月別アーカイブ: 2015年2月

「Top Of The World」(井上英作)

「Top Of The World」

  そして、僕は恋に落ちた。といっても、小学校五年生のときの話である。

小学生の頃、なまじ勉強が出来た僕は、親に強制的に進学塾へ行かされることになった。僕は、小学校の授業が終わると、ほぼ毎日バスに乗りその塾へ向かった。今のように塾の存在が、一般的ではなかったため、周りのクラスメートからは、そんな僕のことは奇異に見えていたようだ。

その塾は、入塾するための試験が必要で、僕は補欠で合格し、野球でいうところの二軍に相当するBクラスに入った。渋々、塾に通い始めたのだが、授業を聞いているうちに、僕は、何かコツのようなものを覚え、ぐんぐんと成績が上がり、3カ月も経たないうちに、クラスで一番になった。僕は、塾の授業に退屈し始めた。そんなとき、僕は、夏季講習のことを知る。夏期講習は、クラスに関係なく誰でも参加できる授業だった。僕は、Aクラスの連中のレベルを知りたかった。

夏季講習の初日、僕は、周りを見渡して、明らかにビビってしまった。赤い眼鏡をかけたいかにも神経質そうな色黒の大島さん、血色の悪いガリガリの宮坂君。Aクラスの連中は、僕が今まで出会ったことのない種類の人たちばかりだった。その中に、その子がいた。よく笑う、快活で聡明な女の子だった。彼女は成績もよく、Aクラスの中でも常にトップクラスにいた。授業が終わると、開業医の父親が、フォルクスワーゲンで迎えに来ていて、彼女は、その父親のことを「パパ」と呼んでいた。僕の友だちと言えば、大工の息子や、八百屋の息子などで、「パパ」や「ママ」などは死語に近く、明らかに彼女の住んでいる世界とは違っていた。僕は、彼女に惹かれた。いや、正確にいうと憧れていたのかもしれない。

僕は、授業など上の空で、彼女のことをずっと眺め、ノートに彼女の名前を書いては消しゴムで消したりしていた。時々、彼女と目があったりすると、それだけで、心臓がドキドキしたのを、今でもよく覚えている。そして、その夏、サントリーの清涼飲料水「ポップ」のコマーシャルソングに使われていたのが、この曲「Top Of The World」で、毎日のようにテレビでこの曲が流れていた。そんな楽しかった夏季講習と五年生の夏は、あっという間に、終わってしまった。

その後、僕は、彼女と同じクラスに入りたくて猛烈に勉強をした。一生の中で、一番勉強した時期かも知れない。その甲斐もあり、僕は、六年生の四月にはAクラスに上がることになる。しかも、その時点では、僕は男子でトップだった。人間の動機なんて、案外、こういう些細なものかも知れない。

そして、僕と彼女は、同じクラスになるのだが、奥手だった僕は、ろくに話もできず、時折、話をする機会があっても、当時、僕が熱中していたプロレスの話をするぐらいのもので、彼女は苦痛だったに違いない。好感など持たれるはずもない。

一年後、彼女は、大阪教育大附属池田中学校に合格し、僕は、某私立中学校に合格した。中学生になった僕は、悪友の影響から、歌謡曲少年から一転、ロックに目覚め、休みの日には、レコード屋に行くような子供になっていく。

ある日、いつものレコード屋に行くと、この曲がかかっていた。僕は、すぐに、店員に題名を教えてもらい、シングル盤を買った。生まれて初めて自分のおこづかいで買ったレコードだ。僕は、家に帰り、何度も何度も繰り返し、レコードを聞いた。今でもこの曲を聞くと、真夏の真昼間の高くに居座る太陽、彼女を迎えに来た白いフォルクスワーゲン、彼女と目が合ったときの心臓の鼓動などが、40年経た今でも、ありありと思い出すことができる。それは、未熟だった自分への気恥ずかしさと純粋だった自分への憧憬が一緒くたになった、なにか、心の片隅にへばり付いている膜のようなものだ。

それから、中学三年生のある冬の日、偶然にも僕は、プラットフォームで電車を待っている彼女を、乗っている電車から見つけてしまう。僕は、彼女が乗る車両に移動し、彼女に近づき、勇気を振り絞って、彼女に話かけた。

「ひさしぶり」

「え?」

「井上です」

「…」

「塾で一緒だった」

「あ~」

彼女は、僕のことなど殆ど覚えていなかった。

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「雨だれ」(井上英作)

「雨だれ」

  僕は、早熟な子供だった。小学校を卒業するときの身長が、160cmもあり、このままだと大人になったときに何を着たらいいのか?などと要らぬ心配をしたものだが、取り越し苦労に終わってしまった。

さて、そんな早熟な少年の興味は、専ら「恋愛」だった。歌謡曲ばかり聞いていた僕の最大の疑問は、「何故大人は、恋愛をするのだろう」だった。なぜなら、当時、僕の耳に入ってくる歌謡曲の殆どが、実らない恋に関するものばかりで、どうして、そんな辛い思いをしてまで、大人が恋愛をする意味がよく分からなかった。更に、当時のテレビドラマの男女も、恋愛が辛そうに見えた。「太陽に吠えろ」のジーパン刑事とシンコ。「寺内貫太郎一家」の静江と上条。松田優作も藤竜也も、僕には、恋愛に苦悩している男たちにしか見えなかった。

