ZABADAK

 1989年、僕は23才だった。その年、世界は大きな転換期を迎える。ドイツのベルリンの壁が崩壊し、中国では天安門事件が起きた。そしてこの年、ミュート・ビートが解散し、松田優作が亡くなった。松田優作の訃報を聞いた僕は、その週に、彼の遺作である映画「ブラック・レイン」を、映画館に3回も足を運び観に行っている。それぐらい、僕にとっては、ショックが大きかった。

 この年、僕の中で大きな何かが損なわれたような気がした。

 聞きたい音楽を見失った僕が、出会ったのが「ZABADAK」だった。「ZABADAK」というのは、吉良知彦と上野洋子のユニットで、プログレをベースに、ケルト音楽等民族音楽の要素を加えたものだった。バンドでの編成も、ヴァイオリン、アコーディオン、リコーダー等、当時としては、新鮮なものだった。
 
 「ZABADAK」を知るようになったのは偶然で、その日の深夜、ミュート・ビートのライブが少しだけ放映されることを知った僕は、テレビの前で今か今かと、ミュート・ビートのライブが始まるのを待っていた。ところが、そこに現れたのは、名前も聞いたことのないバンドだった。このバンドは、当時、僕がジャケ買いで見つけてきた、ノルウェーのバンド「フラリッポリッピ」の曲をカバーしていたのである。当時、僕はおそらく一番音楽を聴いていたころで、なんの情報も持たずに、ジャケットだけでレコードを選び、新しい才能を探すという、離れ業を持っていたりもした。僕は、翌日、梅田の貸レコード屋に行き、ZABADAKのLPを借りた。
 
 今から思うと、1989年を境に、僕は、「ZABADAK」を聞き、村上春樹の小説を熱心に読んでいたような気がする。それは、心にぽっかり空いた穴を、何とか埋めようとしていたのかもしれない。

 そんな「ZABADAK」の頂点と呼んでもいいアルバム「遠い音楽」に収録されているタイトル曲「遠い音楽」が秀逸である。作詞は、よしもとばななの挿絵で一躍有名になった原マスミ、作曲は、もちろん吉良知彦。そこに透明感あふれる上野洋子のボーカルが重なる。奇跡のような作品だ。

 原マスミは、もうすでになくなってしまったものの象徴として、音楽を選び、「遠い音楽」と名付ける。僕にとってそれは、あの年に失った「何か」だった。このあとバブルの崩壊した日本は、「失われた10年」へと突入していく。橋本治は、著書「バカになったか、日本人」のなかで「なにが悲しいと言って、日本人が変わってしまったこと。そのことが悲しい」と言っているが、この年に僕たちが失ったものは、「これまでの日本」なのではないだろうか?

 今日、ニュースで、吉良知彦の訃報を知った。56才だった。

 僕の好きなアーチストは、みんな若くして死んでいく。寺山修司、松田優作、佐藤伸治、中島らも、森田芳光、そして吉良知彦。

 ご冥福をお祈りいたします。