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「Kホラー」(2017年10月13日、井上英作)

 2015年10月、僕は念願の「寺小屋ゼミ」生になった。「寺小屋ゼミ」とは、内田樹先生の主催するゼミのことで、元々は、内田センセが神戸女学院大学時代に、社会人向けに講義を始めたことに端を発する。ルーティンを重んじる内田センセは、その始める日時も、神戸女学院大学時代と同じ、火曜日16時40分という、カタギの人間にはなかなか参加するとのできない時間帯だったのだが、水曜日が定休の業種で働いている僕にとっては、火曜日というのは、比較的休みやすく、また、昨今の働き方を見直す世間の風潮を追い風に、ようよくゼミに参加することが可能になった。

 この世で嫌いなものの上位に、学校、あるいは教師を挙げるような僕が、なぜか休みの日に、電車で約1時間かけて、「元大学の教師」の話を聞きに行くなど、若かりし自分には、想像することさえできなかったのだが、年を取るというのは不思議なもので、今では、内田センセの前、つまり一番前の席に鎮座し、挙句の果てに、毎回質問をするなどという事態になってしまっている。こんな事態に、何より自分自身が一番驚いている。

「寺小屋ゼミ」は、内田センセの与えられたテーマに沿って、ゼミ生が発表を行うというもの。2017年度のテーマは、「東アジア」。「東アジア」の何れかの国の政治、経済、文化…について考察するという内容である。僕が今回発表をするにあたって選んだ国は、韓国。選んだ理由は、数年前に朝日新聞の記事で知った、韓国の自殺率の高さにショックを受けたからだった。その年、OECD加盟国で、自殺率第一位が韓国、そして第二位が日本だった。韓国の自殺率の高さについては芸能人の自殺など、ある程度の認識はあったが、ここまでの高さだとは、思ってもみなかった。続いて日本だったことも、さらにショックに追い打ちをかけた。この事実と、当時、僕が集中的に観ていた韓国映画のあまりに生々しい暴力描写とが、僕のなかでひとつにつながった。韓国映画について調べれば、韓国が内在している「闇」がわかるような気がした僕は、まずは、韓国映画の歴史について調べようと思い、仕事帰りに、紀伊国屋梅田本店の映画コーナーに立ち寄ってみた。すると、何と一冊も韓国映画史に関する本がなかったのである。「まぁそんなこともあるさ」と虚勢を張り、西梅田のジュンク堂本店にも行ったが、徒労に終わってしまった。僕は、絶望的な気分で家に帰り、PCでamzonの画面を開き、期待もせず「韓国映画史」と入力してみた。すると、タイトルもそのまま、「韓国映画史」(キネマ旬報社)という本がヒットした。やれやれ。

 この「韓国映画史」という本は、なかなか興味深いもので、中でも、チョン・ソンイルという映画評論家の分析に、僕は興味をひかれた。彼によると、韓国映画のベースにあるのは、メロドラマで、それが変形したものとしてホラー映画、アクション映画が存在するというものだった。この分析を読んだとき、僕は、自分の大きなミスに気が付いた。僕は、韓国ホラー映画を一本も観ていなかったのである。しかし、同時にこのことは、今回の発表について、大きな方向が見えてきたような気がして、僕は少し興奮した。

 早速、僕は、ホラー映画に関する文献を集めた。これらの文献を読み漁ってみて、僕は、気づいた。僕は、ほとんどいっていいほど、文献に紹介されている「死霊のはらわた」、「悪魔のいけにえ」、「ブレインデッド」…など、ほとんどのホラー作品を観ていたのである。僕は、物心ついてから怖いものが大好きで、その延長としてホラー映画もたくさんみてきた。正確に言えば、実は、僕は映画ファンではなく、ホラー映画フアンなのかもしれない。僕は、慌ててそれらの文献で紹介されている韓国ホラー映画を、職場の近くにある「TSUTAYA」で借り、毎晩のように、韓国ホラー映画を観た。もし、職場近くで猟奇殺人事件が起こり、「TSUTAYA」で僕のレンタル履歴を調査されたら、僕は、間違いなく容疑者の一人になっていたであろう。

