「たくさんの先達と桂米朝師匠」  本間隆泰

「たくさんの先達と桂米朝師匠」  本間隆泰

桂米朝(敬称略)といえば、
戦後に担い手がおらず、
滅亡寸前とまでいわれた上方落語を
八面六臂の活躍で復活させた立役者であり、
最近ではアンドロイド人形にもなった大変な人物である。
その桂米朝の生い立ちから晩年までの様子に触れられるということで
先日、兵庫県立歴史博物館(姫路市)の
特別展示「人間国宝 桂米朝とその時代」を観に行ってきた。

幼少のころの写真から
小学校、中学校のころの通信簿(数学や化学は苦手だったような)や自由研究、
東京での下宿時代に寄席通いをされていた時の記録帳や
会社員時代に姫路で寄席の世話人をされていた時の資料など
貴重な遺品が時代に沿って展示されており、
その一つ一つを興味深く拝見させていただいた。

数々の興味深い資料の中で特に印象深いものが二点あった。
そのうちの一つは米朝の師匠である四代目米團治(1951年没)から
米朝に宛てられた遺言にあたる手紙である。
手紙のなかで、まだ入門五年目である米朝の行く末を案じながら
「私の芸が必ず世間に認められる時が来る。
私が生きている間には無理かもしれないが、
あなたの代か、それ以降に認められる時が来ることを確信している。
私と私の芸の継承してこられた諸先輩方のために
あなたの芸が認められてほしい」と想いが綴られていた。
(私の記憶より引用 原文のママではありません)

自分の信じた芸術を自身の代で滅ぼしてしまってはいけないという切実さが
直筆の手紙からひしひしと伝わってきた。
私が物心ついて以降、落語に人気があったかどうかはわからないが、
落語が消滅するという危機感を抱いたことはなかった。
このたびの米團治の手紙を拝見した時は痩身の四代目米團治の写真も相まって
感慨深いものがあった。

もう一つの興味深い展示物が
1959年の三代目桂春團治(2016年没)の襲名時の資料であった。
福團治から3代目春團治を襲名する際、
米朝は春團治に対して「持ちネタの数が少な過ぎるのではないか」と苦言を呈するとともに
「代書屋」(四代目米團治の創作)、「皿屋敷」、「親子茶屋」等の演目を
春團治に伝授したという凄い話があるのだが、
「親子茶屋」については、口伝えで稽古する時間がなかったため、
内容は原稿用紙に記されて春團治に渡されたとのことであった。
その原稿用紙が三代目春團治の遺品から発見され、
今回の展示で展示されていた。
「親子茶屋」の口演内容の一言一句が原稿用紙に丁寧に記されており、
原稿の末尾には柔らかな筆跡で「御身大切に 春團治師匠様」と記されていた。
仲間である春團治を気遣うとともに落語という芸をよりよい形で
継承したいという思いが伝わるもので、
両師の「親子茶屋」がより一層味わい深くなった気がした。

俳優の小沢昭一が米朝へ宛てた寄せ書きのなかで
米朝を偉大な先達と評していたが、まったくその通りだと感じた。
米朝のように自身の芸を追及してきた沢山の先達がいたからこそ
いまのんびりと落語を聞くことができる。

博物館からの帰り道、
壁面が真新しくなった姫路城を眺めながら
米朝の大きさと沢山の先達の有り難さを
しみじみ実感した次第である。

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