月別アーカイブ: 2015年4月

稽古予定4月/5月 追加と訂正

4月の稽古予定につきまして、以下が追加となりました。
 ①4/11(土) 18:30~ 北スポーツセンター(中津) 合気道
②4/30(木) 15:00~20:00 西スポーツセンター(阿波座) 合気道

また、5月の稽古予定につきまして、以下が消去(中止)となりました。
 ③5/28(木) 18:00~西スポーツセンター(阿波座) 

すみませんが、以上のように訂正させて頂きます。
よろしくお願いいたします。
井上

「ASIAN KUNG―FU GENERATION」(井上 英作)

「ASIAN KUNG―FU GENERATION」

後藤正文は異端である。後藤正文は、言わずと知れた、ロックバンド「ASIAN KUNG―FU GENERATION」の殆どの作品を手掛け、ボーカルとギターを担当している。

思えば、僕が若い頃には、様々なジャンルに必ず異端児が存在したが、今では、あまり見かけなくなったような気がする。

先日、どうしても見たかったのに見逃してしまった、NHK番組「細野晴臣 音楽の軌跡」を再放送でようやくみることができた。細野晴臣のこれまでの音楽の軌跡を追ったドキュメントなのだが、撮影の最中に、あの地震が起こったため、急遽、内容を変更し、これまでの軌跡に加え、地震を経験した細野氏の鬱々とした思いを描いたもので、僕は眼を食い入るようにして、その番組を観た。その番組の中で、細野氏は、若いミュージシャンにインタビューを試みる。そのインタビューの中で、「もう、ロックなんて言葉使わないでしょ」と小山田圭吾に尋ねるシーンが、僕には印象的だった。

僕が若い頃に比べると、格段にパソコンを筆頭に音楽機材の機能が飛躍的に向上したため、誰もが手軽に音楽を作ることができるようになった。それは、それで結構なことなのだが、そのおかげで、僕にとっては、退屈な音楽が、巷にあふれているような気がする。若い頃に、浴びるように聞いた、「ロック」はもはや存在しないのではないか、そんな風に思っていた僕にとって、細野氏の発言は、まるで僕の気持を代弁しているかのように思えた。

音楽至上主義者だった僕にとって、ミュージシャンというのは、僕たちとは別の世界で生きている異界の人たちのことで、いろんなことを放棄した代わりに、楽器が演奏できたり、唄を歌うことができるという、とてつもない才能を天から贈与されたのだと、今でも僕は信じている。だから、彼らは異端で有り続け、その異端であることのエネルギーが、現実という虚構を突き破ることを可能にしている。しかし、残念なことに、異端児は、どのジャンルにも少なくなってしまった。

先日、「ASIAN KUNG―FU GENERATION」のライブを見に行った。とてもよかった。特に「復活祭」を中心とした、新曲たちが素晴らしかった。 エッジの効いたギターがとても心地よく、そこには、間違いなく「ロック」が存在していた。まるで、今の音楽シーンを、嘲笑うかのようなハードな音づくりは、後藤正文の確信犯的な戦略であろうと勝手に想像している。やはり、ミュージシャンである以上、これでないと困る。さらに、往年の名曲たちも、「ロック」として新たな側面を見せた。長くバンドを続けてきて、このタイミングで、「ロック」そのものが内包する原初の衝動を再現しようとする方向へ、今回舵を切ったことに、僕は素直に敬意を表したいと思う。なぜなら、それは売れたバンドが行うには、あまりにも勇気のいる決断だからだ。

この間、近所にスリランカ料理レストランができたので、ランチを食べに行った。注文を頼み、何気に店内を見渡すと、そこには、ロックバンド「クラッシュ」のポスターが貼られていた。ポスターの中の20代のジョー・ストラマーが、世界中を敵に回したような不遜な笑顔を浮かべていて、カッコよかった。僕は、見たばかりのアジカンのライブを思い出した。