2016年 明けました

明けましておめでとうございます。
新年がスタートして早、三日が経ちました。
みなさん、今年もよろしくお願いいたします。

去年の今頃は、どんなことを考えていたんでしょうか。
少なくとも、今のような自分の状況は想像していませんでした。
え?去年と今とどう変わったんですか?と聞かれたら、いや傍目には大して変ってはいないでしょうけど、この一年の間にいろいろな、私にとっては事件(良いことも悪いことも含めて)がありまして、乗り越えたこと、未だ囚われている事、糧となったこと、など、その経過は様々ながら、それらを経て、今の私は一年前とは相当違っている気がしています。自分が変わったのか、周りが変わったのか。
夢中で歩いているうちに期せずして全然違う、知らない道に出た、というのが今の思いです。

きのう清道館別館の新年イベント、シネマポートレートというのがありまして、各自好きな映画のDVDを持ち寄り、ワンシーンを流して何か語る、という企画だったのですが(詳しくはhp「別館」参照)、私は『バグダッド・カフェ』というドイツ映画を取り上げました。
久しぶりにこの映画を観て、自分にとっていい映画というのは、何度観ても発見があるなあと思います。

この映画、ざっくり言うと、住み慣れた世界からはじかれ逃げてきた人間が、新しい土地へ行き、そのコミュニティに受け入れられるようになるまでを描いたものですが、すでにいくつもの映画で繰り返されてきた古いストーリーと言えます。
私の前に矢野さんが発表した『めがね』という映画も同様のテーマであり、特に女性はこういったテーマに非常に共感するところがあるので、どちらの映画も女性に支持されるのでは、というようなことを昨日は映像を流しながら喋ったんですけど、それだけではこの『バグダッド・カフェ』という映画を語るには全然足りなかったように思います。

さっきの話と少し繋がるのですが、「人は変われる」ということ。
「人は変わらない。けど変えることができる」
形容矛盾のようですが、人は生きていれば否応なしに自分を取り巻く環境が変わってしまうことがある、生きていくためにはそれに応じて自分を変える。
その人の本質は変わることはない。けれど生きる技や術を変えることによって、生きにくい環境をもまた良きものに変えていく力が、本来、人には備わっている。
という、人間の本質的な強さについて、この映画は教えてくれるような気がします。

映画の中で、ドイツからやってきた太った女性は行き場がなく、辿り着いた場所に適合しようと努力するうちに、どんどんと変わっていく。主人公を毛嫌いし追い出そうとひどいことばかりしていた黒人女性も、あるちょっとしたきっかけで別人のように変わっていく。二人とも「変わる」という形式をとりながら、実は隠されていた本当の自分に帰っていく。びっくりするような才能とともに、素直で優しい本当の自分を取り戻していくことで、幸せになる。
肌の色も言葉も、コーヒーの味から着る服まで、全てが違う人が全てが違う人を受け入れることの難しさと可能性について、それでもきっとできるはず、という人類への信頼が、この映画に伏流しているような気がします。

どんな世界でもそうですが、合気道をしていても、様々な人と出会います。
今年もまたたくさんの「異人」と出会うでしょう。
それは何も見知らぬ新しい訪問者ばかりではなく、よく見知っていた人が実は自分にとって「異人」だったと気付くこともある。
合気道はそういう「異人」や「見知らぬ世界」とどう同化するか、を稽古していると多田先生は仰る。
武術とは、「違和感」をどう感じて解消していくか、という技術の鍛練に他ならないのでしょう。

清道館に入ってくる新しい人たちは、ある種の不安と勇気を持って門をたたきます。
自分もかつてそうだったことを、自分が浸かっているぬるま湯に慣れてしまうと、つい忘れがちです。

多種多様な人たちが混ざり合い、同化し融合して行く時にこそ、科学反応で爆発が起きて大きなエネルギーが生まれる。
清道館にはすでに面白いことに、色々な人がいますが、またそうやって向こうから門をたたいて来てくれる人がいるからこそ爆発は起こる。
本当にありがたいことです。

大小さまざまな爆発が今年もたくさん起こって、そこで生まれる大きなエネルギーが、この一年にまた私と私とみんなを、予想もしない場所へ連れて行ってくれるはず。
もちろんそのステージは各々違うでしょうが、あれ?今年はこんなところまで来ちゃった、などと来年の今頃、皆で言いあってますようにと願う、2016年の年頭でありました。