【7日間ブックカバーチャレンジ ① @井上英作】

友人の富田さんから、このお誘いを受けた。とりあえず暇なので、参加することにした。この企画の概要は、以下のとおりです。ご興味ある方は、どうぞ。
「これは読書文化の普及に貢献するためのチャレンジです。 参加方法は、好きな本を1日1冊、7日間投稿するというもの。 本についての説明なしにカバー画像だけをアップし、毎日1人のFBの友達をこのチャレンジに招待して参加してもらいます」
一日目「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」(@中島らも、1989年)
先日、テレビで漫才を観ていた。ティーアップと笑い飯という人選に惹かれたからである。番組の趣向は、その放送するテレビ局に残っている自分たちの持ちネタの映像から、自身が推薦するネタを披露するというものだった。僕は、笑い飯のネタの一つの映像を見ながら、西田(髭を生やしている方)が着ているTシャツに目が釘付けになった。そこにプリントされていたのは、中島らもだった。
かつて、中島らもという天才がいた。「いた」というふうに過去形で書かないとけないのは、彼がもうすでにこの世にはいないからだ。
中島らもの文章に最初に触れたのは、友人の家でだった。その友人の机の上に何気に置かれてあった「SAVVY」をぱらぱらとめくってみると、最後の方に、中島らものエッセイがあった。「SAVVY」というのは、女性向けの情報誌のことで、友人は、女の子とのデートコースをよく「SAVVY」から情報を得ていた。
それより以前にも中島らもの存在は知っていて、「啓蒙かまぼこ新聞」の漫画を描いている漫画家、テレビ番組「どんぶり5656」の構成作家というふうに思っていたので、そのとき、エッセイも書くんだと思いながら、僕はそのエッセイを読み始めた。内容は、よく覚えていないが、読み終えると僕は、大声でゲラゲラと笑っていた。文章を読んで、声を出して笑ったのは、生まれて初めての経験だった。それからというもの、僕は、中島らもの悪魔的な魅力に魅了された。劇団リリパットアーミーを観に「扇町ミュージアムスクェア」に何度も足を運び、新刊が出れば、その日に書店へと向かった。何度か本人を見かけたこともある。サンケイホールで映画「突然炎のごとく」を観た帰り道の、夕方の桜橋交差点近辺だったように記憶している。当時の中島らもは、前髪を左から右に斜めに切り、黒いサングラスをかけていたころで、僕が18才ぐらいなので、1983年ごろではないだろうか。
さて、本作は、初期に出されたエッセイである。ご本人もあとがきで「十代前半の明るさに比べると、後半はひたすらに暗い」と書いてあるとおりである。すこし長くなるが、本文からの引用。「十代の僕は一種狂暴なほどに自分自身を憎んでいた。そしてそれ以上に、自分がその一隅を占めているところの「世界」そのものを憎み、呪っていた。中略。酒の酔いは、そういう破滅的な気分に実によくフィットした」。
このあまりにもペシミスティックな心性は、中島らもからついに離れることはなく、晩年は、アルコール依存と躁鬱病に悩まされ、2004年、52才の若さで亡くなった。その訃報を知ったとき、僕は、特に驚くこともなかった。「やっぱり、そうか」という感じの方が強かったのを今でもよく覚えている。
中島らもから教わったことは、たくさんあるが、僕にとって一番大きかったのは、「考える」ということだったのではないかと思う。
中島らもが世に出るきっかけとなったのは、朝日新聞での「明るい悩み相談室」の連載である。読者から寄せられる、珍問、難問に対して、答えるというもの。その中島らもの哲学、思考が凝縮されているのが、名著「僕にはわからない」である。例えば、こんなことが普通に書かれてあったりする。「「生」の対立概念として「死」というものを持ってくるから話がおかしくなる。中略。「死」という状態は想像力によってのみ想定され得る架空の概念でしかない」。まるで哲学者のように、古今東西の文学者、哲学者を引き合いに出しながら、彼独特の文体で、思考が展開していく。しかも、このような哲学的な文章が、世界一くだらないと言われている映画「死霊の盆踊り」と同列に語られているところにこの人の奥深さが垣間見える。とても頭のいいひとだった。
そんな、ペシミスティックで頭のよかった中島らもが、この「世界」で生きていくには、さぞかし辛かっただろう。そしてその生きづらさを彼の持つピュアさが更に加速させていった。
「笑い」や「恐怖」が大好きだった中島らもだが、その根底にあるのはセンチメンタルだろう。本作からの引用。「十八のときに、そのころつき合い始めた女の子とこの山に登った。ヒマはあるけれど喫茶店に行く金はない、そんな夕暮れだった。頂上で、僕は生まれて初めて女の子とキスをした。鳥同士のあいさつみたいな、そんなカチッと音の出るようなキスだった。保倉山を見ると今でも胸がキュンとなる」。痛々しいまでのセンチメンタルである。
僕は、54才になった今でも、この文章を読むだけで胸がキュンとなる。