そんな、僕の疑問に答えてくれたのが、この曲である。この曲は、1974年、僕が9才のときに、太田裕美のデビュー曲として発表された。少し舌足らずな太田裕美が、ピアノを弾きながら歌うスタイルは当時としては新しかったような気がするが、特に、太田裕美が好きだったわけではなかった。むしろ、この後も、作詞を担当する、松本隆の世界観に、僕は魅了された。今までイメージすることさえ難しかった「恋愛」というものの、、輪郭がぼんやりとではあるが見えてきたような気がしたのである。これが、「恋愛」というものなら、僕は「恋愛」を体験してみたいと思った。

松本隆の描く世界は、しばしば、文学的と評される。この「雨だれ」という作品をみてみても、「ひとり 雨だれは寂しすぎて」から始まり、中盤で「ふたりに傘が一つ」となり、最後は「さびしがりやどうし 肩寄せ合って」いるのである。それまでの、あまりに生活臭が匂い立つような歌謡曲の歌詞からは一転して、実際にはないかも知れないけれど、もしかしたら、有り得るかも知れない、現実から、少しだけ浮遊したような世界を見せることに、松本隆は成功したのかもしれない。この少しだけ浮遊した感覚、つまりセンスのいい虚構の世界を描いていることが、松本隆をして文学的と言わしめる所以だろうと思う。さらに、松本隆の歌詞が素晴らしいのは、ディテールを積み上げることにより、まるでひとつの映画でも見ているような気分にさせてくれる、そんな視覚的な効果も高い。

この曲により、一気に恋愛への興味を掻き立てられた僕は、その後の、太田裕美+松本隆のコンビによる「木綿のハンカチーフ」、「赤いハイヒール」などの曲により、完全に虚構の世界の住人となってしまうのである。この続きは、次のTop Of The World」で。

 

「ずっと思っていたこと」(井上英作)

                                      「ずっと思っていたこと」

 僕には、兄がいた。「いた」という風に過去形で書いているのは、今はもういないからである。もう少し正確に言えば、僕は兄に会ったことさえない。兄は、僕が生まれる前に、交通事故で亡くなっている。僕は、兄のことを生前の写真や母が語る「物語」の中でしか知らない。

 僕は、時折周りの人に長男的な性格を指摘される。それは、変な責任感のようなものを自分で勝手に背負い込み、周りの人に対して横柄に見えることがよくあるらしい。本人にはまったく自覚がないので困ったものである。もし兄が生きていたなら、この長男的な性格から解放され、どんな風な人間になっていたのだろうと、兄という存在が僕に与えただろう影響について、僕はしばしば夢想した。今と同じような性格になっていたのか、あるいは、全然違うものになっていたのか、しかし、それはどんな風に夢想してみたところで全く現実感を伴わなかった。僕は、兄の存在を体現してみたかった。

 「先輩」とは、同じ職場で知り合った。年は一つ上だ。どういうわけか、先輩は僕の変てこなとこが気にいったみたいで、僕たちはよく話をした。話をしてみると、僕たちには、共通して好きなものがあった。それは、映画であり、音楽だった。しかし、その趣味は、正反対だった。先輩の好きな映画は、「天国から来たチャンピオン」で、好きなドラマは「北の国から」。好きな音楽は、山下達郎だった。一方僕は、高橋幸宏と村上春樹が好きで、映画「レオン」を見ては何度も涙を流すような男で、二人に共通点と呼べるようなものは、殆どいっていいぐらいなかった。それでも、僕たちは馬が合った。

 僕たちは、今から5年ほど前から、突然山登りを始めた。最初、僕はトレッキング程度の軽いものをイメージしていたのだが、どういうわけか、先輩の方がはまってしまい、その年の夏には、北アルプスに登っていた。山登りを一緒にするようになってから、以前よりもはるかに、僕たちは一緒に過ごす時間が長くなり、僕の本質的な核のようなところが、彼の前に露呈し始めた。僕の受動的で、向上心に乏しく、雑な性格が露わになってしまったのである。そんな僕の性格を、見越したように、先輩は僕に、次々と新しい険しい山へ連れて行ったり、自分の友だちを紹介したり、僕を、外の世界へと引っ張り出していってくれた。

 また、本当なら、年下の僕の方が、連絡をして食事を誘ったりするものなのだろうが、人に甘える術を知らない僕からは、連絡しないことをよく知っている先輩は、いつも絶妙なタイミングで、僕を食事に誘ったりしてくれた。そんな、彼とのやり取りを通して、僕は、初めてリアルな「兄」のような存在を感じることができた。兄は、死んでもうこの世には存在しないが、「兄」は生きていたのである。

 先日、どこで聞きつけたのか仕事上のミスでへこんでいる僕を心配して、急に先輩から食事の誘いがかかった。僕たちは、いつものおでん屋に行き、先輩は、出汁で真っ黒になった卵を、僕はたこぶつを食べながら、延々とくだらない冗談を言い合って二人で笑い転げた。

昇級審査 2015/春

昇級審査が始まります。
日程を、清道館稽古予定カレンダーにアップしました。

対象者については、稽古数等を考慮して決定しますので、各自すみやかに会員証のハンコの数を数えて、井上までメール等で申告してください!
よろしくお願いいたします。

井上