「思い出ごはん」

 怠惰な休日の過ごし方をしている。僕のことを少し知っている人は、釣りをしたり登山をしたりと、アクティブな印象を持っているかもしれないが、僕は、完璧なまでにインドアな傾向が強い。友だちなどは休みの日に家にいてると、頭がおかしくなりそうな気がするそうだ。僕は、まったく逆で、休みの日に次々と予定が入ったりすると、それだけで、気が滅入ってしまう。

 先月、内田樹先生他数名と、白馬にトレッキングにいったのだが、僕のあまりのスカスカのプラン(何せ、プランの中には、昼寝が入っている!)に、「こんなに何もしなくていいのだろうか?」とお褒め(?)の言葉をいただいたぐらいである。僕としては、精一杯立案したつもりだったのだが…。

 さて、そんな怠惰な休日の楽しみのひとつが、TV番組「よ~いどん」の中の「思い出ごはん」である。毎週、ゲストを迎え、今までに印象に残っているごはんと、それにまつわるエピソードを披露するというものだ。どのエピソードもほとんどが、昔自分が苦労していたときに食べたあの時のあの味というものが多く、人の苦労話が大好きな僕は、休みの日の午前中から、キュンとしてしまう。この番組をみていて、つくづく思うのだが、どういうわけか、ごはんの記憶というのは、楽しい記憶とはリンクせず、悲しかったり、つらかったり、切ない記憶とともに保存されているらしい。

 その日、小学校から帰ってくると、母親から、すぐに買い物に出かけることを伝えられた。その頃、我が家では、ちょっとしたものの買い物には、阪急伊丹駅周辺のスーパーによく行った。「伊丹」に行くのは、土、日の昼間と決まっていたのに、平日の夕方から「伊丹」に行くのに、僕は少し違和感を覚えた。母親にそのことを尋ねると、母の父、つまり祖父が「キトク」なので、明日、田舎に帰るとのことだった。小3の僕は、「キトク」の意味が分からず、「キトクって何?」と母に聞いた。母は、「死ぬかもしれないってことよ」とぶっきらぼうに教えてくれた。当時、田舎に帰るときには、必ず、僕は服を新調してもらった。母にとっては、自分が生まれ育った家にも関わらず、結婚した彼女にとっては、そこは、何か特別な神聖な場所だったのかもしれない。そういえば、田舎に帰るといえば、母親はなぜか機嫌が悪くなっていたような気がする。

 最寄りのバス停からバスに乗り、「伊丹」へと向かった。バスの窓は、曇っていて、手でキュッキュッと窓を拭き外を眺めた。いつも見慣れている風景が、冬の夜の風景となると、別のものに見えた。伊丹に着くと、夜の伊丹の街は、僕の知っている表情とは一変し、初めてみる「夜の街」は何か少し怖い感じがした。僕は、母に連れられて、「関西スーパー」の2階にある洋品コーナーに行き、ジーパンを買ってもらった。当時、毎週TVで観ていた「太陽にほえろ」のジーパン刑事と同じフォルムの「BIG JOHN」のだった。店を出てあたりを見渡すと、真冬ということもあり、真っ暗だった。吐いた息が真っ白く、夜の空は、カラスのようにどこまでも黒かった。関西スーパーからいつもの商店街に向かった。商店街を歩きながら、母が「遅くなったし、ごはん食べて帰ろう」と言った。僕は「うん」と頷いた。そして、僕たちは商店街に面したうどん屋に入った。ごく普通のどこにでもあるうどん屋だった。当時の我が家の外食といえば、長崎屋で買い物をしたあとに食べる、地下1階のフードコート内にあるお好み焼き屋だったので、この日が初めての「外食」だったかもしれない。母は、天ぷらうどんを二つ注文した。母の好物は、天ぷらうどんだった。

 落ちのない話となってしまった。この天ぷらうどんにまつわる話は、これだけである。特に、何があったわけではない。しかし、僕の「思い出ごはん」といえば、あの日、伊丹の商店街のうどん屋で食べた「天ぷらうどん」になる。あの日の夜の街の感じ、あの日の冬の寒さ、うどん屋の店内の様子は、今でもありありと思い出すことができる。

 先日、実家に帰り、母といつものようにたわいのない話をしていた。今年で80才になる母の横顔は、すっかりおばぁちゃんとなり、しわだらけである。母が、唐突に「あんたと昔行った、伊丹のうどん屋のこと覚えているか?おいしかったなぁ」と、遠くをみるような目をして、ぼそっと言った。