半分ひとり旅

「私は旅や冒険が嫌いだ。」と、レヴィ=ストロースは「悲しき熱帯」の書き出しで、こう言い放っている。僕も、まったく同意見で、およそ、旅行というものに興味がない。そんな僕が、半分ひとり旅にでかけた。半分と書いたのは、旅先で、友人家族と合流するからである。その友人とは、てつさんのことで、元々は、僕の嫁さんと、てつさんの嫁さんが友だちで、今から約25年前、僕たちは彼女たちを介して出会った。嫁さんたちは仲がいいのにその彼氏、旦那とは、馬が合わないというのは、世間にはよくある話だが、僕たちは違った。ある時期から、嫁さん抜きで会ったりするようになった。そして、僕たち夫婦は、てつさん一家と、所謂家族ぐるみのつきあいになり、毎年、お正月には、てつ家にお邪魔するというのが、習慣となった。ある年などは、どうしてもお互いの都合が合わず、元旦に伺うこととなり、他の親戚に混じって、一緒に食事をするという、そんな付き合いが今でも続いている。

今年の正月、いつものようにてつ家にお邪魔し、僕は、年末にテレビで観た「宗像大社」のドキュメンタリーの話をしたところ、一気に今回の旅が実現したのである。てつさんは、現在、大分で単身赴任中のため、是非、自分が大分にいる間に実現したいとのことで、3月20日~21日の九州旅行が決まった。嫁さんは、合気道合宿のため参加できず、我が家からは、僕だけの参加となり、半分ひとり旅が実現することになる。

3月20日 4時起床。
外はまだ暗い。眠気を覚ますために、コーヒーを入れ、飲む。朝のコーヒーってどうしてこんなにおいしいんだろう。愛猫三匹に、お別れの挨拶。バイバイ。

5時13分
西大橋発始発の地下鉄に乗り、心斎橋で乗換。こんな時間なのに、駅にはたくさんの人がいる。

6時
新大阪発、新幹線「みずほ」に乗る。三連休ということもあって車内は混雑している。みんなどこにいくんだろう。席に座り、今回の予習のために事前に購入した「宗像大社・古代祭祀の原風景」を読み始めるが、泥のような睡魔に襲われ爆睡。途中、何度か隣に座っていたお姉さんの肘鉄砲攻撃に屈することなく、気が付けば、すでに小倉。僕はよく寝るのである。

8時29分
博多到着。てつさんに電話をかけ、予約しているニッポンレンタカーで落ち合うことに。9時過ぎに、てつさん一家がやってくる。奥さんのかわべ(僕は旧姓のまま今でもそう呼んでいる)、長男のまーくん、次男のあきちゃん。まーくんなどは、生まれて数日後から知っていて、大学生になった彼を見ると、何だか不思議な気がする。レンタカーに乗り、目指すは、「宮地嶽神社」。嵐のCMで有名になったらしいが、テレビを殆ど観ない僕は、もちろんそのCMの存在も知らない。この神社に関しては殆ど期待していなかったのだが、そんな僕の思いを大きく裏切ることになる。

