月別アーカイブ: 2015年5月

「Wonder Future」(井上 英作)

「Wonder Future」

2015年5月17日。僕は、NHKの選挙速報を食い入るように見ていた。大阪都構想の住民投票結果が、気になって仕方がなかったからだ。結果は、僕の愛する大阪市が存続する結果となり、僕はそっと胸をなでおろした。これ程、真剣に選挙番組を見たのは、初めてかもしれない。辛うじて日本の民主主義に一筋の光明が見えたような気がした。

大阪都構想の話ではない。僕は、その裏番組「スカパラ ラストライブ」をwowowでずっと見ていた。いいライブだった。そのライブドキュメントの中で、メンバーの一人が言っていた言葉が、印象に残った。

「ここで一旦ケジメを付けておかないと、次がないような気がした。だから、ラストライブという風に名付けた。」

前置きが随分と長くなった。

Asian Kung-Fu Generationの新譜「Wonder Future」が、いい。アルバムには、ギターのリフを全面に押し出した、ハードな「ロック」が詰め込まれている。何よりどの曲も疾走感に充ち溢れている。それらは、およそ、日本の音楽には聞こえない。僕には、中学生の頃テレビで見た、ポリスの京大西部講堂でのライブを想起させる。Asian Kung-Fu Generationは、これまでの、少しポップなギターサウンドを、敢えてかなぐり捨て、彼らの原点(と勝手に想像する)に立ち返ろうとしている。その態度は、先のスカパラのメンバーの発言とも呼応する。それは、一度ここに戻っておかないと、バンドとしての未来がないと腹をくくった、彼らの音楽に対する真摯な態度の決意表明だろうと勝手に想像する。

この新譜には、バラードと呼ばれる楽曲は存在しない。どの曲も、ロックの持つ初期衝動に充ち溢れている。ただ、唯一タイトル曲「Wonder Future」だけが、妙に暗い。今の政治状況を考えるとどうしても、暗い気持ちになってしまうのは、当然のことかもしれない。それでも、僕は明るい未来であってほしいと思う。

今回の「Wonder Future」のアルバムデザインは、真っ白である。このことは、過去を一旦清算し、また、未来もまだ何も見えていないという、彼らの現在の心境を見事に表現したものだと思う。僕たちの未来が、この白いジャケットが、今の季節の新緑のような鮮やかな緑になっていくことを、僕は切に望む。

僕は、毎朝「Wonder Future」を口ずさみながら、ひまわりに水をやっている。

6月の予定をアップしました

6月はスポーツセンターの体育場の確保が難航したため、多目的室を利用して、剣・杖の稽古を多くやることにしました。
剣・杖の稽古を懸命にやれば、必ず合気道が上手くなる、と多田先生も内田先生も常々仰います。
剣・杖の稽古にもぜひ参加してください。
井上

清道館主催 凱風館系列道場 合同合宿について

以下の要領で合同合宿を企画しましたので、奮ってご参加ください!
清道館メンバーは直接下記の【申込フォーム】へ、系列道場の皆さんは、各所属道場長に参加希望の旨を申し出てから、ページ下部の【申込フォーム】よりエントリーしてください。 ★申込みは締め切りました。★

【日時】
2015年6月20日(土)~21日(日)

【宿泊場所】
淡路島 民宿「長尾屋」兵庫県南あわじ市:福良乙23 http://nagaoya.com/
稽古場所:南あわじ市スポーツ施設 南淡B&G海洋センター柔道場(100畳敷き、車で約5分、宿で送迎してもらえます)

【費用】

一泊二日 ・・・夕食→泊→2日目朝食込み

  • 大人:7,600円、+体育館使用料頭割(一人1000円~1500円程度)、+宴会代
  • 中学生以下:6,500円

日帰り

    • 体育館使用料頭割、+夕食代/宴会代(初日夕食要、または宴会に参加する場合)

