二部制稽古。
清道館では月に2~1回は必ず剣・杖の稽古をして、基本的な一の杖、二の杖、組み杖、太刀、組太刀の稽古をやっています。
こうした剣・杖の稽古の重要性は、最近ことに思い知るようになりました。
多田先生はいつも、一の杖には、植芝盛平大先生の合気道の殆どすべてが含まれている、と仰います。
毎夏、イタリアでの二週間にわたる多田先生の講習会でも、前半の一週間は、午前の稽古は剣・杖、午後の稽古は気の錬磨、後半の一週間も午前は剣・杖の稽古、午後は合気道体術の稽古と、つまり合気道は後半一週間のみですが、剣・杖は二週間の間、毎日必ず稽古するのです。
いうまでもなく、合気道の技の全ての理合は、日本の侍が700年に渡って磨いてきた、剣の技術から生まれたものであるからです。
先日も東京で、毎年自由が丘道場主催で行われる、年に一度の剣・杖講習会がありましたが、私は毎年必ず参加しています。
今年もたくさんの多田塾門人100人以上が集まって、3時間半に渡り、85歳の多田先生のご指導は一度の休憩もなく、ものすごい集中の中、稽古してきました。多田先生はまた進化されていて、付いて行くのに息が切れそうです。すごいことです。
先日来ていた、セルビア人のイェレナの言葉が、ずっと私の心に残っています。
イェレナは合気道を36年やってきましたが、多田先生の稽古指導を受けられるのは、一年のうち先生がヨーロッパにいらっしゃる数週間だけ。「先生がいない間、一人稽古をやってきた。私にとっての先生は剣であり、杖だった。剣と杖が私に全てを教えてくれたもう一人の先生だった。」
一部:剣・杖稽古
呼吸法、養動法、
剣を振る、ひとえ/前で回す/前後切り/四方切り
剣は腕で振るのではない。背骨を意識して、背骨と肩甲骨の躍動としなりで振る、ということを繰り返し言います。
腕や手首で振っていると、あっという間に腕や手首が痛くなりますし、そのまま振り続けると壊します。
何より、剣に威力と切れが出ません。
剣も杖も、腕で振るのではなく、剣・杖が自分の体の一部となり、剣・杖を含んだ全身の重みでフリーフォールさせる。
振りかぶる時は後ろを左の小指で突く、振り下ろすときは最遠の弧を、扇が開くように剣・杖の切っ先が空を切ってフリーフォールしていくのを腹の前で、腹で止める、呼吸で止める、体の張りで止めます。ぴたっと止めることが大事。多田先生は、止める瞬間、音のない音を聴く、つまり一瞬瞑想に入るのだ、と仰います。これは先日、甲野先生がおっしゃっていたこととぴったり符合すると思います。甲野先生は一瞬、「夢も希望もなく」「気を失う」と表現されましたが、夢も希望もない、とは意図的に何かをやろう、技をかけよう、剣を振ろうとするな、「気を失う」とは文字通り、瞑想に入ってぱっと無になるということでしょう。
一の杖、相合わせ
初心者にはひとつづつ、手順をまず覚えてもらいます。
私もそうでしたが、初めはなんのこっちゃわからないと思います。
理屈は抜きで、まずは型の手順を覚えてしまうこと。
理合いはその先に開かれています。
甲野先生も仰ってましたが、目の前のやるべきことをまず体でやってみること。
個人差はあっても、一の杖の基本の型は、特に難しいものではありません。
一の杖、組み杖A,B
一の杖、組み杖 「突き合い」
AとB、Aが先行、Bが一手順ずらして打ち合います。
Aが先生、Bが生徒。Aが間合いと流れをコントロールしなければなりませんが、まずはBから稽古します。
間合いをとって、タイミングだけを合わせていきますが、これが最初の関門です。
ここまでは何とか形になります。
難しいのはこの後、杖と杖をコンタクトさせ、実際に打ち合うことです。
杖と杖が触れ合う、それだけの違いなのに、コンタクトさせた途端に杖を当てること囚われます。
