橋本治が亡くなった。昨晩、内田先生のツイートによって知った。
初めて、橋本治のことを知ったのは、「桃尻娘」(1978年)が世間で話題になっている頃だったので、僕は、中学生だった。「桃尻娘」のことは、日活ロマンポルノとして映画化されていたので、「そういう」作品だと思っていた。その頃、あるテレビ番組(番組名は覚えていない)を見ていると、童顔で大柄な男が画面に映っていた。橋本治だった。テレビの画面に映し出された橋本治は、当時セーターの制作に熱心で、セーターの制作がいかに楽しいかを滔々と語り、デビッド・ボウイの顔を一面に描いた彼の編んだセーターは、異様だった。「変な人」というのが、僕の第一印象である。しかし、音楽至上主義者だった僕は、デビッド・ボウイを描いているという、たったそれだけで、勝手に橋本治にシンパシーを覚えた。
その後、どういうきっかけで、橋本治の本を読み始めたのかは、よく覚えていない。確か「恋愛論」か「デビッド100コラム」だったよう気がする。読んでみて、僕は驚いた。どうすれば、これほどまでに、正確かつ的確に物事を捉えることができるのか。そして、その捉えたものを平易な言葉で表現する橋本治の知性に、僕は魅了され憧れた。簡単なことをわざと難しい言葉で語りたがる人たちは、この世にごまんといるが、世界あるいは人間の複雑な仕組みや構造を平易な言葉で表現する人は、残念ながらあまりこの世には存在しない。橋本治の著書の中には、世界の本質を言い当てた言葉が散りばめられていて、その言葉たちは、今でも僕の「核」のようなものとして、下腹部あたりに、でんと鎮座している。どの著作に書かれていたか覚えていないし、また、正確さは欠くが、次のような言葉たちだ。「だから、田舎者は嫌いだ。」、「怠惰はいけない。」、「世の中には二種類の人間しかいない。それは「分かっている人」と「分かっていないひと」だ。」、「男と女は、すれ違うことによって、初めて等価になる。」、「人は恋愛を通じて、自分の闇と対峙する。」…etc。どうすれば、このようにうまく表現できるのだろうか?
僕ごときのような人間が、偉そうに言うまでもないが、橋本治は「考える人」である。橋本治の著作を読んだ人なら分かると思うが、橋本治は、その著作を通して一つのトピックについて考え始める。そして、その考えていく過程を、それをそのまま文章に変換していく。つまり、もし、橋本治の作品に主題があるとするならば(もちろん、そんなものはないのだが…)、それは、考えるという行為そのものだと言っていいだろうと思う。圧巻なのは、第1回小林秀雄賞を受賞した『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』だ。大変難解な内容だが、三島由紀夫という人間を、「豊穣の海」を題材に、粘り強く、丁寧に解体してくさまは、見事としかいいようがなく、どうして、僕は三島由紀夫に興味を抱かないのかも、この本を読んで、スッキリしたことをよく覚えている。
時折、僕は、このように思ったことを文章にし、ブログに投稿している。もともと文章を書くことは、嫌いではなかったので、軽い気持ちで書き始めたのだが、実際にこうして文章を書いてみて大きな発見があった。何かについて書こうと思ったとき、おおよその見取り図のようなものは、すでに頭の中で出来上がっている。しかし、毎回そうだが、8割ほど出来上がっても、そのあとが続かない。その2割を埋めるためにいつも悶々とする。そして悶々としているうちに、自分でも気づいていなかったことを書き始める。これは、なかなか面白い体験で、この2割を書くために、僕はブログに投稿しているようものだ。つまり、この2割を書くことによって、自分が何を考えていたのか、感じていたのかが、顕在化するのである。換言すれば、考えていることを書くのではなく、書くことで考え始めるということである。このことを教えてくれたのは、紛れもなく橋本治である。
一昨年の夏、「オンザロック」というテレビ番組に、珍しく橋本治が出演した。あまりに珍しかったので、僕は、録画したその番組を、そのままハードディスクに保存しておいた。今日改めてその番組を観てみたが、この番組の司会者で、40年以上も親交のある中井戸麗市(RCサクセションのギタリスト)に会いに来たような気がしてならない。そういえば、松田優作が、亡くなる直前に、テレビ番組「おしゃれ」に出演し、昔の俳優仲間である阿川泰子に、「君に会いにきた」と照れながら告白していたのを思い出した。この時点で、橋本治が自分の死期を覚悟していたのかどうか、知る由もないが、貴重な最期の映像となってしまった。さらに、昨年末、寝室を大掃除しながら本棚を整理していると、橋本治の本が、自分で認識しているよりもたくさん持っていることに少し驚いた。
僕は、追悼の意を込めて、本棚に「橋本治コーナー」を設けることにした。心よりご冥福をお祈りします。