月別アーカイブ: 2014年4月

一周年でお花見

4/10木曜日、清道館初のお花見は、五部咲きならぬ「五部散り」の桜吹雪が激しく舞う中、第一部は15人以上の門人や甲南の人たちが集まってくれました。

立売堀公園の大桜はこの日が今年の散り納め、つい桜を忘れて飲み続けしゃべり続けがちな花見も今回は、春風が吹いて花びらがわーっと舞うたびに、人もビールも食べ物も桜の花びらにまみれては桜の下にいることを思い出し、ある意味とても花見らしい花見になりました。

夕方、寒くなってからは我が家に河岸を変えて二部に突入。
一部で帰る人たちと入れ替わりに、次々と仕事帰りの人たちが参戦してますます盛り上がったその時、
門人のみんなが、まさかのすごいサプライズを用意してくれていて、びっくり。

1993年(結婚した年)のワイン(うわっヴィンテージ!)
袴の折り紙付きリボン(子供かっ)に飾られたナイフで、
「清道館一周年記念 先生いつもありがとうございます」と並んで、
「結婚21周年 おめでとうございます」と書かれたホールケーキに夫婦で入刀だなんて、この歳になってやるとは思ってもみなかった。(恥ずかし。しかしヴィタメールは美味!)
猫の模様の台拭き(かな。用途を聞いたけど酔っ払ってて忘れた)とか、畳の滑り止め(すぐ使えるようにカットされている!)
とか、なんだかいっぱいあって、どれもこれもみんなの思いが込められていて、嬉しいじゃあありませんか。

自分の人生にこんなことがあるとは。
長く生きてみるもんである。

いやほんとにありがとうございます。
みんなの思いをしかと受け取りました。
よい門人に恵まれて幸せです。

甲南のメンバーもたくさん来てくれた。
「千鳥足隊」が贈ってくれた魔法のカラフェもデビューした。
ほんとうに、フツーの赤ワインが上等のワインに変わったからびっくりだ。
ミワワの息子君のウクレレも極上だった。
贅沢だなあ。

夢中で一年、気がつけばここにも一つの共同体が出来ているということに、人ごとのように感動している。
道場やってよかった。

少なくともここに来た人たちがこの日一日、楽しく幸せな気分になってくれたらよし。
少し元気になってまた明日、仕事とか家庭とか、自分の持ち場に帰っていける、そういう場であればよし。

合気道は面白い。合気道は楽しい。

そういう人たちがひとり、またひとりと来て、去る。
来る人がいれば去る人があって、共同体は生き物、組成は常に変わり続ける。
無常なのだ。

しかし稽古は裏切らない、稽古は続けられる、続けていれば生きていける。
無常ではあるけれどそういう場がここにある、ということ。

明日からまた気を引き締めて精進すべし。

参加資格の訂正の訂正

先にアップしました、多田先生の広島の講習会につきましては、級のない初心者は参加できませんでした。

ローマは誰でも参加できますが、広島は5級以上でした、再度訂正してお詫びします。

井上

初審査

3月、清道館から初めて5人が審査を受けた。

内、2名が5級に、3名が4級になった。
おめでとうございます。

5人の審査を見ながらその成長ぶりに、一年前、稽古場を立ち上げた頃のことが思い出され、あぁここまで来たんだと感慨深かった。

審査で査定されるものとはなんだろうか。

審査とは、内田先生によればいわゆる発表の場。
審査の許可が出るということは、あなたは何級・何段の資格がすでにありますが、そのことをみんなの前で示してください、さあどうしますか?という「問い」であり、審査演武はその「問い」に対するそ「答」を発表する場である、と。

合気道の演武、ことに審査演武には「その人となり」がみごとに出る。
おーこわ。
だから私は今でも演武が嫌いだ。
そもそも合気道の技は人に見せるためのものではない、というのも嫌いな理由のひとつであるけれど。

そんな演武嫌いな先生に教えられたにも関わらず、清道館の5人はそれぞれに、それぞれらしい「答」をしっかりプレゼンしていたと思う。
それぞれが自分の人生を生きている人たちである。
さすがだなと思わせるものがそこにはしっかり現れていた。

飛び級したりしなかったりは運のようなものである。
みんなよく稽古したと思う。
「稽古は裏切らない」。

審査はゴールでも何でもなく、単なる通過点である。
でも審査というちょっとした負荷が、人をぐんと成長させる。

5人の技が私にそっくりだと、内田先生をはじめたくさんの人に言われた。
改めて、合気道を教えていくことの責任の重さを感じて引き締まる思いである。
と同時に、「教え子」の成長を見る喜び、「先生」という仕事の面白さに驚く、一年目の春でありました。

イタリア合気会50周年記念多田先生講習会ツアーのご案内

広島に続きまして、表記の行事が11月にイタリアのローマで開催されます。
甲南合気会では下記の要綱でツアーを組みます。
こちらも、同門傘下である清道館の道場生も参加可能です。
初心者も参加できます。

広島の講習会も、ローマも、多田先生のお稽古に参加できる貴重な機会です。
11月の凱風館の多田先生講習会の参加資格は、昨年は5級以上でしたが、甲南は人が多く凱風館道場に全員入りきらない可能性があり、傘下道場生が今年も同じ条件で参加できるかどうかわかりません。
特に広島の講習会は初心者にはお薦めです。
ローマの講習会は、イタリア初め世界中から多田先生のもとに合気道家が何百人と終結する、10年に一度の一大イベントです。
ローマも、広島も、可能なら皆にぜひ参加してほしいです。

希望者は井上まで!

