「「先生」のこと」(@井上英作)

僕には、「習い事」の経験がない。それは、いうまでもなく僕の性格によるものだ。飽き性で、根気がなく、何より向上心のない僕には、「習い事」は無縁のものだった。何より、教わったことができなかったときの自分を許すだけの、キャパの少ない狭量な鼻くそのようなプライドが、僕から、「習い事」を遠ざけていた。これまで、僕が経験した「習い事」といえば、小学生のときの珠算と学習塾ぐらいのもので、いずれも親に言われるがままの受動的なものだった。

ある宴席で、内田先生にこう言われた。「50代までは、それまでのリソースで何とかなるけど、50才を過ぎると、そうはいかないよ。そのためにも、ちゃんとした人からきちんと何かを習った方がいいよ。」僕は、そのアドバイスを聞きながら、とても居心地の悪さを感じざるを得なかった。それは、まさに、僕が漠然と感じていた、僕の「問題」の核心を見事に言い当てていたからだ。僕という人間の中心にあるものは、若いころから聞いてきた音楽、映画、少しの文学で、僕のものの見方、考え方に、それらが大きな影響を与えていて、そのことについて、僕は自覚的ではあった。しかし、例えば、人と話をしていたりすると、自分でも、いつも同じようなことしか言ってないことに、少し飽き始めていたのである。

その日を境に、僕は考え始めた。「誰」から「何」を教えてもらおうか?おそらく内田先生がイメージしていたのは、伝統的なものだろうことは、容易に想像できた。しかし、どれもこれも、しっくりくるものが、見当たらず、ため息をつきながら、部屋でボーっとしている僕の眼に、ギターが飛び込んできた。このギターは、1996年に亡くなった友人が持っていたもので、僕は、彼の死後彼の家に出向き、一方的に頼み込んで、彼の母親から譲り受けたものだ。しかし、譲り受けてから、ほとんど、そのギターはインテリアと化していた。しかも、埃まみれになりながら。「そうだ、ギターを弾こう。」とその瞬間に僕は決めた。では、誰に?

「先生」と出会ったのは、1984年秋のことだった。大学の先輩に誘われて、大阪大学の学祭のライブを観に行った。お目当ては、「ヒカシュー」だった。「ヒカシュー」というのは、日本のニューウェーブシーンをけん引した立役者のようなバンドで、その「ヒカシュー」が、1,500円(だったと思う)で観れるならと大阪大学のある石橋に行ったのである。会場は、さすがに「ヒカシュー」が出演するということで、たくさんの人たちが詰めかけていて、異様な熱気に包まれていた。

照明が落ち、最初のバンドが登場した。そのバンドは、ギター、ベース、ドラム、キーボード、サックスという構成で、パンクとファンクを融合させたような、いままで僕が聞いたことのない前衛的な音楽を演奏した。特にボーカルは、古着のようなスーツを着こなし、ロックぽくない雰囲気を醸し出していた。「In Fake」というバンドだった。カッコよかった。そのあと今は亡き「どんと」の「ボ・ガンボス」の前身「ローザ・ルクセンブルグ」、「ヒカシュー」と続いたのだが、この日のライブは、「In Fake」が「ヒカシュー」を食ってしまい、ダントツでよかった。「先生」は、「In Fake」のボーカルだった。

そのあとのことは、話が長くなるので割愛するが、僕と「先生」は、その大阪大学のライブから30年を経て、2014年に邂逅を果たすのである。僕は、「先生」の経営する中津のバーに知人に連れて行ってもらった。少し緊張しながら、店の中に入ると、「英作ちゃん」と言いながら、「先生」は、ニコニコしながら大きく手を拡げ、初対面の僕を迎え入れてくれた。その晩、僕は、「先生」からいろいろな話を聞いた。メジャーデビューを二度断ったこと、バーと塾を経営していること、そしてフィッシュマンズとの間接的なつながり…etc。

その日の晩のことが縁で、僕は、時々「先生」のライブを観に行くようになった。ライブで演奏される曲は、30年前の「In Fake」のような、アバンギャルドで激しいものでなく、まるでニール・ヤングのような、深みのある、歴史を感じさせるものだった。「先生」に対して、大変おこがましいが、どの曲も完成度が非常に高かった。

そして、僕は、「先生」にギターを習うことにした。レッスン前のオリエンテーションで、僕は、持参したCDを一緒に聞いてもらいながら、自分が弾きたいギターのイメージを「先生」に伝えた。「カッティングやね」そう「先生」は一言だけ言い、翌週からレッスンが始まった。週一回のレッスンである。まずは、「先生」が見本を見せてくれる。まったくできない。しかし、「先生」は、粘り強く、「こんな感じ」という例えをいくつもいくつも示しながら、教えてくれる。決して怒ったり、叱ったりはしない。むしろ、僕ができなかったときには、僕と一緒に、大声で笑ってくれる。それは、できない僕をバカにしているのではなく、「そのうちできるようになるから、気にするな」という励ましに僕には思えた。かつて、特に運動において、このような場面で、僕は、よく怒られた。「どうして、できないかな~」というのが、定型句だった。そう言われても、僕の方がその答えを知りたいぐらいで、だから、僕は、運動が嫌いになった。

このような具合で、10月から週一のレッスンが続いている。レッスンで教えてもらったことを、翌週までに復習し確認するというルーティンが現在進行している。僕は、レッスンを終えた翌日から、ほぼ毎日、復習に励んでいる。ギターを弾かない日はない。酔っぱらって帰ってきた夜、朝早く目がさめた早朝にもギターを弾いている。さらに、仕事中でも、会社の廊下を歩きながら、信号が青になるのを待ちながら、僕は右手でストロークの練習をしていたりする。さながら、映画「Shall We Dance?」の役所広司のようだ。僕は、そんな毎日を過ごしながら、既視感を覚えた。そうだ、かつて学業の成績のよかった頃の僕は、毎日をこのように過ごしていたんだ。僕は、すごく懐かしい感じがした。僕は、ギターを弾きながら、古くて新しい自分と、あるいは亡くなった友人と出会っているのかもしれない。そして、何より、このレッスンを通じて、音楽のグルーヴというものの存在が僕のなかで明らかになり始めた。「先生」のたくさんの引き出しから、それぞれのジャンルの音楽のリズムパターンを教えてもらっている。僕がこれまで聞いてきた音楽が、どのリズムによるものなのか、新鮮な気持ちで音楽を聞くきっかけを与えてもらった。

レッスンは、「先生」の経営するバーで行われている。レッスンが終わると、補講が始まる。ワインを飲みながら、「先生」のいろいろな話を聞く。この補講が、また楽しい。古代史に関わること、政治の話、もちろん音楽の話も。どの話も、僕の予想を大きく超えるものばかりで、特に古代史に関する話が大変興味深く、僕は、「先生」からたくさんの知見を学びつつある。

「先生」は、どれだけの人が読んでいるのか分からないが、ほぼ毎日ブログを更新している。 「先生」は、ほんのわずかな観客を前に、「ライブ」を続けている。            「先生」は、僕の知らないことをたくさん知っている。

そんな「先生」は、本当にカッコいい。