運命論者のひとりごと

 ゴールデン・ウィークを利用し、紀伊田辺まで一泊二日の少旅行に出かけた。中沢新一先生が南方熊楠賞を受賞されたので、その授賞式での講演を聞きにいくためである。紀伊田辺というのは、大阪から車で約2時間の距離にあり、海水浴で有名な白浜の手前になる。どうして紀伊田辺なのかというと、南方熊楠が生涯の大半を過ごした場所だからだ。とんぼ帰りもしんどいしし、せっかくのゴールデン・ウィークなので、一泊二日で、久しぶりに嫁さんと、差しで行くことにした。道中のことは、清道館館長が、ブログに投稿するかもしれないので、僕は、「その時」のことだけを書くことにする。

 中沢新一のことを知ったのは、今から30年近く前、「ニュー・アカデミズムブーム」の頃である。「ニュー・アカデミズムブーム」というのは、浅田彰の「構造と力」という難解な現代思想の本が、たくさん売れたことをきっかけに巻き起った「ブーム」のことである。中沢新一は、浅田彰と並んで、「ニュー・アカブーム」のスター的な存在だった。とりわけ、中沢新一は、YMOを題材に取り上げるなどして、従来の学者のイメージとはかけ離れていて、とても「かっこよかった」。ただ、恐ろしいほどにヘソの曲がった僕は、「チベットのモーツァルト」を読まなかった。それから、数年が過ぎ、「雪片曲線論」を読んだ。というのは、正確ではなく、挑戦した。まったく、分からなかった。あまりに難解すぎた。それから、10年ほどが経ち、もう一度、挑戦したが、結果は同じだった。そのとき、僕には、無縁な人なんだときっぱりあきらめた。

 それから、さらに10年ほどが経ち、僕は、神戸女学院大学の学祭に仕事を抜け出し、内田樹先生と中沢新一先生との対談を聞きに行った。後だしジャンケンのようだが、両氏は、とても似ているなと思っていたので、このお二人の対談は、僕にとっては夢のような組み合わせだった。さらに、その頃僕は、神戸女学院大学からほど近い、西宮北口で働いていたため、仕事をさぼり、その講演を平日の昼間にも関わらず聞きにいくことができたのである。なんという幸運。
 
 壇上で話をしている中沢新一は、かつてのツンツンとした中沢新一ではなく、酸いも甘いも噛み分け、程良く老成した中沢新一だった。あらゆる知識を総動員し、柔和な口調で語られるその言葉に僕は魅了された。

 そして、2011年、あの地震が起きた年に、僕は、中沢新一の講義を受けることになる。「原発と仏教」と題された相愛大学でのその講義は、平日の昼間に3日連続で開催されるとのことで、しかも抽選だった。まぁ、当たらないだろうし、仮にあたったところで、参加は無理だと思い悩んでいたのだが、「案ずるより産むが易し」と、とりあえず申し込むことにした。すると、当たってしまったのである。しかも、三日とも。それからの僕は、どうやって会社を休むかばかりを考えながら毎日を過ごした。そうすると、その年、たまたま、盆休みに仕事が入ってきて、その振替休日を消化しなくてはならず、この講義に充てることができ、見事に、僕は3日とも参加することができたのである。

 僕は、この講義を通じて、「自分はいったい何を知りたいのか?」という「問い」の輪郭を、以前よりはっきりと認識することができた。「問い」の尻尾が少しだけ見えてきたような気がして、僕は興奮した。

 1日目の講義の授業の合間の休憩時間に、一番前で聴講していた僕たちに向かって、中沢先生は、ニコニコしながら、こう話しかけてきた。

 「話、難しいかな?」

 僕は、緊張しながら、「大丈夫です。こちらを読んできましたので」といい、鞄の中から、中沢先生の当時の最新の著作「日本の大転換」を取り出した。
 
 すると、何を思ったのか、急に中沢先生は、「内田先生のお弟子さん?」と聞いてきた。

 僕の横にいた嫁さんが、ニコニコしながら、はっきりと「はい、そうです!」と返事をした。

 「秋の、凱風館竣工パーティーには僕も行くよ。」

  その言葉を聞いた瞬間に、僕は、そのパーティーまでに「カイエ・ソバージュ」を読むことを自分に課した。「カイエ・ソバージュ」は、中沢先生の代表作
 で、上下二段、821ページに及ぶ大作で、見た目は辞書のように見える代物だ。この日を境に、僕は、中沢先生の講演があると、必ず、予習をするとい
 う勤勉ぶりを発揮するようになる。「大阪アースダイバー」発刊記念講演の日には、前日に発売された「大阪アースダイバー」を半分徹夜に近い状態で
 読み、今回の南方熊楠賞受賞記念講演に備えて、「森のバロック」を読み返した。こんな自分がいたことに、自分自身が一番驚いている。

  ずいぶん、前置きが長くなった。

  その日の朝、僕は、朝ご飯をどうしょうか、迷っていた。宿泊したホテルで食べれば、気楽だが、1,944円と高く、しかも、嫁さんは、あまりバイキングを
 好まない。だからといって、朝から、車を走らせ、レストランを探すのも面倒だし…。結局、無精な僕は、ホテルのバイキングを選ぶことにした。ゴールデ
 ン・ウィーク中の土曜日ということもあり、レストランは混んでいた。

  軽い二日酔いにも関わらず、僕は、ご飯と味噌汁をお代わりしようと思い、テーブルに置かれたジャーからご飯を注いでいると、横に黒いスーツを着
 た男性が視界に入った。休みの日に、仕事、大変だなと思い、何気にその人を覗き込むと、その男性は、釈撤宗先生だった。
 
  「いゃあ~奇遇ですね。」と、ご挨拶もそこそこに、

  「よければ、一緒にご飯、いかがですか?」と、お誘いした。この辺りの、図々しい態度で、僕は、嫁さんによく怒られるのだが、まぁまぁ。

  僕と嫁さんと釈先生の三人でご飯を食べながら、釈先生が南方熊楠賞の選考委員の一人であること、僕たちが、中沢新一の講演を聞きに来たこと、
 そして、今回の中沢新一の受賞は、過去最年少であることなどを伺った。そんな、談笑を続けている僕の視界に、パーカーを羽織った、初老の男性が
 目に止まった。中沢新一だった。釈先生が、すぐに声をかけられ、僕たち三人に加え、中沢先生、選考委員長の松澤先生を加えた五名で食事をするこ
 となった。何とも豪華な朝食である。しかも、中沢先生は、僕の真横に座っている。この年になると、それほど緊張することもないのだが、さすがにこのと
 きばかりは、緊張した。今回、泊まりにしてよかった、ホテルで朝ごはんを食べてよかった、心からそう思った。

  「長生きは、するもんだぜ」(映画「ブラック・レイン」より)