11時過ぎ
宮地嶽神社に到着。車を駐車場にとめ、参道を歩く。この参道が、「ひかりの道」と呼ばれているとのこと。そんな説明を、てつさんから聞き、僕の中で何かが動き始める。あきちゃんに、スマホで方位を確認してもらう。驚いた。なんとこの参道は、真西に設けられていたのである。西の方向には、海が広がっていて、秋分の日、春分の日には、この参道の先に海に沈んでいく夕陽を眺めることができる。一体、何のために、こういう道を作ったのだろう。秋分の日、春分の日というのは、言うまでもなく、昼と夜の長さが同じになる日のことだ。それは、生(=昼)と死(=夜)が、同一になる瞬間とも言える。そこには、生は死を超え、死も生を包み込み、生も死も存在しない。そのことを古代の人たちは、どのようにして知ったのだろう。そんなことを考えながら、参道を登りきると、大きな鳥居があり、僕の考えていたことを後押しするようなものに出くわす。そこには、「本殿跡」と書かれた柵が建てかけてあり、その奥には、樹齢(おそらく)何百年という木が祀られていた。生も死も存在しない空間に存在するのは、ただ「自然」だけということの象徴ではないだろうか。「自然」には、生と死を二分する以前のもっと根源的な「何か」が存在し、そのことに人は、霊性を感じ取っていたのではないだろうか、僕はそんな風に考える。
その後、僕たちは、本殿を通り抜け、一番社の七福神社をスタートに、「奥の宮八社」参りを行う。「一社一社をお参りすれば大願がかなう」という信仰があるらしい。何だかテーマパークみたいで少しテンションが下がるが、三番社の不動神社が僕たちを喜ばせる。何と、そこは、日本一の大きさを誇る、横穴式石室古墳の中に、「お不動様」をお祀りしているそうで、また、この古墳は地下の正倉院と呼ばれ数多くの埋蔵物が発掘されたそうだ。つまり、古代の人のお墓(=古墳)が、そのまま神社になったわけである。このことは、現在、僕の敬愛する中沢新一が、週刊現代で連載している「神社アースダイバー」の思想を、ものの見事に体現しているものである。その思想とは、古層の宗教が眠る地に、現在、神社が存在しているというものだ。この古墳は、代表的な海民のひとつである、安曇氏のものらしく、参道の西側に見える相島が、彼らの拠点だったそうだ。安曇氏は、相島から太陽が昇る方角、東の方向にある小高い山に霊性を感じ取り、そこにお墓を作ったというわけだ。太陽が昇るという生の誕生の線上に死を落とし込んだわけである。死と生が同居している。古代の人の持っていた宗教観とは、どんなものだったのだろう。そんなことを考えながら、松ヶ枝餅を頬張り、相島を見に行くことにする。玄界灘は、荒い海だと聞いていたが、殆ど波のない、風だけが舞っているとても静かな海だった。十二分に宮地嶽神社を堪能した僕たちは今回のメインイベント、「宗像神社」へ移動する。

15時頃
宗像神社へ到着。大きな駐車場が、入口に備わっていて、観光地と化しているような第一印象。二男のあきちゃんを今日中に神戸に帰らせなくてはいけないこと、宿泊地の別府には19時には到着したいことなどを考え合わせると、ここに滞在できるのは、わずか1時間。全体図を眺めて、目的を高宮祭場と決める。高宮祭場は、「宗像三女神の降臨地と伝えられています。沖ノ島と並び我が国の祈りの原形を今に伝える全国でも数少ない古代祭場」と説明されている。本殿の脇にある、高宮祭場入口と書かれているところに入ると、凡庸な言い方だが、空気が一変した。空気の密度が濃くなり、気温が少し低くなったような気がした。祭場は、緩やかな坂を約7分登ったところにあるらしい。てつさんが、僕に話かける。「鳥肌立たない?」。僕は、すでに、全身の鳥肌が立っていたので、静かにうなずく。僕とてつさんは、会えば酒を飲みながら延々とくだらない話をして、いつも笑い転げるのだが、この辺りの感覚が共通しているのを、バカ話をしていても、いつもよく感じる。
そして、祭場に着いた。卑怯な言い方だが、とにかく行って体験してほしい、この感覚を。そこには、何もない。広い空地があり、石が並べられていて、その奥に大きな木が生えている。とても静かだ。周りを囲んだ木が風に揺さぶられる音だけが、かすかに聞こえてくる。この静けさは、雪山に登った時の、それと近いものがあるが、似て非なるもののような気もする。古代の人たちは、わざわざこの場所を選び、祈りをささげていたのだろう。一体、何に?そして、人は、なぜ祈るのか?
神宝館を速攻で鑑賞。以下HPより。「宗像大社収蔵品の中でも中心となる神宝で、昭和29年から三次に亘る学術調査で発掘され、その数は8万点に及びます。4世紀後半から約550年にわたって執り行われた大規模な祭祀は、我が国の形成期より仏教伝来を経て、今日の社殿祭祀へと変遷する過程を示す唯一のものです。出土神宝は、古代における我が国の対外交渉を反映する銅鏡、武器、工具、装身具、馬具、金属製雛形品、滑石製品、土器、貝製品などで質・量ともに他を凌駕し、八万点の出土品すべて国宝に指定されています」。
僕は、このことを年末のドキュメントで知り、今回の旅が実現したのである。この神宝の大半は、神の島と呼ばれ、沖津宮がおまつりされている沖ノ島で発見されている。この島は女人禁制で、一般の人は年一回抽選で行くことができるらしい。来年、是非、行ってみたい。

