「雨だれ」(井上英作)

「雨だれ」

  僕は、早熟な子供だった。小学校を卒業するときの身長が、160cmもあり、このままだと大人になったときに何を着たらいいのか?などと要らぬ心配をしたものだが、取り越し苦労に終わってしまった。

さて、そんな早熟な少年の興味は、専ら「恋愛」だった。歌謡曲ばかり聞いていた僕の最大の疑問は、「何故大人は、恋愛をするのだろう」だった。なぜなら、当時、僕の耳に入ってくる歌謡曲の殆どが、実らない恋に関するものばかりで、どうして、そんな辛い思いをしてまで、大人が恋愛をする意味がよく分からなかった。更に、当時のテレビドラマの男女も、恋愛が辛そうに見えた。「太陽に吠えろ」のジーパン刑事とシンコ。「寺内貫太郎一家」の静江と上条。松田優作も藤竜也も、僕には、恋愛に苦悩している男たちにしか見えなかった。

そんな、僕の疑問に答えてくれたのが、この曲である。この曲は、1974年、僕が9才のときに、太田裕美のデビュー曲として発表された。少し舌足らずな太田裕美が、ピアノを弾きながら歌うスタイルは当時としては新しかったような気がするが、特に、太田裕美が好きだったわけではなかった。むしろ、この後も、作詞を担当する、松本隆の世界観に、僕は魅了された。今までイメージすることさえ難しかった「恋愛」というものの、、輪郭がぼんやりとではあるが見えてきたような気がしたのである。これが、「恋愛」というものなら、僕は「恋愛」を体験してみたいと思った。

松本隆の描く世界は、しばしば、文学的と評される。この「雨だれ」という作品をみてみても、「ひとり 雨だれは寂しすぎて」から始まり、中盤で「ふたりに傘が一つ」となり、最後は「さびしがりやどうし 肩寄せ合って」いるのである。それまでの、あまりに生活臭が匂い立つような歌謡曲の歌詞からは一転して、実際にはないかも知れないけれど、もしかしたら、有り得るかも知れない、現実から、少しだけ浮遊したような世界を見せることに、松本隆は成功したのかもしれない。この少しだけ浮遊した感覚、つまりセンスのいい虚構の世界を描いていることが、松本隆をして文学的と言わしめる所以だろうと思う。さらに、松本隆の歌詞が素晴らしいのは、ディテールを積み上げることにより、まるでひとつの映画でも見ているような気分にさせてくれる、そんな視覚的な効果も高い。

この曲により、一気に恋愛への興味を掻き立てられた僕は、その後の、太田裕美+松本隆のコンビによる「木綿のハンカチーフ」、「赤いハイヒール」などの曲により、完全に虚構の世界の住人となってしまうのである。この続きは、次のTop Of The World」で。