【イタリア合気会50周年記念行事ローマ講習会ツアー】

今年は、イタリア合気会発足50周年にあたり、多田先生がローマで講習会を行われ、多田塾各道場門人一同がローマに集結します。
甲南合気会も下記の要綱でツアーを組み、内田先生と共に皆でローマに馳せ参じたいと思います。
みなさん奮ってご参加ください。

概要(途中参加、途中帰国は不可、フル参加のみ受け付けます)
■日時;2014年10月30日(木)~11月6日(木)
■参加資格;甲南合気会門人、同会系列傘下道場生 (級位問わず)
■費用;ツアー費 約20万(飛行機代、現地専用送迎バス、日本語ガイド、朝食代含む)、
別途、晩餐会費15,000円、講習会費120ユーロ程度
*参加人数により上下する可能性あり

■日程(予定)
2014/10/30(木)関西国際空港 21:30集合・23:40出発(エミレーツ航空)
→ドバイ経由→10/31 昼ローマ着 空港近くのホテル泊
11/1、11/2 多田先生による国際講習会 11/2夕方移動(専用バス)ローマ市内ホテル着
ブランカッチョ宮殿に移動・祝賀晩餐会
11/3、11/4 フリータイム、オプション;イタリア聖地巡礼ツアー(内容未定、自由参加)
11/5 昼 専用バスにて空港へ 12:40ローマ発→ドバイ経由→
11/6(木) 16:50 関空着 予定

■申し込み締め切り ; 4/19(土)

多田宏先生 広島講習会のご案内

毎年5月に行われます、多田宏先生の広島講習会につきまして、下記要綱にて参加申し込みを開始いたします。
清道館の面々も参加できます。参加資格は5級以上です。

■ 日時;5月3日(土) 10:00受付 10:30~16:00 講習会
5月4日(日) 10:00受付 10:30~16:00 講習会

■ 集合場所;JR広島駅 南出口(市電の停留所がある側)に、9:15AM または武道場現地にて
(新幹線は、ひかり491号 新大阪7:35発→広島9:05着 にできるだけ乗ってください)

■ 場所;広島県立総合体育館 武道場(広島市中区基町4-1)

■ 参加資格;5級以上(甲南合気会、及び系列傘下道場共)

■ 参加費;2日通しで、一般6000円、大学生4000円、高校生2000円(一日のみの場合はそれぞれ半額)、お弁当代800円/一日(希望者のみ、要申込) *申込時に支払い

■ 申込方法;井上までメールください

■ 申込締切;4月15日(火)

*ゴールデンウィーク中につき、広島のホテルは(新幹線も)大変混みあいます。
今からホテルを探す人は、まず部屋を押えてから参加申し込みしてください。
*参加費は前もって集めます。申し込みの際に井上までお支払いください。

4/10はお花見です

グーグルカレンダーにはすでにアップしてご案内していますが、4月10日(木)に、井上宅マンションの隣、立売堀公園で、清道館一周年記念花見大会を開催します。

今年は桜が早くに突然咲き始め、10日にはすっかり葉桜かもしれませんけど、決行します。

午後2:00ぐらいからスタートしたいと思います。
この時間に来れる方は準備を手伝って頂きたいので、井上宅に集合してください、よろしくお願いします。

夜桜になっても続けますし、寒くなったら井上宅へ移動しますので、お仕事帰りの方も是非!

各自一品持ち寄り、でお願いします。

では!
井上

「独立器官」  井上英作

「独立器官」

文芸春秋に掲載されている村上春樹の「女のいない男たち」シリーズ第4作目である。勝手に単発で終わると思っていたので、ファンとしては嬉しい限りである。

 主人公の渡会は、52才の美容整形外科医で、特に何の不自由もない生活を送っていた。彼は、結婚をしたことがないが、複数のガールフレンドと関係を持つということを繰り返していた。そんな彼がある既婚の女性と知り合い恋に落ちる。その結果、渡会は死んでしまう。簡単にあらすじだけを書くと、何だか取りとめのない恋愛小説に見えるが、村上春樹が書く以上、そんな単純な話ではない。

まず、第一に村上春樹は、本作で根源的な問いを発している。その問いとは、「私とはいったい何なのか?」である。僕は、これを読んだ瞬間に、ぐっと息を飲んでしまった。なぜなら、村上春樹の作品で、これほどまでに直接的な表現に、僕は今まで出会ったことがないからだ。

渡会は、おそらく初めて(そんなことはどこにも書いていないが)女性のことを好きになってしまう。その結果、「私とはいったい何なのか?」という問いにたどり着く。このことは、この短編のシリーズに通底しているテーマで、女性という他者と出会うことによって初めて、私という他者と出会ったことを意味している。ここまでなら、特に驚くべきことでもないが、その結果、主人公が死んでしまうというところが、この作品が特異なところである。しかも、主人公は、何も食べずに死んでいくのである。むしろ、消えていくという表現の方が正しいのかもしれない。

「私」という他者に出会った結果、自分が消えてなくなるというのは、一体どういうことなのか?それは、「私」は存在しないということを意味しているのではないだろうかと僕は思う。何だか禅問答みたいな話になってきたが、「世界」は、「私」と「他者」という対立する二つの要素でできているのではなく、「私」と「他者」が混然一体となった何か大きな循環するエネルギーの中で、ほんの一瞬ぽっかり浮かんでは消えていく、そんな瞬間が「私」なのではないのだろうか?

この作品の中で、主人公は、ある男と友だちになる。その男の名前は、「谷村」という。
そう、前々作の「イエスタディ」の主人公である。このように、各作品が独立した物語だと思っていたところへ、それぞれの物語が交錯し始め、全体性を見せ始める。そのこと自身が、循環する大きなエネルギーのようなものを象徴している。

村上春樹は、そんな壮大な根源的なテーマを簡単な物語に還元して、私たちにさりげなく提示してみせるのである。

村上春樹は、稀有な作家だ。