*稽古はどちらか一日のみの参加でも、宿泊する場合は一泊二日の料金になります。

【アクセス】
宿までは、路線バスの福良駅から徒歩5分
*神姫/淡交バス 三ノ宮⇔福良 約1.5時間
(片道2250円/往復4050円/4枚綴回数券8100円)
http://www.shinkibus.co.jp/highway/category/route_guidance/kobe_fukura.html

路線バスを利用して行く人は、下記にて同行
神姫バス神戸三ノ宮バスターミナル 8:10集合
http://www.shinkibus.co.jp/highway/category/landing_guidance/index.html
8:25三宮発乗車→9:58着予定
宿のバスで武道場まで送迎(約5分)、10:40から稽古(1)開始予定

【全体スケジュール】
6/20(土)

9:58福良駅着、10:05宿着、道着に着替えて
10:25 宿出発→10:40 体育館着
10:40~12:40 稽古(1)
12:40~13:40 お昼休憩1時間(昼食はコンビニなどで朝買っておく)
13:40~15:40 稽古(2)
休憩20分
16:00~18:00 稽古(3)
19:00~ 夕食、宴会

6/21(日)

7:30 朝食
8:40 宿出発(チェックアウト、荷物は宿に預ける)
9:00~11:00 稽古(4)
11:00~12:00 お昼休憩1時間(お弁当600円を申し込む、またはコンビニで)
12:00~14:00 稽古(5)
休憩20分
14:20~16:20 稽古(6)
宿に戻り、シャワー/着替え
17:20 宿出発
17:40 福良発→19:13三宮着

