合気道的スキーについて

今年もス道会に行ってきました。
清道館からも二名(佐藤君、岡田君)の参加者があり、総勢37名、去年の3倍の人数で、一泊二日、蟹付きのイベントは大盛会でした。

スキーと合気道は似ている。これは内田先生も、ス道会を仕切る谷尾プロも仰ることです。
体重移動や、股関節や膝の使い方、一つ先の自分をイメージしてそこに体を放り込む、など共通点が多く、「スキーが上手くなれば合気道が上手くなる」、という谷尾プロの甘い言葉に乗せられて、20年ぶりぐらいにまたスキーを始めたのが3年前。高橋圭三先生というちゃんとした指導者にちゃんと教えてもらうようになって、今年も4回目のス道会となりました。(ちなみに谷尾さんは本当のプロではないのですが、私から見ればプロの称号に値するスキー技術の持ち主でありますので、敬意を表してこう呼ばせて頂きます、あしからず)

さて、今年。4回目ともなれば、相当上手くなったと思われるでしょう、というより自分ですっかりその気になって今年は挑みました。
なんてったって、去年はマイ靴、今年はなんとマイ板を購入しての参戦ですからね。
(しかも、高橋先生の更にお師匠様である丸山先生のご指導までも、一昨年、昨年と2度も受けたのです!私の板は、その丸山先生のお見立てなのであります!!!)
てなわけで、私の鼻は3倍ぐらいに膨らんでいたと思うのですが、雪面に立つやその鼻はぺしゃんこになりました。
だって難しい。スキーは本当に難しいです。あたりまえですけど。

今年ゲレンデで気付いたのは、使えないと思っていた(そのせいで膝を痛めている)左の股関節、よりも、実は右の股関節のほうが体重を乗せにくいということでした。右股関節を使う左から右へのターンの際、体重が乗りきらないので体を捩ってしまう。
明らかに、左の股関節に乗る方のターンとは違う、これは合気道の稽古では今まで気付かないことでした。

合気道はフラットで動かない、柔らかな畳の上で身体を操作します。
スキーでは当然ですが斜面ですから、この雪面の上では常に体重が正確に板に載ってないと滑って転んでしまう、とても不安定な状態。
しかもその雪面は斜度、幅、雪の深さや硬さ、こぶの有無などコンディションは刻々と変わる。天候も分単位で変わるので視野や視界が突然悪くなる。様々な条件が一瞬一瞬で変化していくのに対応する、重心をピンポイントで移動させていく、そういう身体運用を求められるわけです。頭で考えている暇はない。一瞬でも操作を誤ったり、気を抜いた途端、激しく転倒したり、谷へ落ちてしまう危険と常に隣り合わせで、ものすごい集中力を持続しなくてはなりません。もちろん私の今の技量では、ですが。

合気道では「受け」の人が技を受けてくれます。相手は人間ですが、受け人の体格や技量や性格(笑)や様々な条件によって技は変わります。
スキーではその「受け」が山なのです。山と言う厳しい自然を相手に、つまり「受け」にして稽古している訳です。
合気道でもどうしようもない、技がかからない難しい相手はいます。が、雪山ほど厳しい「受け」はいない。
どんなに激しい技でも、安定した畳の上では基本的に大きな怪我や命を落とす危険まではない。

上手く滑れた!と思っても、次の瞬間にちょっと斜度や幅や雪面の状態が変わるだけで全く通用しなくなる。
ほんとに、簡単には「受け」をとってくれないのです。

ス道会に出会うまで、実は長年、スキーの何が面白いのかと思っていました。
だいたい、スキーや陸上競技、水泳といったスポーツは、球技や格闘技に比べて孤独に見えます。
己の記録の更新を追求することがひたすら面白いのかも、ぐらいに思っていました。確かにそれも面白いと思います。
陸上や水泳はわかりませんが、少なくともスキーの面白さは、山とは相当厳しい「受け」と同じであるという意味においては、合気道のそれにかなり近い、というのが今回の大きな実感です。
それはイタリアや、多田塾の合宿や本部道場の稽古で、すごい先生や先輩にバンバン投げられる時の感じや、自分の技が全くかからない時の感じと同じで、自分の問題点が浮き彫りになる、課題をくれる。

「こぶ(←これが大曲者)と戦ってはいけません、友だちになりましょう」と丸山先生はにこやかに仰います。
「雪山」という究極の「受け」と対立せず、いかに融和し同化するか。
それこそ多田先生の仰る、対立と執着を捨て「宇宙」と融和し同化する、に通ずる。

スキーの修行は合気道の修行。
ということで、怪我には十分注意して、今年もスキーを楽しみたいと思います。