のように揃えて伸ばす(または反らせる)のではなく、大きめのボールを握り潰すように五指を軽く曲げて強く張りを持たせるという方法を、なぜか独りでに身体が行なっていた。こうすると受けの腕や手首をきっちりと締めつけることができ、さらに受けの腕を極めた自分の身体がよりまとまるように感じられる。誰に教わったわけでもなく、いま
まで思いつきもしなかったのに、自分の身体が自然とそんな工夫をしていたことに あとで気づいて何とも不思議だった。審査という、独特の緊張と集中を強いられる場だからこそ起きた現象だったのかもしれない(なお、手や指を強く張るよりも、形は同じままで手と指の余計な力みを取り去るほうがもっと有効なようだが、いまも検証中である)。——審査は続いている。正面打ちの三教の表と裏、そして入身投げと続く。右の手刀をさっと挙げて右半身であることを示し、松下さんに技をかける。正面打ちから入身に入る際は取りと受けの手刀の接した部分が いったん天へ上がる形になる方法もあるが、私はそうせず、接した部分を大事にしながら右肩を抜き、左半身に差し替えながら身体を薄くして入身に入る。そのあとの小手返し、四方投げの表、内回転投げ、内回転三教の表をかけたところで「後ろ両手取り四方投げ」と内田先生の声を聞く。四方投げの表と裏をかける。その直後の入身投げは掌を地に向けた左手を佐藤さんに対してさっと出し、右手を取らせる前に受けの背中へ抜けて投げた。動き続ける自分の身体に硬さも重さも感じない、ただ流れに乗って動けている感触だけはある。切れ目なく動き続けられるなら技がうまく出来なくてもかまわなかった。小手返し、二教の裏と続く。横面打ちと中段突きの技も一通り稽古したけれど、次の取り手は肩取りだ。入身投げ・小手返し、四方投げの表。そして二教の裏を松下さんにかける。どの技も、自主稽古でさんざん私が受けや解説をしたものばかり。最後の座技呼吸法は引き続き松下さんに受けてもらった。そのあと大山さんの審査の受けをして、すべて終えて列に戻るときにはもう喉がからからになっていた。
審査のあと、いろんな人から声をかけていただいた。「感動しました」「見ていて涙が出そうになった」と
まで言ってくれた人もいる。でも、それは私の動きが特別に凄いわけではなく、私の動きから何かを感じ受け
取ったその人の力が凄いのだと思う。神吉さんからは「でっかい篠原さんみたいだった」と言ってもらえて、
その一言が なんだかとてもうれしかった。
現代人の常識的な身体の動かし方と比べ、武術的な身体の遣い方には面白さと難しさの両方がある。〈こんな身体の遣い方があったのか〉という驚きが、私を武術の世界へ惹きつけて離さない。「半年後には初段だね」と何度となく言われたし、さすがに初段審査のことも意識はしている。とはいえ、 段や級が欲しくて稽古をするわけではないのも確かだ。なぜ合気道を続けているのかと改めて考えてみても、浮かんでくるのは〈面白いから〉という答えぐらい。もう少し別の理由がありそうな気もするけれど、合気道をするのに ややこしい理由など あってもなくても かまわないと思う。どっちでもいい、なめらかな稽古をするのに差し障りはないはずだ。
だから、審査が過ぎたくらいでは私の稽古は終わらない。