3/31(木) 石橋 指導:森川

審査のあとさき
                               森川祐子

去年の1月のことだから、もう1年以上前になるが、突然気付いた瞬間があって『稽古を重ねることによって、細胞レベルで分かることがあることに気付いた。だから、やっぱり稽古するしかない。(中略)何度も何度も稽古したら、もしかしたら原子レベルで分かることもあるかもしれない。今はへたくそだけど、もしかしたら“分かる”だけじゃなくて、“知らん間に勝手にできた”“動けた”と思えることもあるかもしれない。わくわくしてきた』と、この「みんなの部室」に書いた。書くだけではなく、ほぼ皆勤でお稽古に出たし、私なりに精一杯励んだつもりだった。そうして臨んだ去年3月の2級審査と9月の1級審査。“動けた”にはほど遠く、実はあまり気持ちのいいものではなかった。なんでかな? まだまだお稽古が足りへんのかな? 出稽古もせんとあかんのかな?

そんな私の葛藤をよそに、月日が流れ稽古数が足りて、先生からお許しが出て、3月の凱風館合宿で初段審査を受けることになった。ほんまに受けてええのですか? 膝の調子も芳しくなく、審査中に膝崩れが起きたらどうしよう・・と不安ばかりが募っていた。

でも、いつだったか定かではないけれど、初段審査を目指す中で、ふっと分かったことがある。3月の時も9月の時も「これだけお稽古してるんだから“動ける”ようになっているハズ」と思っていたな、と。全く驕った思い違いだった。それは、稽古の多少の話ではない。つまり稽古の「数」が足りないのに云々という話ではなく、そんなことは先に思うようなことではない、ということ。そんなふうに思うこと自体がすでに執着だった。“知らん間に勝手にできた”“動けた”なんて、あとで“ひょっとしたらあれがそうだったのかも知れない”と思って一人笑いがこみ上げてくるようなことに違いない。

それからは、ある種の諦観ーと言えばかっこ良すぎるけどーが生まれた。今の私はこれ。それ以上でも以下でもない。やっぱりダメだなあと思ったり、前よりはええんじゃないかい?と思ったり・・。決して「平常心で初段審査に臨んだ」なんてええかっこは言わない。十分ジタバタしたし、必死にもなった。それでも『だから、やっぱり稽古するしかない』は言い方を変えれば、『稽古したことしか出力できない』のであり、さらには『どのように稽古したのか?』が問われるということなのだと思ったから、体が動かなくても諦めがついた。だから、もっと稽古するしかないねん、稽古の仕方考えんとあかんねん、と思えるから。

もうひとつ初段審査を目指す中で気付いたことがある(ほんと、審査っていろいろ気付かされる)。

私はずっと「指に力が入り過ぎ!」「そんな力いらんよ!」と言われ続けている。決して好戦的、攻撃的な人間ではない(つもりだ)けれども、力を入れずにしっかり密着する、というのがどうも苦手で、ずっと悩んでいる。でも、はっと思うことがあった。38年間に及ぶ会社人間のとき、いつも外へ外へ出力し続けてきたな、と。自分の内に向かっていくことは文字通り内向的であって、あまり喜ばれることではなかった。

この気付きには、今受けている「認知運動療法」も影響している。先にも書いたように膝の具合が悪い私は同門の松本さんから認知運動療法を受けているのだが、この療法はまず、自分の体の各部位がどんな働きをしているのかということに私自身が耳を傾けるところから始まった。どうせお前には無理でしょ、と決めつけていた「左ひざ君」が黙っていた(黙らされていた)だけであり、実は他の筋肉や関節やらの助けを借りればもっと冗舌になり、生き生き働き出すのだ、と松本さんに教わって、私は“自分の”「左ひざ君」に目を向けた。そうして「ダメな奴」ではなく「やれることが一杯あるがんばっている奴」と思えるようになった。

「思い込み」という鎧の内に押し込められた「無口な、中身の自分」に目を向け耳を傾けたら、「これまで見えていた、聞こえていた(つまり認知していた)自分」とは違うものが「認知される」。「左ひざ君」だけでは頼りなくても、回りを巻き込むことによって力が倍増三倍増される。同様に、取りである自分だけではなく、受けの力を味方につけたら、大きな力の固まりとなってどこへでも「一緒に」(ここが大事なのではないかと思うのだが)飛んで行けるのではないか、とそんなことまで考えた。そして、つい入りすぎてしまう「自分の力を抜く」のではなく「相手の力の声を聞いてみよう」と視点を変えたら、いつか力を抜くこともできそうな気がする。まだ少しだけど。