18時30分
途中、小倉であきちゃんとお別れ。バイバイ。あとで、神戸に着いてから、ツイッターで、彼はこうつぶやいている。「九州旅行、めっちゃ楽しかった。また、このメンバーで行きたいな」。なかなか可愛い奴だ。
今晩の宿、別府温泉「豊山荘」に到着。別府の市街地からは少し離れた場所にあり、裏手には鶴見岳が控えている。湯治の宿らしい。晩ごはんまで、少し時間があるので、温泉へ。いざ、風呂場へ入ると、寒い。本当に寒い。風呂場の上部には、窓ぐらいの大きさの長方形の穴が二か所開いている。ブルブルふるえながら、湯船につかる。湯がぬるい。湯に浸かっていても体は温まらないし、洗い場に出ると更に寒いし、このまま体を洗わずに出ていくのも気持ち悪いし、晩御飯の時間は迫ってくるし、八方塞がりな状況の中、結局、歯をガクガク震わせながら、身体と頭を速攻で洗った。逃げ込むように脱衣場に避難。あったかい。
19時から食事。20時30分には終了することを何度も、おばちゃんから聞かされる。人には、それぞれ事情があるんだろう。
21時より、部屋に戻り、宴会の続き。テレビを見ながら、延々とバカ話に花が咲く。ベッキー問題、清原問題、ショーンK問題、リップスライムがいかに人気があるか…。いい加減眠くなってきたので、11時には、就寝。てつさん家族と僕が、川の字になって一緒に寝る。僕は、一体、誰?

3月21日 7時起床。
旅行と言えば、朝風呂。すでに、てつさんは、風呂に入ったようで、湯加減について聞いてみると、ぬるくないとのこと。おそるおそる湯船に入る。温かい。やはり、温泉はこれでないと。

8時
朝ごはん。旅館の朝ごはんは、本当においしい。僕もてつさんも、ごはんをおかわり。ぺろり。今日は温泉三昧。

10時
明礬温泉。いわゆる泥湯で、ジャッキー・チェンも訪れたことがあるらしい。混浴露天風呂へ直行。地面が、泥状になっていて、お湯も泥そのもの。したがって、お湯の中はまったく見えないので、混浴(といってもゾーンで区切られているが)になっている。人生初めての混浴。連休中ということもあり、若い女の子もたくさんいる。しかし、眼鏡を外しているので、まったく何も見えない。

13時
別府海浜砂場。11時30分に到着するも、混んでいたので、13時頃、入浴(?)。別府湾を眺めながら、温かい砂に埋められるというもの。ここも、砂が少しぬるく、出てきたときには、ガクガク震えていた。

14時
昼食をとるため、「地獄蒸し工房 鉄輪」へ。90分待ち。近くで、レストランを探すも適当なところがなく、車で移動。近くには「ヤング劇場」なる、大衆演劇の小屋がある。別府海浜砂場で砂をかけてくれる砂かけさんは、この劇団員が行っていることが多いらしい。そういえば、僕に砂をかけてくれたおばさんもかたぎの人には見えなかった。子供の頃、父親と通天閣で観た大衆演劇のことを思い出す。結局、焼肉屋へ行くことに。明日の晩も取引先と焼肉、しかも僕は、焼肉があまり好きじゃない。まぁ、そんなことも言ってられない。

17時
別府駅着。てつさんは、名残惜しいようで、「軽くいきましょう」と。近くにある、居酒屋で、日本酒。実は、今回の旅行は、次男もこの春から大学生になるので、最後の家族旅行を計画していたところ、当の本人が、あまり気乗りではなかったらしい。計画が頓挫しかけていたところへ、僕の今回の提案が採用され、僕が来るなら当人も来ると言いだし、家族旅行が実現したとのこと。嬉しくなり、ついついお銚子追加。ベロベロ。

18時20分
別府発、特急ソニックに乗車。てつさんは、次の中津で下車。その後の僕の記憶は、あいまいで、気が付くと、無事に帰宅していた。爆睡。