「夏の思い出」(@井上英作)

8月12日9時、僕たちは梅田を出発した。諏訪大社に行くためでる。

2016年3月に宗像大社、宮地嶽神社に行って以来、まとまった休みがあると、僕は「聖地」に出かけている。そのベースになっているのは、「神社アースダイバー」(@中沢新一、週刊現代で連載。近々刊行予定。)の存在で、中沢新一によると、現在、神社のある場所は、元々古代の人たちが霊性を感じていた場所だということ。宗像大社をスタートに、2017年GWに対馬、2018年GWに熊野、そして今年のGWには天橋立。その合間に、熱田神宮、磐船神社、石鎚山など。なにより、宗像神社の高宮祭場(※)で味わったあの感じを味わいたく、この旅を続けている。
(※)宗像三女神の降臨地と伝えられている。沖ノ島と並び我が国の祈りの原形を今に伝える全国でも数少ない古代祭場。

同日16時半、宿泊先のホテルに到着。お盆の渋滞に見事に巻き込まれ、休憩時間を含めて7時間半のロングドライブ。流石に疲れたので、プチ昼寝。その後、温泉に浸かり、ビールで喉を潤した後、19時より夕食。蓼科に別荘を持っていた小津安二郎が好きだったと言われている日本酒「ダイヤ菊」をいただく。夕食後、ホテルの目の前が諏訪湖のため、花火を鑑賞する。諏訪湖では、夏になると毎日800発の花火が打ち上げられる。そのピークは、8月15日の「諏訪湖花火大会」で、打ち上げ総数約40,000発と国内最大級だそうだ。今度来るときには、是非見てみたい。

8月13日 6時起床。初老の朝は早い。この時間になると自然と目が覚める。昼まで寝ていたあの頃が懐かしい。朝風呂に入り、7時半から朝食。旅行の楽しみの一つは、何と言っても朝食だと断言できる。
 
同日9時頃諏訪大社下社(秋宮)到着。大きな狛犬を両脇に配した神楽殿で参拝。この狛犬は、2m近くもある代物で、こんなに大きな狛犬を僕は観たことがない。神楽殿の四方を囲むように「御柱」が4本、天空を目指して鎮座している。この「御柱」は、「御柱祭」が大変有名で、テレビでよくその勇壮な様子が放映されている。
その後、頃諏訪大社下社(春宮)へ。いつものように参拝の準備のため手水舎の水で手を清めようとしたら、それは水ではなく、なんとお湯だった。長野県という立地を考えれば、そのお湯が温泉から湧き出たものであることは、すぐに察知できたが、なぜか僕のなかでは、このことが、心の中に引っかかった。僕は、参拝を済ませ、境外にある「万治の石仏」を目指した。「万治の石仏」は、そのフォルムに岡本太郎がほれ込んだことで有名だ。境内の敷地の西端に沿うような恰好で砥川が流れている。この川の水がとても美しく、その流れから発せられる「音楽」を聞いて歩いているだけで、ちょっとしたトランス状態に陥る。そんな状態のまま10分ほど歩くと、左に道が折れ曲がり、奥まった少しだけ広くなった場所に「万治の石仏」があった。石仏はこんな感じ。https://shimosuwaonsen.jp/wp/wp-content/uploads/c2a9ff5a551caa913ac9ff06837f8a803.jpg
この石仏をお参りするには、次のような一定のルールがあるとのこと。①正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる。②石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する。③正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する。僕は、石仏の周りをくるくる廻りながら、昔、伊丹美術館で観た、しりあがり寿の「回転」展での中沢新一の言葉を思い出した。「世界中に回転を基にした祭事は多く存在し、このことは人類が誕生して以来の大変古い思考によるものだ。日本では、盆踊りがその典型だ。」その後、諏訪大社上社(本宮)へ移動。そして、ここでも温泉の出る手水舎を発見。境内を散策したあと、西門を出たあたりで、本宮周辺の過去の様子を描いた看板を眺める。かつて、この本宮に近接した形で寺社がたくさんあったことが分かる。しかし、今、その姿はない。かつてのお寺は、現在そば屋に変貌していたりする。明治時代、「廃仏毀釈」によってなくなってしまったのだ。「廃仏毀釈」については、内田先生のブログが、大変面白い。参考までに。http://blog.tatsuru.com/2019/05/29_0925.html 

