12/16(水) 中津

質の高い稽古をもちろんしたい。
今の自分にできる限りの。
多田先生がイタリア合気会を立ち上げられたとき、人を増やして組織を大きくするよりも、とにかく質の高い稽古をする、ということを大きな目標のひとつとされた、ということを仰っていた。

「質が高い」稽古とはなんだろう。
毎日、質の高いものを目指してやっていて、今日は質の低いことをしよう、はない。
自分としては精一杯やるしかなくて、質が低いか高いかは他者、私以外の人が思うこと。

稽古場を立ち上げて三年目、自分が凱風館で助教として担当したり稽古場で指導する稽古数を含めば、稽古量はそれ以前より圧倒的に増えた。
今思うのは「質」の高さは「量」に担保される、ということだ。
少し前にプロのバレエ教師である友人とそんな話になった。
彼女もまったくそのとおりだと思うと言っていた。
映画監督の園子温もテレビのインタビュー番組で同じことを言っていた。
量産し、走り続ける中で、ぽろりと凄いアイデアや、ふっとクオリティ高い映像が撮れる。
そんな感じ。
どんどんやる。わからなくても、間違っているかもしれないけど、理屈は後で考える、とにかく身体を動かして稽古する。
毎日、とにかく四の五の言わずに稽古しているうちに、ふっと回路が開くことがある。
ぱっと光のように射すのは、たいていそういう時だ。
悪い頭でうんうん考えたりもしてみるが、大したものは出て来ない。
身体がどんどん動いて、脳が動きだす。
身体は「動かしているうちに動く」。
稽古は「質」より「量」である、
とまでは言わないけど、「質の高いもの」を「量」やる。
「量」から「質」が生まれるのだと。

中津
平日の夜の稽古は、会社帰りの門人も多く、稽古が始まってからぱらぱらと集まりだすことが多い。
今日は少ないかな、と思って畳を少なめに敷くと、後で人が増えて狭くなり、途中で畳を増やしたりすることも。
畳は増やさなかったが、そんな水曜日。

両手取り
天地投げ
天地投げはつくづく難しい技だと思う。
今朝の内田先生の稽古も両手取りで、先生が「天地投げってほんとに難しい技なんだよね」と仰って、大きく頷いた。
多田先生の体感を思いだそうとするけど、残念ながら覚えていない。
先生の両腕がふにゃりと柔らかかった、その手のうちの感触と、投げられた感はなくて、気が付いたら畳にのめり込んでいた。
という記憶だけが体感として身体に残っている。
よく言われるように、投げられた感がないので、どう投げられたのかよくわからないのである。
上等な技とはそういうものであり、多田先生の合気道がいかに質の高いものであるかは、つまりそういうことなのである。
そういう天地投げを、目指して今日もたくさん稽古する。
全然上手くいかないけど、めげないで何度も投げる。
そのうちふっと、これだ!!という投げが出来る日が来るかもしれないし。

両手取り
入り身投げ 投げるのではなく切る
アーチを作ってパカッとはめるように入り身に入り、アーチのまま腰の回転、体重移動。
前傾しないこと、かかとを浮かせない、といった細かいことをつい指示してしまう。

四方投げ
一教
外回転からの十字絡み

ちなみに内田先生の朝稽古では加えて二教裏、小手返し上段・下段、外回転投げなど。
技数をこれぐらいこなすには、最初の一時間の準備運動や呼吸法をもっと短くしないといけない。
いつも時間が足りない。
悩ましいことである。

内田先生は技の説明ではあまり細かいことは言われない。
今朝なんて、

突然「あ、一教しよう!」と思いつく。
テンポを合わせない、タイミングをずらす。

内田先生のお稽古では、毎回のようにびっくりするような理合やメタファーが飛び出すが、最初から今日はこれで行こうというのではなく、やってる途中で思いつかれると仰っていた。なかなか自分に真似できるレベルではないが、かといってあれこれ考えて用意していると、きれいにまとまるけどつまらなく終わる。
さっきの話に戻るようだが、やっぱりそうなのだ。やってるうちに出てくるものこそ面白い。「生もの」なんだな。

にしても先生、高度すぎます。