月別アーカイブ: 2013年10月

多田塾合宿

2013/10/12~14
今年の多田塾合宿が終了した。

毎年10月群馬県片品村に、全国の多田塾門下総勢170名が、多田先生の元へと熱い思いを抱いて一同に馳せ参じる。
他の多田塾行事とは違い、内田先生の大先輩方が大勢いらっしゃるため、甲南合気会では参加資格の制限を設けるほど、内田先生ご自身も大変気を使われる。多田先生の直弟子である大勢の多田塾諸先生及諸先輩の目が常に光っていて、我々としては楽しみな半面、かなり気を使うことを要請される三日間でもある。
(現に今年も終了後さっそく叔父弟子某大先輩から当会への苦言を頂いた。ご指南ありがとうございます。)

今年の夏はヨーロッパで三週間にわたって毎日、多田先生のご指導を受けた。
以来2か月半ぶりにお会いする多田先生は、夏にも増してさらに気迫に満ち満ちているように感じる。
夏の三週間毎日やった呼吸法もすでに少しアレンジされている。
「また動きに切れが増された」と内田先生が仰るとおり多田先生は、84歳の今もなお日々進化されているのだ。

今回はことに呼吸法と足捌きを、たいへん丁寧に、時間をかけてご指導されたことに深い意味を感じる。
やはり呼吸法と足捌きなのだ。
合気道ができる心と体を作るための、呼吸法と足捌き。

体術の時間は例年より短く、体力的に前ほどハードではなかったが、組む相手によってはたいへん恐ろしいことになる。
「掛り稽古で白帯はまったく相手にされませんでした」と初参加のKちゃんは言っていた。
それはないと思うけど、初めて参加した頃は私も同じことを感じたものだ。
毎回厳しいご指導をくださるS先生も(有難いことである)、初日はニコニコと優しくて、そういうときのS先生は何とも言えずかわいらしく(すみません)、春ちゃんとびっくりしていたら、2日目からはやっぱり怖かった。

楽しくも恐ろしい。それが多田塾合宿。いや、ずっとそうであってほしい。
内田先生が「会えば怒られる先輩」と仰るK先生に、我々弟子を紹介する時の内田先生は、いつになく緊張されがならも大変嬉しそうであった。
私も、先の某先輩やS先生方の厳しい指導は、怖いけど嬉しいのであった。

石田社長 10/20(日)「足捌き部」

甲南合気会の石田さん、井上のヨーロッパ滞在中、2度清道館でお稽古をしてくださったあの石田社長(通称)が、足捌きを中心とした稽古会を凱風館で催されます。
傘下道場である清道館のメンバーも参加できます。

10/20(日) 10:00~12:00 於 凱風館

社長の足捌き稽古はたいへん丁寧で、清道館でもやってるる「足捌き」を中心に、じっくりと時間をかけて、基本的かつ大事な脚の動きを噛み砕いて教えてくださいます。
「足捌き」は合気道を上達するためには大変重要で、必須です。
特に初心者にはたいへんよいお稽古になると思います。

清道館のみなさんには是非参加していただきたいと思います!私も参加します!
急なお知らせではありますが、ご都合の合う方は一緒に凱風館で稽古しましょう。

参加希望者は井上までお知らせください。

10/6(日) 稽古日誌 

10/6(日) 西スポーツセンター 15:30~

体操、呼吸法
足捌き12番
受け身(前、後ろ回り)
6方向転換
歩み足転換
手を取らない四方投げ

【正面打ち】
入り身投げ
小手返し
四方投げ
一教
座技呼吸法

内田先生の言われる、構造を繋げる、ということ。
構造が繋がると、少しの入力で全体に力が伝わる。
守さんが言われるところの、全身を総動員するということ。
その要諦のひとつがたぶん手にある。
張りのある手先。
その効果が実は意外なところに現れるのに気づいた。
なので、もう少し色々実験してみよう。

審査、合宿、結婚式

怒涛の9月が終わった。
甲南の後輩たちの昇級審査と合宿での昇段審査に向けた数週間にわたる自主稽古、秋合宿、永山春菜の結婚式。

審査のための稽古、については賛否両論あると思う。
普段の稽古の成果をただ発揮すればいい。そのとおりだ。

同じ時期に合気道の稽古を始めて、同じように稽古していても個人差がある。
体格も身体能力も千差万別であるように、同じ先生の指導で同じ技を稽古していても、当然ながら全く違う。

ものすごくがんばって稽古をして審査に臨んだ人と、さらりと本番に臨んでなんなくクリアできる人。
後者の方がカッコいいに決まっている。

彼女らの稽古に付き合いながら、稽古年数も進度も体格も年齢もまったく違う者同士が、審査と言う同じ査定の場に晒されることの非情さついて思わずにはいられない。まるで指導している自分までも査定されるようで、「稽古しすぎ」と廻りから揶揄されても、最後までやれるだけやらずにはいられない彼女(彼)らの心情に、私自身完全にシンクロしていたような気がする。
もっと簡単に言えば、自分の参段の審査の時、同じように揶揄された自分、努力する姿を人に晒してしまうカッコ悪い自分を思い出して重ねていた。審査が終わって泣いていた彼女らの気持ちが、私には痛いほどわかる。上手くいって嬉しいのも、上手くいかなくて悔しいのも。

人の技を批判してはいけない。人の技の巧拙を論じてはいけない。

全員が等しくよかった、などときれい事を言うつもりはない。
愚直でいいじゃないかと開き直るつもりもない。
さらりとやれる人はカッコいい。しかし、一所懸命やるしかない、カッコ悪くてもそれしかできない、そういう人にせめて自分は拍手を贈りたい。

ただ、審査もまた実験の場だ。
命を取られるわけではない。何かを失うわけでもない。
プレッシャーに挑む稽古、自分と闘う稽古。
本番は道場の外、本当の修羅場は審査以外の場所にある。
強弱勝敗を問わない合気道において、審査はまた本当によくできた稽古だとつくづく思う。

さて、永山春菜の結婚式。
大披露宴でのスピーチは、これまた大変なプレッシャーであった。
やはりああいうことは本当に苦手だ。
内田先生もめずらしく褒めてくれたことだし、とりあえず大役は無事果たすことができたとしよう。
なんでも修行である。
終わった後、なんでも出来るような大きな気になっている自分であった。