「Top Of The World」
そして、僕は恋に落ちた。といっても、小学校五年生のときの話である。
小学生の頃、なまじ勉強が出来た僕は、親に強制的に進学塾へ行かされることになった。僕は、小学校の授業が終わると、ほぼ毎日バスに乗りその塾へ向かった。今のように塾の存在が、一般的ではなかったため、周りのクラスメートからは、そんな僕のことは奇異に見えていたようだ。
その塾は、入塾するための試験が必要で、僕は補欠で合格し、野球でいうところの二軍に相当するBクラスに入った。渋々、塾に通い始めたのだが、授業を聞いているうちに、僕は、何かコツのようなものを覚え、ぐんぐんと成績が上がり、3カ月も経たないうちに、クラスで一番になった。僕は、塾の授業に退屈し始めた。そんなとき、僕は、夏季講習のことを知る。夏期講習は、クラスに関係なく誰でも参加できる授業だった。僕は、Aクラスの連中のレベルを知りたかった。
夏季講習の初日、僕は、周りを見渡して、明らかにビビってしまった。赤い眼鏡をかけたいかにも神経質そうな色黒の大島さん、血色の悪いガリガリの宮坂君。Aクラスの連中は、僕が今まで出会ったことのない種類の人たちばかりだった。その中に、その子がいた。よく笑う、快活で聡明な女の子だった。彼女は成績もよく、Aクラスの中でも常にトップクラスにいた。授業が終わると、開業医の父親が、フォルクスワーゲンで迎えに来ていて、彼女は、その父親のことを「パパ」と呼んでいた。僕の友だちと言えば、大工の息子や、八百屋の息子などで、「パパ」や「ママ」などは死語に近く、明らかに彼女の住んでいる世界とは違っていた。僕は、彼女に惹かれた。いや、正確にいうと憧れていたのかもしれない。
僕は、授業など上の空で、彼女のことをずっと眺め、ノートに彼女の名前を書いては消しゴムで消したりしていた。時々、彼女と目があったりすると、それだけで、心臓がドキドキしたのを、今でもよく覚えている。そして、その夏、サントリーの清涼飲料水「ポップ」のコマーシャルソングに使われていたのが、この曲「Top Of The World」で、毎日のようにテレビでこの曲が流れていた。そんな楽しかった夏季講習と五年生の夏は、あっという間に、終わってしまった。
その後、僕は、彼女と同じクラスに入りたくて猛烈に勉強をした。一生の中で、一番勉強した時期かも知れない。その甲斐もあり、僕は、六年生の四月にはAクラスに上がることになる。しかも、その時点では、僕は男子でトップだった。人間の動機なんて、案外、こういう些細なものかも知れない。
そして、僕と彼女は、同じクラスになるのだが、奥手だった僕は、ろくに話もできず、時折、話をする機会があっても、当時、僕が熱中していたプロレスの話をするぐらいのもので、彼女は苦痛だったに違いない。好感など持たれるはずもない。
一年後、彼女は、大阪教育大附属池田中学校に合格し、僕は、某私立中学校に合格した。中学生になった僕は、悪友の影響から、歌謡曲少年から一転、ロックに目覚め、休みの日には、レコード屋に行くような子供になっていく。
ある日、いつものレコード屋に行くと、この曲がかかっていた。僕は、すぐに、店員に題名を教えてもらい、シングル盤を買った。生まれて初めて自分のおこづかいで買ったレコードだ。僕は、家に帰り、何度も何度も繰り返し、レコードを聞いた。今でもこの曲を聞くと、真夏の真昼間の高くに居座る太陽、彼女を迎えに来た白いフォルクスワーゲン、彼女と目が合ったときの心臓の鼓動などが、40年経た今でも、ありありと思い出すことができる。それは、未熟だった自分への気恥ずかしさと純粋だった自分への憧憬が一緒くたになった、なにか、心の片隅にへばり付いている膜のようなものだ。
それから、中学三年生のある冬の日、偶然にも僕は、プラットフォームで電車を待っている彼女を、乗っている電車から見つけてしまう。僕は、彼女が乗る車両に移動し、彼女に近づき、勇気を振り絞って、彼女に話かけた。
「ひさしぶり」
「え?」
「井上です」
「…」
「塾で一緒だった」
「あ~」
彼女は、僕のことなど殆ど覚えていなかった。