*交通手段、費用については参加人数により、スケジュールは現地状況により変わることがありますのでご注意ください。

初(そめ)の段差を上がるまで   ささの葉合気会 中野論之

初(そめ)の段差を上がるまで
                ささの葉合気会 中野論之

 袴を穿いた女性が微笑みを浮かべながら右手を差し出してくる。思わず立ち尽くした。目の前の取りは凱風館の山本昭子さんだ。どうすればいいのか わからず呆然としていると篠原拓嗣先生が近寄ってきて声をかけてくれる。ともかく取りの手首を摑みにいき、何だか わからないうちに技をかけられていた。じきに私に取りの番が回ってくる。隣で篠原先生が動いてみせてくれるのと同じように見よう見まねで必死に身体を動かし、これもよく飲み込めないままに入身投げなどを何本かかけた。
「初めてなのにそれだけ動ければ十分ですよ。わたしはそこまで動けなかったから」
 そう篠原先生に言われたものの、こんなに合気道って難しいものなのかと内心かなりの意外さを感じていた。そのころはすでに古流の剣術(「剣道」ではない)の稽古を始めて数年が経過していたので さほど苦労せずに合気道の稽古へついていけるものと甘く見ていたからだ。とんでもない、これほど難しいものが果たして自分にできるのだろうか。
 もっとも、いまにして思う。その日は2013年3月20日、ちょうど春分の日で、ささの葉合気会尼崎道場での〈お稽古拡大版〉というやつだったのだ。ふだんと比べて凱風館からの参加者が何名もおり、上級者も少なくないので取り上げる技も初心者にはやや難しいものが多かったのではないかと。
 面白そうならすぐに入門するつもりで体験へ来たのに稽古が終わる頃になっても決心はつかないでいた。聞けば翌日も王子(神戸市灘区)で稽古があるという。お願いしてもう一度、体験で参加させてもらうことにする。
 次の日は木曜日、だだっ広い王子の柔道場で稽古をした。ここは空調設備がないらしく、3月の寒気が広がる空間なので畳も冷たい。道場へ来たのは篠原先生と南原洋子さん、それに私。現在のささの葉ではまず無いことだが、当時は参加者が3名だけの日も時々あった。「で、どうですか」と、その日の稽古のあとで篠原先生から訊かれても私はまだ腹が固まっておらず、もう少し考えてみますと答えるしかなかった。
 会社勤めをしていた時分、ガチガチに硬くなったような違和感が身体から抜けなかったのを憶えている。身体も気分も重かったし、一時は左目の周りが急に痙攣するほどの、どうにも気持ちの悪い日々を何とか過ごしていたものだ。原因が仕事上のストレスにあると認識はしていたものの、仕事を続けながら解決するにはもう無理がありすぎる程度のややこしい状況に私はいた。とはいえ会社を離れてどうするというあてもない。それでも紆余曲折の末、とうとう仕事を辞める日が来た。退職日は2013年3月20日、つまり偶然にも祝日なのでその日は出社する必要がなくなった。
 内田樹先生の影響で前々から合気道への興味はあった。調べてみると凱風館の系列道場であるささの葉合気会の稽古が退職日にあるという。とにかく身体をほぐしたくて たまらなかったので会社を辞めたその日に体験で参加したのだった。しかし、それにしてもここまで合気道が難しいとは……。
 どうしようかと考えていると、ふいに思い浮かんできたことがある。合気道の稽古では相手と組む前、組んだ後に必ず正座して互いに礼をする。そのほかにも道場では何かと礼をする機会が多い。3月の、まだ冷たい畳に座って頭を下げているあいだだけは、故あって会社を辞めた直後の胸の内の無念さも不思議と落ち着いたな、と。そのことが印象に残っている。
 ——とりあえず、やってみるか。
 私は篠原先生へ宛てて入門を希望するメールを打ち始めた。
   *
 2年後、2015年。
 3月に入ってすぐ、私は体調を崩して稽古を休まざるを得なくなっていた。合気道 凱風館の春合宿で初段審査を受ける日が迫ってきている。横面打ち・肩取り面打ち・後ろ両肩取り・中段突き・上段突き・短刀奪り・半身半立ち、それに四教・五教や自由技など確かめておきたいことがまだ相当に残っている。なのに稽古へ出られない。身体よりも気持ちの面で余裕の無さを感じていた。