 午後からは、今回の旅のメイン、諏訪大社上社(前宮)へ。今回、諏訪への旅のきっかけの一つになったのが、同じ寺小屋ゼミ生の福丸さんから聞いた話による。その福丸さんから借りていた資料を片手に、前宮周辺を歩いてみる。中でも「山の神古墳」は、僕の興味を引き付けた。本殿の脇の山の中へ続く道を、炎天下の中とぼとぼと歩く。その道に沿って、小さな川が流れている。「万事の石仏」に至る行程と同じだ。そして、まわりには、誰もいない。静かだ。15分ほど歩いたところで、大きな鋭角のカーブを曲がったところに、小さな看板が目に入る。木々で覆われた看板には、「山の神古墳」と書かれていた。ここだった。どれが古墳なのか、よく分からなかったが、その古墳の脇には、そこだけ平坦で、鬱蒼とした木々がところどころ途絶え、空からは適度な太陽の光が差し込む「場所」があった。僕は、その「場所」に既視感を覚えた。そう、「高宮祭場」だった。何の根拠もないが、ここは、隣が古墳であることを考えると、おそらく祭場だったのだろうと思う。そんなことを考えながら、その場所に佇んでいると、嫁さんは、呼吸法を実践していた。この前宮は、八ケ岳山麓に住んでいた縄文人が移動し、この「モレア山」をご神体と崇めたところと言われている。十分その霊性を堪能したあと、次は、「守屋資料館」へ。この「モレア山」周辺に住んでいた一族は、後に「守屋氏」を名乗るようになり、神長官として、諏訪全体の霊性の保護管(@中沢新一)となった。「守屋資料館」の見学は明日にすることにし、周辺を散策する。そこで、僕は、ついに見つけた。「御左口神神社」(ミシャクジ)である。ミシャクジ信仰というのは、大変古い信仰のことで、僕は、このことを「精霊の王」(@中沢新一)で初めて知った。大きな古木に寄り添うように、大きな石があり崇められている。これを観ることができただけで、この旅の目的は、ほぼ達成したようなものだ。十二分に諏訪の霊性に触れることができ、とても満足した気持ちで、宿へ戻る。あまりに霊的なものに触れすぎたからなのか、部屋に戻ると、強烈な睡魔に襲われ、プチ昼寝。そう、僕は、よく寝る。昨日と同様、お風呂、ビールの後、夕食。昨日と同じようなメニューだったらどうしようと、いらぬ心配をよそに、その日の晩は、やや洋風で、僕たちはとても嬉しくなり、白ワインで夕食を堪能。昨晩同様、諏訪湖に打ち上げられた花火を観る。浴衣を着て花火を観るなんて、まるで「東京物語」に出てくる老夫婦みたいだと余計なことを考える。

8月14日6時 またしても、初老の朝は早い。朝のニュースを見ながら、台風の接近とあおり運転にビビリ、お昼過ぎには、大阪へ帰ることにする。
同日9時「守屋資料館」到着。今日最初の来客だったようで、スタッフの方から、いろいろ話を伺う。建築家の藤森照信のこと、守屋家のこと、御頭祭のことなど。ご丁寧な説明ありがとうございました。その後、そのスタッフの方に教えていただいた「尖石縄文考古館」へ向かう。ひととおり、館内を見学し、尖石遺跡へ。ここも、ミシャグチ信仰の痕跡が、しっかりと残っていた。古い大木に寄り添うような大きな石…。

 今回の旅を通じて、僕は、「聖地」に共通するひとつの傾向に気づいた。まずは、「音楽」の存在。聖地には必ず「音楽」が存在する。それは、川を流れる水の音であったり、鳥の鳴き声だったりする。特に、対馬での鳥の鳴き声は、どこまでも美しかった。これほどまでに、種類によって鳴き声が違うものかと気づかされるほど、実にたくさんの種類の鳥の鳴き声を堪能した。次に、地中から天に向う大きなエネルギーの存在。大仰な言い方をしたが、その抽象性を具体化したものは、自然の中にたくさん存在する。それは、山であったり、雨、雷などなのだろう。そのことを最も分かりやすく象徴しているのが、「御柱」で、まっすぐに天に向かって社殿を取り囲むように建てられている様は、まさにそのもの。また、度々見かけた、温泉の出る手水舎もその文脈で考えると、得心がいく。地下に蓄えられたエネルギーにより噴出する温泉。さらに、熊野でたくさん見た巨岩信仰もその文脈で理解できるのではないだろうか?それは、まさに、地から天への大きな運動。このような、要素を備えた場所に、古代の人たちは霊性を感じ、その場所、そのものに畏れを成したのだろうと思う。

 僕は、若いころから、ずっと音楽を聞き続けてきた。途中、高校生ぐらいからは、音楽に加え映画もたくさん観るようになった。さらに、今から10年ほど前から突然登山を始めた。しかも、北アルプスを中心とした3000m級の急峻な山たちを相手にである。僕のなかでは、この三つのことが、どこかで繋がっていることは、なんとなく直感で分かっていたのだが、「それ」が一体何なのか?僕には、分からなかった。しかし、これも偶然始まった、「聖地」巡りで、おぼろげながらこの三つを繋ぐ糊のような存在の輪郭が、浮き上がってきているのが分かる。それは、おそらく、「目に見えないもの」を感じる「宗教」のようなものだと思っている。

 そんなことを考えながら、僕たちは、諏訪を後にし、大阪へ向かった。ラジオから、NHK FM『今日は一日“YMO”三昧』が流れている。思わぬプレゼントに気をよくしながら、僕は車を運転した。あおり運転に遭遇しないことを祈りながら。