「ある日の研究会」菱田伊駒

「ある日の研究会」菱田伊駒

 

その日は、いつものp4c(=philosophy for childrenこどもの哲学)の研究会で、M先生が小学生の子どもたちが描いたポスターをたくさん持ってきた。教室の絵、その日の給食の献立まで細かく描きこまれた絵、色とりどりの風船が描かれた絵、友だちと花火を楽しむ様子が描かれた絵。大体30枚くらいのポスターが机に並べられ、研究会のメンバーの皆が意見を交わす。

 

自分には何が言えるだろうか。そう思いながら目の前のポスターを眺める。こういう大勢が集まる会では、発言するからには価値のあることを言わなければと思ってしまう。

 

他の人の発言を聞いたり聞かなかったりしながら、4枚ばかり気になったポスターを手元に並べてみる。4枚のポスターのうち、それらしい問いがすぐ立てられそうなポスター2枚と、ぱっと見たところあまり取り上げるところのなさそうな2枚のポスターに分けてみる。

 

それらしい問い。ポスターの中に「授業にふさわしい気持ちと、そうでない気持ちを分ける」と書かれていて、それに対して「ふさわしい、ふさわしくない気持ちってどういうことだろうね?」と問いかけてみたくなる。学校の授業に対する「こうあるべき」という規範意識が浮かんでくるのでは、という先読みがあって、なんだか嘘くささがある。

 

ぱっと見たところ取り上げるところのなさそうなポスター。友だちと花火をして遊ぶ様子が描かれていて、解説には「とても楽しかった」とある。あまりp4cとは関係なさそうだ。p4cについてのポスター、という意味が分かっていないのか、それともあえてなのか、分からない。ただ、自分の思うがまま描いているような自由さを感じる。「花火をしてどうだった?」そんな問いかけから始めてはどうか。そんなことを思う。予想外の展開を求める気持ち、誘導したくないという気持ち、それらがこのポスターを取り上げたいと思った背景にある。

 

こうやって2種類のポスターを対比させることで、色々と言えることがあるのではないか。そうやって考えをまとめ、効果的な発言になるよう考えているうちに周囲の音は遠ざかっていく。なんとなく追っていた、今話されている内容は聞こえなくなる。何か言ってやろう、そういう気持ちで体に力が入り、緊張が高まっていく。こうやっているうちに時間切れになることもしばしばで、今日は発言できるかな、などと焦りも生まれる。

 

そうして数十分くらい時間が過ぎたとき、N先生が一枚のポスターを手に取った。「なんか・・・これ気になります」。そういって手にとったポスターを周りに見せる。そこには、教室の絵と、丸く円になった椅子が数脚描かれていた。教室を描いた絵は他にもあり、見た感じ何も思わなかった。N先生は何を言おうとしているのか。

 

「これ見てると色々と聞きたいことが浮かんでくるんですが、いいですか?」そういってM先生に質問を向ける。 (絵を描いた子のこと、教室の風景を知っているのはM先生だけだ。) N先生が気になったことを聞いていく。どうしてこの教室には椅子しかないのだろうか。この絵は、絵の手前側から教室を見ているようだ。視点の手前にある、自分が座るはずの椅子が小さく感じるけど、どういう目で教室を見ているのだろうか。

 

そうやって質問を重ねてくるうちに、その子のことを全く知らないぼくの中に、いくつかのイメージが浮かぶ。広い教室、遠くの方から黒板を眺める自分、声の大きいクラスメートたち、何も言えない自分。あぁまた自分のイメージの中に閉じこもり始めた、慌てて2人の先生のやり取りを聞くことに集中する。関心を向ける相手を自分は間違えていたのだ。ポスターを見ているようで、何も見ていなかった自分が恥ずかしくなった。

 

N先生の話を聞きながら、自分も同じような観察力を身につけなければと思う。やり取りだけ聞いていると、その絵を描いた子の様子を言い当てているように思う。しかし、それは間違いだ。当たる当たらないは、経験であるとか、知識であるとかに左右される。当てようと思って当たるものでもない。N先生はこう言った。「問いかける、というのがミソだと思う」。あなたはどういう人ですか?こう考えているのですか?こういう気持ちですか?N先生の問いは、相手に対して開かれている。

 

そうやって浮かんだ問いかけが、次の日から相手へのまなざしを変える。どう接するかの態度を変える。次の授業内容をどうするかを変える。その変化を本人が感じ取った時、その子にも変化が生まれていくのだろう。

 

研究会の終わりの方で、M先生はp4cについて「自分はプロレスをしているんじゃない、ボクシングをしてるんだ」と言った。次は教師がこう言う、それに合わせて子どもはこう反応する・・・そういう筋書きの決まったやり取り、その筋書きを共犯的になぞっていくのがプロレス的な授業。それに対して、p4cは次に何が出てくるかわからない、誰かの抱える闇が噴き出すかもしれない、傷つくかもしれない、そういうやり取りをp4cではしているのだと。

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