 身体が快復すると、日ごろ一緒に稽古している人たちにお願いして通常のささの葉の稽古のあとに自主稽古を行なった。焦りとは裏腹に確認したいことは順調になくなっていく。すると審査の日が近づいてきているのにもうそれほど不安を感じなくなった。自然と落ち着いていられた。自主稽古を重ねるうちに、あるいは稽古の合間のちょっとした隙間の時間を利用して曖昧な点を片っぱしから無くしていったせいもあるだろう。自由技をやってみて、少々つっかえたところで どうとでもなるという感触を持てたこともある。そして、審査とは別の心配事を抱えていたという事情も関係があったと思える。
 とっぴな例を挙げれば、首元にナイフを突きつけられて今にも殺されようとしているとき、明日の朝は何を食べようかと脇目も振らず思い悩むことは多分できない話だろう。関連のない2つ以上のことを同時に真剣に気にかけるのは人間には難しいはずだから。つまり同じ状況で「明日の朝食をどうするか」と本当に心配することができれば、殺される恐怖に身体が居着くはずもないから生きのびる確率が多少は上がるかもしれない。
 この性質を利用すれば、たとえば空から降ってきた雨粒を掌で受けて感じようとする状況を〈演じる〉ことで目の前の受けにとらわれずに身体を動かせる可能性も出てくるわけだが、それはさておき、「それどころじゃない」という心配事を抱えている状況のおかげで審査ばかりを気にする余裕がなかったのは私にとっては かえって幸いだった。もちろん、審査のことだけを考えていられる状況も悪くはない。それはそれで存分に審査を味わえばよいのではないか。
 なんとかなりそうだと安心しかけたところで今度は別の問題が持ち上がった。
 今回の初段審査を受ける男性は5人。その5人全員が合宿で審査を受けるものと思っていたら、うち3名は合宿への参加が無理と知った。残る1人も参加するか不明と聞き、ひょっとすると合宿で初段審査を受ける男性は私1人かもしれないという。一緒に審査を受ける者同士で受けを取れば何かと都合もよいのだが、状況が変わった以上はやむを得ない。合宿の参加者で受けを取ってくれそうな人がいないかと探し、顔を合わせたおりに依頼することにした。
 もうひとつ、昇段審査を受けた人は夜の宴会の席で一言スピーチをすることになる。それは前々から承知していた。とはいえ、口下手だというのに何を話せばよいのやら。審査当日も、いや宴会の直前まで挨拶の内容を考えていた。話す内容について あらかじめ はっきり決めていたのは、次のような言葉だけは使うまい、ということだけだ。
「みなさん ありがとうございました」
 常識では、この言葉を使う場面なのだろう。一緒に稽古してきた、お世話になった人たちへ向けて感謝の言葉を述べて何もおかしいところはない。それはわかる。だが、私はどうしても使う気になれなかった。感謝なんかしてないから、というわけでは全然ない。そうではなく、感謝の言葉を口に出すのなら「みなさん ありがとうございました」と全員をひとまとめにして済ませるよりも、できるかぎり一人一人に向かって伝えるほうが相手に気持ちが深く届く、と思うから。
 「みなさん ありがとうございました」という文句、それと似かよう台詞は実に便利な言葉だ。挨拶などで使いたい人はもちろん使えばいいと思う。私もこの先、場面によっては使う機会があるだろう。でも、本当に感謝している相手へ用いるのはどうかな、と感じる。その言葉では気持ちが伝わらないのでは、そんな警戒心や慎重さは持っておいたほうがよいかもしれない。あくまで私の感覚だが、言われた側にしてみれば、自分とは関係の薄い、遠い他人事のように聞こえてしまう危険がある。
 だから感謝の気持ちを伝えるために、あえて私はその言葉を使わないことにした。さて、しかしそうなると何を話せばいいものか、ますます思いつかない。結局は日ごろ感じたり考えたりしていることをストレートに話すしかなさそうだ。
   *
 1級になった直後から〈初段審査はいつもどおりにやろう〉という気持ちが強くあった。審査の場面でいつもどおりのことをするためには、ふだんの稽古をおろそかにしていては まずい気がする。ひところの私は〝ささの葉の遅刻魔〟と呼ばれても仕方ないほど(誰にも呼ばれなかったけど)稽古の開始時刻に間に合わないことが多かった。これではいかんな、と思った私はまずそこを改めた。ささの葉合気会のまとう空気やリズムといったものをなるべく自分の身体に染まらせようと密かに考え行動していた。周囲の人たちからは、あいつ最近は遅刻せえへんようになったな、と見られていただけかもしれないが。
   *
 3月21日、春合宿2日目。
 午前中の稽古が終わったあと、最後の確認をする。受けをお願いしたのは合気道 清道館の佐藤龍彦さんと岡田充広さん、ささの葉合気会の廣田景一さん。私と一緒に初段審査を受けるのは合気道 凱風館の大山順平さんだ。
