「しぇきなべいびぃ」(@井上英作)

 忙しい。本当に忙しい。僕は、これほどまでの忙しさを、かつて経験したことがない。会社の親しい先輩も、僕のそんな様子を見て、「忙しいそうやな?」と声をかけてくれた。「めちゃくちゃ忙しいんです。サラリーマンになって一番忙しいんです。」と答えると、「今までに味わってない方が、問題ちゃう。」と冷たく突き返された。そんな忙しい毎日を送っているので、毎日ヘトヘトになって帰宅している。先日も、いつものように疲れ果て、晩ご飯を食べると、強烈な睡魔に襲われ、21時から1時間ほど寝てしまった。本格的に寝ようと、ベッドに入ったが、全然眠れない。暫くして眠るのを諦めた僕は、本を読むことにした。本を読もうと決めた瞬間、本棚に目を向け、僕の目に止まったのは、中島らもの追悼を特集した雑誌だった。
 僕は、20代のころ、むさぼるように中島らもの本を読んだ。中島らもの描く切なさに、僕は惹かれた。改めて、その雑誌を読んでみると、中島らもが憎悪していたのが、権威だったのがよくわかる。僕も、この年になっても権威的なものが大嫌いで、むしろ、歴史から置き去りにされそうな「こと」や「もの」に、ついつい目がいってしまう。こればかりは、性分としかいいいようがない。そんな眠れない夜を過ごし、翌朝、いつものように起床し、歯を磨きながら、テレビをぼんやり見ているとある訃報を知ることになる。内田裕也だった。   
 内田裕也に対する特別な思い入れは、まったくない。でも、なぜか、少しショックだった。自分でも、一体何にショックを受けているのか、分からなかったのだが、昨晩、ベッドの中で読んだ中島らものことと内田裕也が、僕の中で繋がった。彼らは、僕より一回り以上年上の人たちで、反骨なところが、共通している。反骨というのは、つまり、「ロック」なことである。しかし、大変残念なことに、「ロック」な人たち、つまり、この世代の人たちが、少しづつこの世からいなくなり始めている。僕は、内田裕也の死に、その寂しさを募らせ、少なからずショックを受けたのだろう。
 僕が、初めて、内田裕也のことを知ったのは、大晦日の「ニューイヤーズロックフェスティバル」をテレビで観たときだったような気がする。その時の出演メンバーは、記憶は定かではないが、ARB、アナーキーなどが出演していたように思う。当時の僕は、イギリスの音楽にかぶれていたので、特に印象にも残らなかった。むしろ、僕にとって大きく内田裕也を印象付けられたのは、皮肉にも音楽ではなく、映画だった。以前投稿した「私的「1980年代日本映画ベスト・テン」」にも次のように書いた「この本(キネマ旬報特別号)のなかでの映画評論家等のアンケートを見てみると、内田裕也作品がたくさんノミネートされている。本作(「十階のモスキート」)以外に、「水のないプール」、「嗚呼!女たち 猥歌」、「コミック雑誌なんかいらない!」が選ばれている。特に、僕は、内田裕也自身に何の思い入れもないが、80年代の日本映画において、彼の果たした役割は無視できない。日本映画がどんどん衰退していくなかで、そのことを逆手に取って、内田裕也は、崔洋一(十階のモスキート)、滝田洋二郎(コミック雑誌なんかいらない!)などの新しい才能を開花させていく一方、衰退していく「新しかった」才能、若松孝二(水のないプール)、神代辰巳(嗚呼!女たち 猥歌)への愛情も決して忘れていない。そんな時代の狭間で、引き裂かれそうな思いのなか、内田裕也は本来の音楽ではなく映画の世界にこの10年ほど深くコミットしている。その苦悩が、一体どういうものだったのか、僕には想像できない。だから、内田裕也演じる登場人物は、どの作品においても、暗くて暴力的なのだ。この時代にしか現れなかったであろう俳優だと思う。」
 ミュージシャンとしての内田裕也のことを、僕は、殆ど知らない。映画「嗚呼!女たち 猥歌」の中で、歌っているのを聞いたぐらいのものだ。下手だった。おまけに声量がない。そのことは、妻の樹木希林もよく知っていて、「裕也さんは、歌が下手なのね。」と生前に言っている。しかも、長いキャリアの割には、ヒット曲も一曲もない。それでも、彼は、最後まで一定の存在感を示した。それは、彼の「才能を見出す才能」によるものではないだろうか?彼は、沢田研二を見出し、「フラワートラベリンバンド」をプロデュースし、映画監督の崔の洋一、滝田洋二郎を世に送り出した。
 これと言って、特に才能のない僕にも、唯一、人より優れていると自負していることがある。それは、新しい才能を発見することだ。そのことにおいては、僕と内田裕也は、同類と呼べるかもしれない。しかし、僕と内田裕也が決定的に違うのは、その立場の違いだろう。内田裕也は、ものを作ることを生業としたが、僕は、そういう道を選ばなかった。というより、選ぶだけの才能が僕にはなかった。同じアーティストとして、プロデューサー的立場に甘んじた、内田裕也の苦悩を、僕は想像することさえできない。
 内田裕也は、しばしば「ジョニーBグッド」をライブで歌っていた。言うまでもなく、ロックンロールの定番である。なぜ、内田裕也は、この曲ばかり歌い続けたのか?僕には、彼の歌う「ジョニーBグッド」が、なんとも虚しく響くのである。