杖道合宿

神道夢想流杖道の合宿初参加

杖道は型の稽古である。
きっちりと決められた、剣と杖の間、間合い、すべてが計算されて完成されている。

現代日本に生きていて、誰かが剣を打って攻撃してきて、それに杖で応じる、という場面は100%、ない。
そもそも杖を日常的に持ち歩いたりする人はいない。
それは合気道もしかり。杖道も居合も合気道も、「かた」を通じて自由を制限しながら、自由に使える身体と心の使い方を稽古している。

という内田先生の説明で始まった杖道稽古。
一泊二日、初日4時間、二日目二時間半の稽古だ。
合気道の合宿に比べたら、短い、と思うかもしれない。
が、杖道はこれで充分というか、ある意味合気道の二泊三日より相当ハードだからだ。

まず、要求される集中度が違う。
4時間の間、途中何度か先生が水分補給のブレークが数回入れる以外、絶え間ない集中が要求される。
合気道では、掛り稽古で受けの順番を待っている時など、歓談したり笑いあったり(本来してはいけないんですよ)、自分の技や動きを確認したりする。
二人で組めば、上級者が指導したり、互いにこうでもない、ああでもないと言いあったりする「合間」みないなものがあるが、そんな「合間」は杖道にはない。誰かが止められて、先生に指導されている間に、こそこそっと確認したりする程度、すぐにまた「集中」が始まる。
加えて内田先生は、杖道の指導に於いては合気道の時とは別人のように厳しい。「違う!」の集中打を浴びた時にはもうえらいことになる。
みんなそれが恐ろしくて、間違えないよう正確に、注意されたら直すことに必死になるので、合気道の時のような「遊び」も「余裕」もない。
だから稽古は毎回、短時間でもへとへとになる。肉体的には激しい動きは殆どないのに、頭と心の消耗が合気道の比ではない。

合気道とは違い、自由はない。
自由はないが、身体はどんどん杖剣そのものになっていく。
合気道のような何万という技数はない。
たった12本の「かた」をひたすら繰り返す。
それだけなのに、ほんとうに難しい。
やってもやっても、剣と杖が「そうではない」と言う。

考えてはいけない、ひたすら剣と杖と「かた」が要求する動き、相手との間と間合いに没頭するのだ。
まずは「かた」を完全に身体化し、相手と錬りあえるまでになること。
その先にはきっと、杖道の「自由の地平」が広がっているはずだ。

合気道が上手くなるよ、と先生に言われて始めた(姑息である。基本ぜんぶこれ)杖道であるが、ようやく杖道そのものががぜん面白くなってきた。