 各々の都合の関係上、この5名全員が集合して確認する機会はこれが最初で最後となる。焦りも不安も恐怖も心配も別にない。改めて確認しておきたいほどのことも わずかなものだ。ただ「いつもどおり やりましょう。ふだん道場で稽古するのと同じように」とだけ私は繰り返し言った。緊張で受けの人たちを硬くさせないほうがよいこともあるし、私自身に言い聞かせているところもあった。
 昼食と休憩を挟み、合宿に来てから一度も袖を通していない道着に着替えて少し早目に宿に併設された体育館へ入る。館内に敷き詰められた畳の上で、昇段審査を控えた人たちがすでに最終確認を行なっている。私はかまわず奥へ行き、木刀を手に取って軽く振り始めた。私が一人稽古として やることの多い回剣(廻剣)を遣う。右手首を曲げたり捏ねたり回したりせず、剣全体の中間に支点が来るように行なう。右手首や、柄に触れる右手の指のところが支点とはならない。そうすれば独りでに剣自体が くるんと回る感覚で行なえるので、右手首を回してしまう場合よりも速いうえに連続して行なってもさほど疲れずに済む。木刀や杖を扱うのは気分を落ち着かせるのに悪くない。私は黙って木刀を振り続けた。
 内田樹先生が来られる。だがすぐに審査は始まらない。まず稽古をする。休憩もある。3月なのに暖かく、体育館の中で身体を動かしていると汗ばんできた。暑いですよねえ、と掛かり稽古の最中に周りの人と話をする。
 合宿に来てからは審査のことで篠原先生と会話をすることはほとんどなかった。いまさら技の手順について質問することなど大して思いつかなかったし、言葉を交わす必要性をあまり感じていなかったのだろう。ただひとつ、体育館で、私の下丹田へ向けて笑みを浮かべながら軽く突きを入れてきた篠原先生に「大丈夫ですよ」と応じたことだけは忘れない。
 審査の直前、大松多永さんと話す機会があった。今回の初段審査を受ける人たちのなかで、私と一緒に稽古した時間が最も長いのはこの人だ。ここ1年、稽古での激変ぶりに舌を巻いた人でもある。合気道を始めた時期は厳密には多永さんのほうが少しだけ早いのだが、私は勝手に彼女のことを同期の桜と思っている。多永さんが合宿の2日目から参加したことに引っかけて「遅れてきた者が真打なんですよ」と言おうとしたけれど、私のつまらぬ冗談で かえって緊張させては非常にまずい。いつもどおり やりましょうよ、思い直して その一言だけを伝えておいた。
 審査が始まる。稽古を受けていた80名あまりが道場の後ろへ正座していく。正面には内田先生のみ。初段審査は女性から始まるのではと聞いていた。実際に呼ばれたのは大山さんと私の名前だ。さっきまで身体を動かしていたので実は息がまだ乱れている。多少の緊張のせいもあるだろう。2人とも前へ出ていき正座する。内田先生に礼。そのあと前へ出てくれた3人の受けの人たちと互いに礼をする。どちらが先か、できれば自分を最初に審査してほしいと思っていたら内田先生の声がよく聞き取れなかった。大山さんも同じらしく一瞬ふたりで顔を見合わす。と、すぐに大山さんが両手取り天地投げをかけ始めた。流れによっては技を受けているうちに受けの位置がひとつ所に集中しがちになることもあるけれど、なるべく取りの周囲をぐるりと取り囲むようにして遠慮せずに次々と取りへ向かっていく。そのほうが取りも流れに乗りやすい。それにしても動いていると寒さをまるで感じないどころか、3月なのに暑いほどだ。汗が流れる。身体が熱い。息が切れ、だんだん疲れを覚えてくる。それでも取りへ向かう一方、審査の様子を端から撮影する永山春菜さんの邪魔にならないよう微妙に立ち位置を変えつつ、内田先生になるべく尻を向けないように気をつけた(佐藤さんも同じことを注意していたという)。おしまいの坐技は廣田さんが受けた。そのあいだは正座して息を整えておく。次は私が取り。両手取り天地投げを岡田さんにかける。入身投げ・小手返し、四方投げの表を、意識して少しだけゆっくりめに行なう。次の四方投げの裏をかけ終わると切れ目なく なめらかに そのまま一教の表へ つなげていく。一教の裏、二教の裏、そして正面打ちへ取り手が変わる。一教・二教・三教の表と裏、内回転三教の表、四教の表と裏。五教の固めの最中に「正面入身投げ」と言われても焦らず最後まできちんと極めてから立ち上がった。動きが雑にならないよう、しかしはっきりと速度を上げる。右手を軽く挙げて右半身であることを示してから廣田さんへ向かう。