前回の「ZABADAK」の続編のような話。1989年にミュート・ビートが解散し、リーダーの小玉さんは、音楽の世界から消えてしまった。以前、インタビューで、ミュート・ビートを結成するまで、一度、音楽を諦めたことがあると聞いていた僕は、このまま小玉さんが、音楽を止めてしまうような気がしていた。その間僕は、「ZABADAK」周辺の音楽を聴きながら、やり過ごしていた。
そして、1991年、ついに小玉さんが、重い腰を上げる。小玉さんは、The Fishmansのデビューアルバム「Chappie,Don’t Cry」のプロデュースを手掛けたのだ。僕はすぐにCDを買い、聞いた。しかし、ミュート・ビートの幻影を追い続けていた僕にとっては、少し物足りない作品だった。リーダー佐藤伸治が描く世界観には、多少興味を示したが、次の作品を聞きたいとまでは思わなかった。
それから時が経ち、僕は、仕事中にラジオから流れるある曲に出会う。まるで、往年のコクトーツインズを思わせるようなイントロで始まるその曲「ナイトクルージング」は、歌が始まった瞬間に、すぐに佐藤伸治の声だと分かった。The Fishmansだった。4年の間に、このバンドは進化し、デビュー時には欠けていたパンチのようなものが身についていた。僕は、久しぶりに音楽を聴いて興奮した。
さらにそれから、2年後、1997年、神戸チキンジョージに「Rock Around Kobe」というイベントを観に行く。もちろん、The Fishmansを観るためだ。すごいライブだった。間違いなく、僕が今まで観たライブの中で、5本の指に入る内容だった。原型を留めず、ズタズタに解体した「Go Go Round This World!」、40分近くに及ぶ「Long Season」、そして「ナイトクルージング」。どの曲の演奏も、いかれていた。ライブが終わり、僕の後ろで、エンジニアのZAKとその友人と思われる男との会話が聞こえた。
「やりすぎやで」
「そうかな~(笑)。」
この会話は、この日のライブ中でのZAKのダブ処理についてのものである。ほとんど原曲を無視したと思われるほどの、暴力的ともいえるダブミックスだった。
ミュート・ビートを筆頭に、The Fishmans等は、ダブと呼ばれているジャンルの音楽に入る。ダブというのは、ある一部のパート(ドラムやギターなど)に極端なディレイ処理を行うものである。Culture Clubの名曲「君は完璧さ」の編曲部分のエフェクト処理されたドラムを想像してもらったら分かりやすいと思う。
1999年に佐藤伸治が亡くなるまで、僕は、大阪でのThe Fishmansのライブは、おそらくすべて見ている。ライブ中、佐藤は、PAに向かって音の小ささをよく指摘していた。
「もっと、音、大きくして!!」
佐藤に指摘されたあとの爆音で聞く、The Fishmansのライブは、なんとも気持ちよかった。
この当時の音楽雑誌で、あるライターが、The Fishmansについての記事を書いていた。「今、日本の音楽は、世界的に見ても、大変レベルの高いものである。テクノロジーとRockの融合に見事に成功した。」
確か、このような内容だったと思う。僕もこの意見に同意する。The Fishmansが、日本の音楽の一つのピークだったと僕は思っている。遺作となってしまった「ゆらめきIn The Air」は、今後の日本の音楽の方向性を占う意味で、非常に重要な一曲だったのに、佐藤の死は、残念で仕方がない。
その後、The Fishmansは、伝説となった。その後、メンバーを流動的にし、時折ライブを行っているらしい。昨年、「OTODAMA 2015」で、久しぶりにThe Fishmansのライブを見た。僕よりも、はるか年下の子たちが、演奏に合わせ、歌詞を口ずさんでいた。
来週、デビュー25周年を記念したThe Fishmansのライブを観に行く。