 韓国ホラー映画を観ていくうちに、そこには、大きな特徴と傾向が見て取れた。まず、どの作品も話型が同じだということ。そして、映画内に散りばめられた記号が同じということである。例えば、ハリウッド映画は、実にたくさんのジャンルのホラーを制作している。ゾンビもの、SFもの、猟奇殺人もの…などなど。挙句の果てに、最近では、明らかにネタ不足の様相を呈し始めている。「エイリアン」VS「プレデター」、あるいは、「ジェイソン」VS「フレディ」と、いくところまでいった感さえある。このように、アメリカ人が、ありとあらゆるものを恐怖の対象としているのに対し、韓国人は、同じ話型、同じ記号に恐怖を感じているのである。具体的には、次の記号たち、「大変美しい女」、「姉妹」、「悩む姉」、「殺され(そうになる)る妹」、これらを組み合わせることによって、韓国ホラー映画の話型は、大体成立する。例えば、韓国ホラー映画の代表作「箪笥」を例に取ってみる。継母(=「大変美しい女」)にいじめられる「姉妹」。「殺された妹」の亡霊に「困惑する姉」。他のホラー作品も、ほぼ同様に、これらの記号を少しアレンジすることで物語が成立する。僕は、このことが一体何を意味するのか、その答えを知りたかった。悶々とした日が、何日も続いた。そんなとき、以前、四方田犬彦のことを、知人から聞いていた僕は、彼の著書「怪奇映画天国アジア」を、藁をもすがる思いで読んでみることにした。その中に、フロイトの「不気味なもの」という論文が紹介されていた。不気味とは、ドイツ語でunheimlichというそうで、「heimlich」ということばを「un」で打ち消しているとのことだった。「不気味なものとは、慣れ親しんだもの、馴染みのもの(=heimlich)であり、それが抑圧された後に回帰してきたもののことである」(「ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの」2011年、フロイト、中山元訳、光文社、P187 )と定義されていた。

 僕は、ひとつの仮説を立てた。韓国ホラー映画がジャンルとして確立されたのは、1998年の「女高怪談」からである。そしてこの作品は、韓国で大ヒットし、以後シリーズ化されている。奇しくも1998年といえば、韓国がIMF危機に遭遇した翌年である。日本の植民地から解放され、その後長く続く軍事独裁政権を経て、ようやく民主化を果たした韓国が、通貨危機という最大の国難に見舞われる。その国難を回避するために、それまでのもの(文化、伝統…)をかなぐり捨てて、大きく舵を切った結果、失うものも相当大きかったに違いない。そのことが抑圧され、恐怖という形で回帰しているのだろう。つまり、韓国ホラー映画に散りばめられた記号たち、「大変美しい女」とは、「慣れ親しんだ、馴染みのある」かつての文化や思想のことで、「妹」とは、受け入れ難い「新しい思想」を指し、最終的には、物語のなかで「殺される」のである。

 この発表を終え、内田センセからは、このように韓国ホラー映画が同じ話型に留まり続けているのは、韓国のなかで、いまだに過去を抑圧してしまったことが、昇華しきれていないのでは?というご意見をいただいた。それから、僕はずっとそのことを考えつづけていた。

 そして、あの「チェイサー」の監督ナ・ホンジンの最新作 『哭声/コクソン』を、僕は、観ることになるのである。

「アウトレイジ 最終章」(井上英作 2017年10月9日)

 映画をどういう基準で観るのか?ジャンル?、出演者?、監督?…etc.僕は、間違いなく、この問いに対しては、「監督」と答える。それは、映画に限らず、本を選ぶときも、音楽を選ぶときも同じだ。

 映画館で映画を観る機会が極端に少なくなった僕が、映画館に足を運んでまで観る映画と言えば、リドリー・スコット、デビッド・リンチ、石井隆、そして北野武の作品ぐらいである。そして、満を持して、北野武の最新作、映画「アウトレイジ 最終章」を、仕事帰りに大阪ステーションシティシネマで観た。

 前回の「アウトイレジ ビヨンド」の出来が、あまりに素晴らしかったので、今回の「アウトレイジ 最終章」をとても楽しみにしていた。しかし、「アウトレイジ 最終章」を観終わった僕は、どんよりとした気分で、四ツ橋線を走る地下鉄の車両に揺られながら、そのあまりの「後味の悪さ」について想いを巡らせていた。「この「後味の悪さ」は、一体、どこからくるのだろうか?」答えの出ない問いに苛まれ、僕は、今日、北野武の初期代表作「ソナチネ」をDVDで観ることにした。何度観たかわからないこの作品を観ることにより、この「後味の悪さ」の尻尾のようなものが見える気がしたからだ。