受けの手刀を斬り下ろすのでも避けるのでもなく、こちらの右肩を抜いて半身を差し替えながら受けの正面打ちを〈受け流す〉ようにして入身に入り投げる。小手返し、四方投げの表、内回転投げのあとは横面打ちの四方投げの表。そこで「自由技」と声がかかった。迷わず四方投げの裏と小手返しをする。ちなみに自由技の順番などは事前に細かく決めたりせず、身体や流れになるべく任せる。せいぜい、この取り手の自由技なら これをやりたいと思うものが全部で3つほどあったぐらいだ(他の昇段審査対象者の事情は知らない)。昼休みの最終確認で一度もやらなかった天秤投げを佐藤さんにかける。小手返し、さらに次の技をかけようとしたところで すかさず「後ろ両手取り四方投げ」と声が飛んでくる。そしてすぐに自由技。小手返しに続き、左手をさっと出しながら岡田さんへ向かう。180度の入身転換から受けの右腕に一教の表をかけ、少し力を緩めて受けの身体が返ってきた流れを利用して相手の右脇の下をくぐり抜けつつ四方投げの表を打つ。今日の午前中に後ろ両手取りの稽古をしたとき、内田先生が急に思いついたらしく取り上げたものだ。初めて行なう動きでありながら手順に迷うことなく出来たうえ、これは面白いと思った私は審査の自由技としてやってみようと即座に採用を決意した。小手返し・入身投げ。肩取りへ取り手を変更して入身投げ、また自由技となる。再び天秤投げを佐藤さんにかける。小手返し、四方投げの表。さらに肩取り面打ち四方投げの表、自由技となって四方投げの表、小手返し、二教の裏を極めているところに「中段突き小手返し」と告げられた。中段突きでは、取りは足を前後ではなく左右に並べた状態で立ち、受けの突いてくる拳の内側か外側へ身体をさばく。このとき足を上げて体を移動させようとすると、もう片方の残った足で地面を蹴ることになりがちだ。私の場合は足を一切 上げようとせず、片方の膝を抜いてわざとバランスを崩し、その不安定さを利用して地面を蹴ることなく滑るように身体をさばいている(あくまで現時点の話。もっと良い方法もあるはず)。佐藤さんに小手返しをかけるとすぐに自由技。廣田さんへの入身投げに続き、岡田さんが突いてきた右の拳の外側へ身体を滑らせつつ当身を入れた。そして岡田さんの右拳のあたりを両手で持ち、岡田さんから見て反時計回りから時計回りへと、まるでメビウスの輪のように なめらかに変化させながら手首を捻らないようにしつつ裏小手返しを決める(「裏小手返し」とは、伝書『願立剣術物語』に記述されている「四方輪」という術理などを参考にして武術家・甲野善紀先生が考案した技を指す。通常の小手返しと異なり、受けの手首を捻らない)。続いて大山さんに一教の表の固めをする途中で「半身半立ち自由技」と内田先生から言われたので固めの姿勢から身体の向きを変えながら跪座になり、左半身を取りつつ両手を出す。入身投げ、四方投げの表。天秤投げ・呼吸投げ。四方投げの裏を廣田さんにかけたところで今度は坐技正面打ちとなった。さきほど大山さんの坐技の受けを取った廣田さんと一瞬、目が合う。とっさに振り向き、この春に東京へ転勤する岡田さんへ軽く右手を挙げて受けてもらう。続けざまに一教の表と裏、二教の表と裏、三教の表と裏。汗が流れ、息も乱れてくる。いつもより身体が重く感じる。それでもとにかく呼吸をしながらなるべく平生と——ささの葉で稽古しているときと変わらないように技をかける。かけ続ける。いつもはしない坐り技の入身投げと小手返しをしたところで「はい。坐技呼吸法」と内田先生から声がかかった。この審査で最後の技が終わっても気は抜かない。
 5人全員で互いに、そして大山さんと私で内田先生に礼をしてから立ち上がり、道場の後ろに控える列へと戻った。腰を下ろして正座してもまだまだ息は落ち着きそうにない。
 いつもどおりにやろう、ただそれだけを思って審査に臨んだ。いつものように動けたし、ふだんとは違うことも少しは出来ていた。振り返れば じきに満足できなくなるのだろう。それでもいまは、精魂をつぎこんだと感じられた。だから少しだけ納得できた。——前では女性の初段審査が始まっている。
 すべての昇段審査が終わるとまた稽古が始まった。そして審査の結果発表。全員が車座になって簡単な連絡が終わると解散になった。私はすぐに立ち上がって篠原先生へ向かっていく。このあとのスピーチで何を話すかは詰めきれていないけれど、いまここで伝えたい言葉なら自然と浮かぶ、だから先生よりも先に口を開く。
「おかげさまで、初段をいただくことができました」
 と。