「お前、へたくそ」  森川祐子(清道館)

「お前、へたくそ」

 最近よく、向こうから森川祐子がやって来て、すれ違い様に“お前の母ちゃん出ベソ”と言うかのように、
「お前、へたくそ」
と言ってスタスタ行ってしまう。さすが森川祐子、そのとおりとは思うもののあんまりストレートなので腹立つし、傷付く。
「あ、ひと(他人)の技の批判したらあかんのに」
と言うと、
「ひと(他人)と違うからええの! あほか」
とひと言。くぅ〜。
「『うまくできなかったことも、できたように書き変えて、連想しなさい』って、先生いつも言うてるやんか」
と食い下がっても、
「それがでけへんこと、よう分かってるくせに」
と、にべもない。

 そうやんな、やっぱり“ヘタは稽古せにゃ直らない”というわけでせっせとお稽古に励むものの、毎回課題が見えて、見えているのに体が言うことをきかなくて、また私が向こうからやって来る。そんな繰り返しのこの頃だったが、つい先日ちょっとした“事件”が起こった。
 13年11月の内田先生の観世さんとのスイッチインタビューはきっと大勢の方が見られたことだろう。私もそのひとりで録画したままだったが、このままでは夫に消去されてしまうので、ディスクにダビングすることにした。“事件”が起こったのはその時。久しぶりに見た画面から流れる内田先生の言葉が初めて聞く言葉のように身体に流れ込んで来る。思わず何度も停止を押して手近のノートに書き留めた。
「自然の力を一回自分の身体に通すことによって、人間の世界に有用なものを実現させていくための技術。いくら筋力をつけても骨格を逞しくしても絶対に出せない強大な力を、自分の身体をひとつのパイプにして発動させていく、それが武芸だ」
 放映された時に聞いて感激したのはもちろんのこと、常日頃、井上先生からも教わっていることと違いないのだから初めてであるはずはないのに、この時この言葉は“心や頭にしみ込んでくる”のではなく、“身体の中の細胞を揺らす”感じがした。わけが分からないけれど、確かに身体中の楕円形の細胞が「そうだ、そうだ」と合唱している気がした。「それが合気道だ」と。興奮が収まってから考えてみるに、これはとてもシンプルに、稽古数の違いがさせたことだと思う。スイッチインタビューを初めて見た13年11月までの稽古数は25回、久しぶりに見た日までの稽古数はそれも含めて165回。確かに“身体で学ぶ”“身体を通してしか分からない”ことがありそうだ。
 私は長らく子どものおもちゃを販売する仕事に従事していたから、子どもの発達について少し学んだ。その際よく言われることの一つに、“子どもは手で学ぶ”というものがある。例えば形はめ。手の中にブロックを握り、重みを感じ、何度も何度も触って、角や丸みを感じ、長い短い大きい小さいを十分に手で味わった子は、ものの形という存在が分かって、穴にブロックを入れる。例えば積み木。手のひらで一つの木の固まりを味わって、もう一つ持って来て比べ、それらを並べて、積んで、崩して...を繰り返した子は、ものの成り立ちが分かって、さらに大きな構造物を造るようになる。手で学ぶことをおろそかにして知識偏重になると、いつか人はパンクする。それは、本当に身に沁みるようには分かっていないから。分かるということの楽しさが分かっていないから。
 これは子どもに限ったことではない。私自身、園の先生方に教具の使い方を説明する時、説明書を読んだだけではうまくいかない。実際にその教具で遊び、なにが起こるのかを自分で感じたら、相手に届く説明ができることを何度も経験した。そう言えば、凱風館を建てた光嶋さんのドローイング展を見に行ったとき、対談の席で、「旅先で建築物を片っ端からスケッチしました。・・・時間がなくて途中から写真を撮って帰った場合、スケッチした部分しか鮮明に思い出せません」というような意味合いのことを話され、あの時も子どものものの分かり方と一緒だと思った。
 話は飛ぶけれど、パリのいくつもの美術館で、模写している人が多いことに驚いた。松家仁之『火山のふもとで』の建築家の主人公が、卒業したての卵のとき、尊敬する先達の建てた教会を実測し図面に起こすくだりがあって、建築物そのものを“模写”するのかと、これも驚いた。創作者である画家や建築家と“模す”という行為に隔たりを感じたと言ってもいいかもしれない。でも、これも同じこと。“手で学ぶ”“身体を使って真似てこそ分かることがある”に違いない。模すために動かす一筆ごとに、線の1センチごとに、先達の表現しようとしたことが分かる“手がかり”があるに違いない。
 
 稽古のはんこが165個の今だから、25個のときとは違う分かり方があることを身をもって知った。私の意思と関係なく細胞レベルで分かったことは、忘れない。だから、やっぱり、稽古しかない。耳で井上先生の言葉を聞いて、目で動きを見て、時には先生の手や身体に触れて、頭と心にそれら全てを入れたら、今度は自分の身体を使って真似よう。すぐにはできっこないから、何度も何度も稽古しよう。はんこがもっと増えたら、もしかしたら原子レベルで分かることもあるかもしれない。今はへたくそだけど、もしかしたら“分かる”だけじゃなくて、“知らん間に勝手にできた”“動けた”と思えることもあるかもしれない。わくわくしてきた。