【7日間ブックカバーチャレンジ ② @井上英作】

二日目。

その日は、金沢に出張していた。仕事を終え、金沢駅で時刻表を眺めていると、大阪行きのサンダーバードは、出発したところだった。次の電車まで、あと一時間あるので、僕は、あてもなく、駅周辺を歩き始めた。時間を潰すのにも飽きてきて、適当にベンチに座ってぼーっとしていると、古本屋が目に止まった。金沢へは何度も来ていたが、こんなところに古本屋があるなんて全然知らなかった。時計を見ると、電車の出発まで、まだ20分ほど時間があったので、その古本屋に入ってみた。そこには、よくありがちなハウツー本が、無造作に並べてあった。「30代のうちにこれだけは、やっておこう」、「恋愛に悩んでいるあなたへ」、まぁ、そんな感じの本たちだ。地方の古本屋だから、そんなもんだろうと思いながら、店を出ようとしたところ、一冊の雑誌と目が合ってしまった。「石井隆の世界」というタイトルだった。

僕より少し上の世代の人たちにとっては、漫画(劇画)家として認知されているかもしれないが、僕は石井隆のことを、映画を通じて知った。その映画は、「天使のはらわた 赤い淫画」(@池田敏春)という日活ロマンポルノだった。映画産業が斜陽に向かっていくなかで、当時の日活ロマンポルノには、若い才能が結集していた。森田芳光、周防正行、根岸吉太郎など名前を挙げればきりがない。「天使のはらわた 赤い淫画」は、東梅田日活で観たのだが、ポルノ映画という体裁を取っていたものの、そのあまりの切なさに、ポルノ映画としての機能を果たしてくれなかった。なんかとても暗いやるせない気持ちになりながら、映画館をあとにしたような気がする。そのときに、エンドロールで「脚本 石井隆」というのが目に止まった。

その後、石井隆は映画監督としても作品を撮り続け、高い評価を受ける。「GONIN」、「死んでもいい」、「ヌードの夜」などが代表作だろう。映画が公開されれば、劇場に足を運ぶ、僕にとっては、数少ない映画作家のひとりだ。

先日、この企画のためにこの本を選び、僕の一番好きな石井作品「夜がまた来る」を観直した。そのDVDのボーナストラックに入っていた主演の根津甚八のインタビューから。Q「石井作品のハードボイルドについてどう思われますか」A「石井監督の作品は、確かにハードボイルドの側面もありますが、僕は、その切なさに惹かれるんですよね」、「僕は、映画を観て泣きたいんです。楽しかったり、考えさせらるような作品というよりは、ただ、泣きたいんです」

僕もこの根津甚八の答えに、深く同意する。石井作品には、いつも村木と名美という男と女が登場する。ちなみに「夜がまた来る」では、村木を根津甚八が、名美をメジャーになる前の夏川結衣が演じている。石井作品において、村木と名美は、決して結ばれない。結ばれないどころか、常に「すれ違う」。橋本治は、「デビッド百コラム」のなかで、メロドラマについて「男と女がすれ違うことで、初めて成立し、男と女は、すれ違うという意味において等価である」といっているが、石井作品は、メロドラマそのものであると同時に、村木と名美は、すれ違うことで等価となり、決して交わらない。

石井作品では、たくさんの記号が散りばめられている。歌謡曲、廃墟、ネオン管、夜、そして雨。特に、必ずと言っていいほど、作品の中では雨が降り続ける。雨といっても普通の雨ではない。いつも土砂降りの大雨が降る。この雨は、いったい何を象徴しているのか?。先ほど、僕は、村木と名美は決して結ばれないと書いた。そんな二人が、一瞬だけ奇跡的に結ぶつく、あるいは、結びつきたいという衝動を表しているのではないか?天(名美)と地(村木)が、雨という直線によってつながったように思える。しかし、その雨は、いつも凄まじい風によってまっすぐと地に届くことはない。

タランティーノ監督は、以前インタビューで、こう答えている。「僕の好きな日本の映画監督は、二人とも、イシイ監督だ。一人は、タカシで、もう一人は、テルオだ」。このように、タランティーノ監督からもリスペクトを受けている石井隆だが、僕の勉強不足だと思うが、石井監督を評価する人をあまり知らなかった。そんなとき、出会ったのが、金沢の古本屋で偶然見つけたのがこの雑誌だった。

この本の中で、いろんな人が、石井隆論を展開している。なかでも僕を勇気づけてくれたのは、今は亡き橋本治が、寄稿していたことだった。

「少女マンガとしての石井隆」と題されたその寄稿の中から気になった部分を抽出すると、「石井隆は、少女マンガである。その理由としては、作品に描かれている名美は、青年マンガで描かれているヒロインではなくステロタイプで表現された女である。そのことによりかつて男の幻想の中にあった女は他人になってしまった。その他人になってしまった女を前に、男は不能に陥る。このことは、男の側から描かれた少女マンガと同義である。だから、石井隆は後味がよくない」とある。いつもながら橋本治らしい難解な解説である。

さらに、昨年の秋、映画評論家の町山智浩が、僕がいつも参考にさせていただいている「映画その他ムダ話」で、石井隆を取り上げてくれた。町山智浩も石井作品が好きだったのだ。

今回、石井隆に関する評論がないかどうか、ネットで調べてみたが見つけることができなかった。

世界でたったひとつの石井隆「本」として、この本は、僕にとってかけがえのない一冊である。