実に不思議なことで、なぜそうなるのか、たいへん興味深い課題です。
この日の稽古では、その一番最初の、「突き合う」を稽古しましたが、これが一番難しいのです。
みんなも難しくて大変そうでしたが、ここをクリアしないと、いつまでもコンタクトしての打ち合いができません。
私自身も今一番稽古して精度を上げたいのはこれです。
イタリア人をはじめヨーロッパの多田先生のお弟子さんは、特にこの杖を本当によく稽古しています。
イタリアに行くたび、自分の杖の稽古の足りなさを思い知らされるのです。
二部:合気道体術稽古
以前は二部制の時は、先に合気道をやって、二部に剣・杖をやっていましたが、最近は先に剣・杖をやるようになりました。
剣・杖を振ってから合気道をやると、そうではない時との違いに驚きます。明らかに身体が変わります。
体操・呼吸合わせ
六方向転換1~4番 常のようにやる、「響き」で微振動を起こしてやる(有声、半分有声、無声)、違いを感じる
同、5,6番
受けを作る、ということが最近気になっています。
美しい受け、気持ちのいい受け、本当に上手い受けとは何か、本当に有るべき受けとは何かをこのところ考えています。
意地悪するのでもない、作ってはいけない、相手が初心者の場合を除いては、この受けのありようが稽古の質を左右する。
甲野先生が指摘されていることですが、合気道に於いて、「取り」にとってちゃんと稽古になるような「受け」、とは何か、しばらく模索していきたいです。
両手取り天地投げ
天地投げは、いろいろなやり方や考え方がある、面白い技です。
手の旋回や、どの指を意識するかについて、あれこれ試しています。今ちょっと面白いのが、手の薬指小指と、親指人差し指のココウ(字がわからない)。甲野先生や守さんも、手について次々と考案されていて、その「手の形の力」には毎回驚かされます。(もちろん手の筋力や腕力のことではないですよ)
呼吸法の時もそうですけど、手のどこから上げるか、どこをどう意識するかで、腕の上がり方、力の通り方が全く変わります。内田先生もよく、「手の表情を豊かに」と言われます。いわゆる「合気道の手」の形の重要性はやればやるほど痛感しますが、これをどう使うかでまた全然変わるので、実に面白いテーマです。
あ、すぐ脱線してしまいますね、すみません。
肩取り 内田先生の土曜の稽古でやった「肩取り面打ち」で、確かめたいことあり、今日は肩取り。
入り身転換して受けの稽古 簡単に作らない転換しない、よく感じて、自分のバランスを崩さないところで転換する稽古
四方投げ 背中にモーラステープを貼って。という私の喩えを本当に実践して、テープを本当に貼ってきた人がいた(Sさん)!
面白すぎる。あ、しまった、彼女の受けを取ってみたらよかった。また今度。
裏に入って呼吸投げ 自分の肘を意識して、相手の肘につなげて攻める。肘は体幹に確実に繋がっていることを確信。やっぱり肘だな。
入り身投げ、二種
入り身投げで、切る→止める→通す、を試す。予想通り難しい。しばらく課題。
小手返し、下段 同じく、試す。さらにわからない。でもめげないぞ。うー。
一教 二本引きの足捌きで腰の回転まで、どこを繋ぐか、どこを通すか
一教 みんなよくなってきたなー。
座技呼吸法。微振動をおこす。
終了後、我が家で「佐藤君結婚パーティの幹事を慰労する会」。
うちに来てくれた幹事のメンバーは、自分たちを慰労してもらう会なのに、こういう時もつい働きすぎてしまうようです。
久しぶりの我が家(清道館別館とも言う)での宴会、料理がどれもバタバタでしたが、私は楽しかったです~
やっぱり、時々は別館やろうと思います。(なぜなら、家がちょっと綺麗になるから)
みなさん、おつかれさまでした。
幹事メンバーの田中さんが来れなくて残念、またやりましょう!