 「ソナチネ」は、1994年に劇場公開された作品で、僕も梅田ピカデリーでこの作品を観た。いまだに北野作品では、一番好きな作品だが、確か封切後二週間で打ち切りになったように記憶している。このように、この作品は、日本での評価は見事なまでに低く、一方、ヨーロッパ、特にフランスでは、日本での評価とは裏腹に、とても評価され、北野作品で表現される色彩を表して「キタノブルー」と呼んだり、北野監督のフォロワーを「キタニスト」と呼び始めるきっかけとなったのが、この作品である。言うまでもなく、この作品から4年経過した1997年に北野武は、「HANA-BI」でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得し、世界的にその地位を獲得することになる。そして、この「ソナチネ」という作品を語るうえで、忘れてはならないのが、同じ年に北野武が起こしたバイク事故のことである。「血まみれで、頭はずたずた、あちこち骨折して、顔はゆがんで、半分、陥没してた。」(「KITANO PAR KITANO」@ミシェル・テマン、2012年、早川書房、P167 )そうである。退院後、顔を倍ぐらいに腫らしながら、記者会見を行った北野武のその時の映像は、今でも鮮明に記憶に残っている。先日、TV番組で、北野がこのときのバイク事故について、真相を明らかにした。自信たっぷりに「ソナチネ」を公開したものの、メディアは、この作品をこけ落とし、仕事に行き詰まりを感じていた当時の状況と重なり、「記憶は定かではないんだけど、衝突する直前に、たぶん「行け!」とか、叫んだんじゃないかな」(前出、P167)というような精神状態だったようである。

 「ソナチネ」という作品は、死にたがっている、ヤクザの主人公、村川の話である。冒頭で、村川は、子分のケンに「ヤクザ、辞めたくなったなぁ」とその心情を吐露し、あまりにも有名な、沖縄での砂浜で子分たちと戯れながらロシアンルーレットを行うシーンで、村川は、自分の頭を拳銃でぶち抜く幻想に襲われる。また、「あんまり死ぬのを怖がってると、死にたくなっちゃうんだよ」と、村川は沖縄で知り合った女に向かって言う。そんな村川は、ラストシーン、長く続く道の途中、車を脇に止め、拳銃で自決する。この「ソナチネ」という作品には、全編にわたり、むせ返るような「死」の匂いが充満している。しかし、この作品で表現されている「死」は、あくまでも、当時の北野監督が想像していた、観念としての「死」であり、それは、どこか、官能的で、ロマンティックなものに過ぎなかったのでは、ないだろうか?実際、ラストシーン、ずっと続く長い道は、未来を暗示させるものだし、北野武は、バイク事故で死なずに、今でも元気に活動している。

 前置きが長くなり過ぎた。「アウトレイジ 最終章」の話だった。この作品で、主人公の大友は、前二作でのいろいろな抗争にケリをつけるため、大森南朋扮する市川と二人で、マシンガン片手に殺人を繰り返す。それは、あたかも「昭和残侠伝」での花田秀次郎(高倉健)と風間重吉(池部良)を彷彿とさせ、「ソナチネ」で描いた「死」に向かっていく男たちの話である。言いかえれば、「ソナチネ」が復活したともいえる。最初、コマーシャルで、マシンガンを持つこの二人を観たときには、違和感を感じたのだが、実は、大友は、「ソナチネ」の村川だった。そう、村川は、「ソナチネ」のラストシーンで、マシンガンを引っ提げて適地に乗り込んでいたではないか。村川は、死んでいなかったのである。北野監督は、この作品で、「ソナチネ」で死にきれなかった村川(=大友)を殺すことによって、観念としての死に決別し、本当の死を迎え入れたのだと思う。それは、バイク事故で「死ねなかった」北野武が、70才という年令を迎え、足音を立てながら身近に迫りつつある死に対する、現在の心境なのではないかと想像できる。そのあまりに、生々しい死が、この映画の「後味の悪さ」を観るものに強要させてしまうのである。