「アウトレイジ 最終章」(井上英作 2017年10月9日)

 映画をどういう基準で観るのか?ジャンル?、出演者?、監督?…etc.僕は、間違いなく、この問いに対しては、「監督」と答える。それは、映画に限らず、本を選ぶときも、音楽を選ぶときも同じだ。

 映画館で映画を観る機会が極端に少なくなった僕が、映画館に足を運んでまで観る映画と言えば、リドリー・スコット、デビッド・リンチ、石井隆、そして北野武の作品ぐらいである。そして、満を持して、北野武の最新作、映画「アウトレイジ 最終章」を、仕事帰りに大阪ステーションシティシネマで観た。

 前回の「アウトイレジ ビヨンド」の出来が、あまりに素晴らしかったので、今回の「アウトレイジ 最終章」をとても楽しみにしていた。しかし、「アウトレイジ 最終章」を観終わった僕は、どんよりとした気分で、四ツ橋線を走る地下鉄の車両に揺られながら、そのあまりの「後味の悪さ」について想いを巡らせていた。「この「後味の悪さ」は、一体、どこからくるのだろうか?」答えの出ない問いに苛まれ、僕は、今日、北野武の初期代表作「ソナチネ」をDVDで観ることにした。何度観たかわからないこの作品を観ることにより、この「後味の悪さ」の尻尾のようなものが見える気がしたからだ。

 「ソナチネ」は、1994年に劇場公開された作品で、僕も梅田ピカデリーでこの作品を観た。いまだに北野作品では、一番好きな作品だが、確か封切後二週間で打ち切りになったように記憶している。このように、この作品は、日本での評価は見事なまでに低く、一方、ヨーロッパ、特にフランスでは、日本での評価とは裏腹に、とても評価され、北野作品で表現される色彩を表して「キタノブルー」と呼んだり、北野監督のフォロワーを「キタニスト」と呼び始めるきっかけとなったのが、この作品である。言うまでもなく、この作品から4年経過した1997年に北野武は、「HANA-BI」でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得し、世界的にその地位を獲得することになる。そして、この「ソナチネ」という作品を語るうえで、忘れてはならないのが、同じ年に北野武が起こしたバイク事故のことである。「血まみれで、頭はずたずた、あちこち骨折して、顔はゆがんで、半分、陥没してた。」(「KITANO PAR KITANO」@ミシェル・テマン、2012年、早川書房、P167 )そうである。退院後、顔を倍ぐらいに腫らしながら、記者会見を行った北野武のその時の映像は、今でも鮮明に記憶に残っている。先日、TV番組で、北野がこのときのバイク事故について、真相を明らかにした。自信たっぷりに「ソナチネ」を公開したものの、メディアは、この作品をこけ落とし、仕事に行き詰まりを感じていた当時の状況と重なり、「記憶は定かではないんだけど、衝突する直前に、たぶん「行け!」とか、叫んだんじゃないかな」(前出、P167)というような精神状態だったようである。

 「ソナチネ」という作品は、死にたがっている、ヤクザの主人公、村川の話である。冒頭で、村川は、子分のケンに「ヤクザ、辞めたくなったなぁ」とその心情を吐露し、あまりにも有名な、沖縄での砂浜で子分たちと戯れながらロシアンルーレットを行うシーンで、村川は、自分の頭を拳銃でぶち抜く幻想に襲われる。また、「あんまり死ぬのを怖がってると、死にたくなっちゃうんだよ」と、村川は沖縄で知り合った女に向かって言う。そんな村川は、ラストシーン、長く続く道の途中、車を脇に止め、拳銃で自決する。この「ソナチネ」という作品には、全編にわたり、むせ返るような「死」の匂いが充満している。しかし、この作品で表現されている「死」は、あくまでも、当時の北野監督が想像していた、観念としての「死」であり、それは、どこか、官能的で、ロマンティックなものに過ぎなかったのでは、ないだろうか?実際、ラストシーン、ずっと続く長い道は、未来を暗示させるものだし、北野武は、バイク事故で死なずに、今でも元気に活動している。

 前置きが長くなり過ぎた。「アウトレイジ 最終章」の話だった。この作品で、主人公の大友は、前二作でのいろいろな抗争にケリをつけるため、大森南朋扮する市川と二人で、マシンガン片手に殺人を繰り返す。それは、あたかも「昭和残侠伝」での花田秀次郎(高倉健)と風間重吉(池部良)を彷彿とさせ、「ソナチネ」で描いた「死」に向かっていく男たちの話である。言いかえれば、「ソナチネ」が復活したともいえる。最初、コマーシャルで、マシンガンを持つこの二人を観たときには、違和感を感じたのだが、実は、大友は、「ソナチネ」の村川だった。そう、村川は、「ソナチネ」のラストシーンで、マシンガンを引っ提げて適地に乗り込んでいたではないか。村川は、死んでいなかったのである。北野監督は、この作品で、「ソナチネ」で死にきれなかった村川(=大友)を殺すことによって、観念としての死に決別し、本当の死を迎え入れたのだと思う。それは、バイク事故で「死ねなかった」北野武が、70才という年令を迎え、足音を立てながら身近に迫りつつある死に対する、現在の心境なのではないかと想像できる。そのあまりに、生々しい死が、この映画の「後味の悪さ」を観るものに強要させてしまうのである。

 
 
 

 

 

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