困難な整理 その2

 20代の頃の、僕のアイドルは、「中島らも」だった。その中島らものことばに、「親子というのは凹凸のようなものである」というような内容のものがあった。さすがにうまく表現するなと感心したのをよく覚えている。そして、このことばは、あらゆる人間関係に当てはまるのではないかと思っている。

 僕には、中学一年生からのともだちがいる。40年近くも、つきあいが続いている計算になる。しかも、この間、特につきあいが途絶えたことがないという
気持ち悪い関係でもある。中島らものことばを借りれば、僕と彼の関係も「凹凸」である。出不精で、物欲のない、飲酒好きな僕に対し、彼は、家にいるとイライラするらしく、アルコールなどこの瞬間に世の中からなくなっても少しも困らないらしい。挙句の果てに、僕たちの大好きな、超マイナーなミュージシャンの好きな曲も、だぶらない。どこまでも「凹凸」なのである。あるとき、この「凹凸」について彼に尋ねたことがある。
 「俺とお前が、今出会ったとして、やっぱりともだちになるだろうか?」
 「そら、そうやろ。なんでそんなしょうもないこと聞くの?」と彼は、即答した。僕の予想していた答えとは、全然違っていた。

 一方、数年前によく通ったバルの店主と僕の趣味は、ほとんど同じだった。海外サッカー、山登り、村上春樹。ここまで、趣味の近い人間もそうはいないだろうと思うが、僕たちは、そんなに親しくならなかった。

 さて、「困難な整理」であるが、遅々とではであるが、少しづつ進んでいる。このPJを始めて、改めて分かったことがある。それは、僕と嫁さんも、「凹凸」だということである。嫁さんの「ストック型」に対し僕は「フロー型」とでもいえばいいだろうか。

 先日、道具箱を整理していると、その道具箱の中に、ドライバーセットが、3つもあった。このように我が家には、同じものがたくさんある。歯磨き粉、
メジャー、消しゴム、そしてあふれんばかりのタオル等、数え上げればきりがない。もうこれは、彼女の性格というか、性向なので、僕は潔くあきらめることにした。その代わり、その使わないものたちを再利用することにした。整理途中で、発見された、よくわからない「ラック」があったので、「DVD収納箱」へ変身。使うことのなくなった靴箱は、「CD収納箱」となったのである。レヴィ=ストロースのいう「ブリコラージュ」である。

 このように「ブリコラージュ」整理を始めたのであるが、果たしてこれからどうなっていくのか。

 みどりさん、返事が遅くなってごめんなさい。