3/1阿波座 3/2中津 

実験の続き。
取り手は、逆半身片手取り、正面打ち。

足裏の接地圧力、手刀・腕(ものうち)の接点圧力を徹底的に、消す。

甲野先生のパワーがマックスになる理合の一つに、足裏で蹴らない、がある。
先生の足の下に手を敷いて、先生が動く時、まったく圧がない、というあれ。
これについては清道館では以前より足捌きにおいて、足裏で畳を蹴らない足捌きをずっと稽古している。
送り足、継ぎ足、で後ろ脚を蹴らずに、畳の上すれすれのところを滑り出すように足を出す。
足を出す、ではなく、体軸移動。体重移動ではない、あくまでも体軸の移動ということ。
以前は体重移動と言っていたが、体重は人によって全く異なる。大柄の男子と細身の女子では、もし使える資源が体重だったら、女子には使えない。
植芝守平大先生は、私と同じくらいの身長(155センチ)だったというから、体重も私ぐらいだったに違いない。なので体重ではなく、体軸ではないだろうかというのが、最近の仮説。
体重を移動する、と体軸を移動する、では全く体感が違う。
体重は足裏にかかる。体軸が移動するとき、体軸全体に体重が言わば分散される。

足捌きではやっていたそのことを、技の中で意識してみる。
小手返し。やった感はみごとに、ない。

手や腕(ものうち)の接点圧力を消す。
正面打ちで相手が売ってくる手刀との接点、相手が掴んでくる手の内の締めと掴ませている自分の手の皮膚感覚、全ての圧力が消える方消える方に動く。皮膚感覚がマックスになる。
入り身投げ、四方投げ。
やった感がいかに消えるか、いかに消すか。

やった感を消す、それは即ち、相手をどうこうしようという執着、相手に技がかかったかどうかへの囚われを消すことに繋がるのではないだろうか。
だから結果的に、宇宙の強い力を動員することができるのではないだろうか。

こういうことを書いたり、稽古で試したりしていて、うっかり重要なことを忘れてはいけない。
大事なのは自分を観るということ。
自分の身体と心は、ものや人への執着から外れることができているかどうか。
多田先生はいつもおっしゃる。
集中と傾注の違いを間違ってはいけない。
相手に囚われていないか、技がかかるかどうかに執着していないか。
大きな宇宙の知恵と力が通って命の力が高まる。
技がかかるのはその結果でしかない。もちろん、こざかしいテクニックではなく。
どうすれば自分のささやかで限られた身体資源と能力で、より大きく命の力を高める心と身体を作ることができるか。
という技術を磨いて自分を高めることで、いかに宇宙に貢献できるか。
昨日より今日、今日より明日、亀の歩みではあるが、実現に向けて前進することができますように。