「Fantôme」(井上英作 2017年1月7日)

Fantôme。フランス語で「幻」、「気配」などを意味する。宇多田ヒカルの8年振りの新作のアルバムタイトルだ。

宇多田ヒカルの曲を最初に聞いたのは、1999年の冬、言わずと知れた名曲「Automatic」だった。その頃、僕は当時としては若くして管理職になり、管理職の難しさに悶々としていたころで、この曲のことは、今でもはっきりと覚えている。宇多田ヒカルの偉大さを挙げればきりがないが、僕が、最初に驚いたのは、その言葉の使い方だった。「Automatic」の出だし部分、「七回目のベルで」を「な なかいめのベ ルで」というようにことばを分解し、その意味を取っ払ってしまったのである。それ以前に、桑田佳祐が、繋がりのない言葉を繋げる手法(勝手にシンドバッドなど)により文章を解体しことはあったものの、宇多田ヒカルは、それ以前のことばの持つ意味そのものをなくしてしまった。しかも、15才という若さで。僕は、凄い人が出てきたなと、妙に感心してしまった。

そして、昨年、宇多田ヒカルは、8年ぶりに新作「Fantôme」を発表する。音楽の趣味が、とても偏っていることに自覚的な僕は、もちろん、そんなことなど知る由もないが、昨年末のTV番組「SONGS」で、このアルバムのことを知る。TV画面の向こう側で、歌を歌う宇多田は、歌詞を発するのをためらいながら、それでも、一言一言をとても大事にして、丁寧に歌っているように見えた。そこには、ことばを解体し続けた宇多田はいなかった。その番組を観て以来、年末から年始にかけて、僕たち夫婦の話題は、専ら、宇多田ヒカルのことばかりになってしまった。年越しそばをすすりながら、旧友と焼き鳥を食べながら、録画した「SONGS」を酒を飲みながら何度も見て、僕たちは、宇多田ヒカルの話ばかりをして休日を過ごした。

中でも秀逸な作品が、このアルバムの代表曲「道」である。この曲は、宇多田本人も言っているように、亡くなった母・藤圭子に捧げたものである。宇多田は、「始まりはあなただった」ということを認めた上で、サビの部分では、「lonley」と「not alone」を執拗に繰り返す。さらに、「目に見えるものだけを信じてはいけないよ」と言ったうえで、「あなたの声が聞こえる」と言い放ってみせる。言うまでもなく、この曲は、死者のことを歌った曲である。

中島らもの名著「頭の中がかゆいんだ」の中で、「「生」の反対語は「死」ではなく、「生きていない」ではないのか。「生」に対し、「死」という概念を持ち込んだために話が面倒くさくなった。」というくだりがあるが、僕もまったくそのとおりだと思う。宇多田は、この8年間の間に、、母を失い、子供を産んだ。そんな宇多田にとって、「生」と「死」は対立するものではなく等価なもので、また、不在となってしまった母(=死者)を身近に感じることで、初めて「生」を実感したのではないだろうか、僕は、そんなふうに考える。だから、宇多田には母はすでにそこにはいないから「lonley」だけど、死者の「気配」がいつもそこにあるから「not alone」なのである。母は、「気配」として、彼女にずっとつきまとうのだ。「死ぬのはいつも他人ばかり」と、寺山修司はデュシャンのこのことばをよく引用したが、宇多田にとって母は、死んでいなかったのである。

 

僕もこの年になり、身近に死を体験してきたからこそ、こういうように考えることができるようになったわけだが、宇多田ヒカルは、30代にして、このことに気づき、そして、そのことを自分のことばで表現している。

宇多田ヒカルは、「かっこいい」。