困難な整理

 几帳面な子供だった。この文章はおかしい。主語がないからだ。この文章の主語は、「僕」である。自分でも信じられないが、子供のときの僕は几帳面だった。本棚に並んでいる本は、あいうえお順だったし、カセットテープの背表紙は、レタリングのシールを使用していた。

 いつのまにこんなことになってしまったんだろう。ほとんど悩まない僕でも、さすがに、自分のだらしなさがほとほと嫌になってきた。きっかけは、マンションの大規模修繕である。我が家も、築後14年が経過し、先月より共用部分の大規模修繕工事が始まった。今、我が家のリビングには、共用部分であるバルコニーに無造作に置いていたガラクタであふれ返っている。ほとんどゴミ屋敷状態である。

 そこで、意を決して、整理をすることに決めた。といっても、この性格が一朝一夕で変わるわけがない。だから、ほぼ一年ががりで、ちょっとずつ、片付け、それを記録し、このブログを見た人たちからの𠮟咤激励、情報交換、悩みの共有に期待している。いつものように、この思いつきは、友人との宴会中に閃いた。もう亡くなってしまったが、哲学者池田晶子が、「飲めば飲むほど頭がきれる」というようなことを言っていたが、僕もどうやら、同じタイプらしい。

 世の中には、「モノ好き」な人がいるが、僕は、殆ど「モノ」に興味がない。にも関わらず、この「モノ」の多さをどう理解すればいいのか。そのなぞを解き明かしていきたい。
 
 とりあえず、今度の休み、来週の水曜日がキックオフとなる。

 タイトルは、僕の尊敬する内田樹先生の著書「困難な自由」からヒントを得た。断捨離ということばは、どうしても使いたくなかった。中々しっくりくるタイトルが思い浮かばなかったが、仕事中、営業車で車を運転しているときに思いついた。とても気に入っている。