さあ、「そんなこんな」な日々のなか、審査の日を迎え・・・そして、終わった。今、はっきり思う。審査なんて、ひとつの通過点にすぎない。でも、この通過点は「通って良し」と先生に言われたが最後、ここに至るまでの自分の、自分でも気付かなかった「無口な、中身の自分」をさらけ出さなくては通れないような、シビアな通過点なのだ。審査の日は、“この”ビール好きな私が早々に切り上げて布団に潜り込み泥のように眠る、ぐらい疲れ切っていた。

審査が終わっても、まだ何も終わっていないように感じていたのは、井上先生渡欧修行中に課せられた、私にとって初めての“代稽古”のせいであったことも確かだ。上に書いたような、審査前に感じたことの必然的な結果として、“代稽古”の主題はすんなり決まっていた。「受けを感じる“取り”・取りを感じる“受け”」。あとは先生から教わった百・千・万の言葉から、この主題を稽古しやすい言葉を選び出さなければならない。

3月31日石橋の道場にて18時から私の代稽古は始まった。

参加は、松本・佐藤・菱田・矢野・趙・本田・神田・柴田(敬称略)の8名。

・体操:ていねいな呼吸を心がけて。「緊張と弛緩」のとき「左足首から先のみ
緊張させて・・」というようにパーツ毎に分けて行った。これは先の凱風館合宿で経験して興味深かったから。
・呼吸法
・四方切り
・受け身、膝行(前後)途中で転換
・二人で向かい合って呼吸合わせ(受けは佐藤君に頼んだ):最初は合わせて、慣れたら陰陽で。3回相手を変えて行った。3回目はもっと離れて。

[逆半身片手]

ここで、今日のテーマは「受けを感じる“取り”・取りを感じる“受け”」と伝える。

・通り過ぎて一直線:接点を大切に。
・完全に通り過ぎて、そこにふわっと落とす:とにかく接点を大切に味わって。

  • 90度の入り身転換。取りは受けの腕の上にふわっと腕を載せる。相対する
  •  :大きな球体。動きの中に巻き込む。
     :入り身転換の足捌きをていねいに。

    以下、全て90度の入り身転換から入る。そのときに二人で作った球体をこわさないようにしながら、その先の技に進むこと。

    ・上段に切って、裏に入って入り身投げ
     :上段に切る前に、取り受け共に相手の腕の感触をよく味わうこと。
     :前足の踏み込み。

    ・上段に切って、表に入って一教/表:同上。受けの脇下を気持ちよく伸ばす。
    ・上段に切って、裏に入って一教/裏:同上。
    ・下段に切って、裏に入って入り身投げ:ガツンはだめ。接点最後まで大切に。
    ・下段に切って、表に入って入り身投げ:同上。
    ・ふわっと手刀でパスして、四方投げ。
    ・全員で自由技:取り手は逆半身片手。できれば、今日やった技を混ぜて。
    ・全員で呼吸合わせ

    ポイント

    • 今日集った8人が呼吸を合わせ、接点を大切にするところから始め、あとは取り受けの二人で作る世界(球体)をこわさないこと。
    • 90度の入り身転換の足捌きはきっちり行うこと。
    • 転換後の前足の踏み込みは、しっかり深く、方向は自在に行うこと。
    • 以上の3点に集中する。なので、技の手順の説明はほとんどしなかった。でも、先輩がちゃんと教えてくれていた!

    ・「パーツごとの緊張と緩和」「陰陽の呼吸合わせ」「全員で自由技」のみっつは必ずしようと思っていた。

    終わってから
    テーマがちゃんと伝わったのかどうか、怖くて聞けなかった。趙さんが「二人でする呼吸合わせが面白かった」と言ってくれたっけ。「二人で作る世界」と連発していたら、なんだか昭和歌謡みたいだった。自由技でみんな楽しそうだったな。趙さんに「腕がらみもどき」が生まれたときは、みんなでやんやの声援だったな・・・と、ここでやっと一区切りついた「私の初段審査のあとさき」。