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「寺子屋ゼミ」と合気道

アメリカ先住民のことを凱風館寺子屋ゼミで発表した。
ゼミは凱風館が出来て以来参加しているので、7年目、4回目の発表である。
初回は通年テーマが「アジア諸国」で、「ブータン王国がなぜ‶幸せの国″か」、について。二回目は通年テーマ「二項対立」、から「教えることと学ぶこと」につて、三回目は通年テーマ「比較関係論」で、「韓国と日本の自殺率」について、研究発表した。今期の通年テーマは「アメリカ」。

ゼミ生の中には学術系の研究者や専門家、大学教授や学校の先生も多いが、私はド素人である。
言い訳するつもりはないが、発表は毎回、血を吐くようなしんどさだ。
発表の順番さえ廻ってこなければ、寺子屋ゼミはとっても楽ちんでたのしいに尽きる。単なる聴講者として毎回誰かの発表と内田先生の面白い講義を聞いて、すごく勉強した気分になれて、お得なことこの上ない。ところが、いよいよ自分に担当が廻って来て(ゼミ生である以上誰も逃れられない 1.5年に一回くらい廻ってくる)、発表する側になるとこれがたいへんで、もがき苦しむ日々が数週間続く。できません!と途中で逃げ出したくなり、なんで自分はこんな難しくてしんどいことをやってるんだろう、合気道だけやってればいいのに、来年こそはもうゼミやめよう、と発表準備中は毎度心に誓うのだ。が、もがき苦しみながらも何とか形にして、発表を終えてしまうと、これが不思議なことに、やり終えた達成感や解放感とともに、「やったらできるやん私」的なある種の全能感に包まれて、次年度のテーマが発表されると、次は何にしようかな、この調子で勉強を続けようかな、などと思ってしまうのである。ま、単なる自己満足と錯覚なので、三日もたつとすっかり元に戻るのだが。

この感覚は、山登りに近い、と夫が言っていた。確かに。山登りの感覚は私にも経験がある。登っている最中は苦しくて、なんでこんな危険で大変なところにきてしまったんだろう、二度と来るまいと思うのに、登り終えると次は装備にあれをもってこようなどと考えている。そんなことをするのは人間だけで、動物は絶対しないだろう。そんなこんなで、もう7年、4回目を終えたわけであるが、やっぱりしんどかった。そして今また不思議な錯覚のなかで、来年のテーマについて考えたりしている。
なんでもそうだと思うが、限界を超えると、新たな地平が見える、もんである。

合気道には日々発見がある。
合気道も私をいろいろな限界に連れて行ってくれる。
「心の研究をする者は体の研究をし、体の研究をする者は心を研究しなければならない」
と昨夏のラスぺチアで多田先生は仰った。

これまでは順番が廻ってきてやむを得ず、だったが、今回初めて自分から手を挙げた(そしてもちろん途中で後悔した)。
すでにアメリカ先住民について発表された方の後を受けて、しかも今期の最終回というハードルの高さだったが、思い切ってやってよかった。
「アメリカ先住民」のことを、私はこれまで何も知らなかった。
「自分が何について知らないか、を知ることが、知性の働きである」@内田樹
知らないことが多すぎる。

ゼミの打ち上げの席で内田先生が話された「大事なこと」に今もやもやしている。
まずは『私家版 ユダヤ文化論』内田樹著
を読み直す。
私にとっては合気道も寺子屋ゼミも、たのしくて時に苦しい「修行の場」なのである。

岡田君里帰りの巻 5/21土

東京から岡田君が2日間、清道館に「里帰り」。
彼はもともと神奈川の出身で、清道館で合気道を始めた。
出身地に転勤で戻ることになり、今は月窓寺や青楓会で稽古を続けている。
その岡田君が、週末、清道館に稽古しに、東京からやってくる。
我々にとっては「里帰り」なんである。
初段に昇段した岡田君に、お免状と黒帯を、私の手で直接渡すことができた。
青楓会の東沢さんにその役目をお願いしないといけないと思っていたところ、本人が来ると言う。
師匠の気持ちがわかる奴だ。うんうん。

というわけで、土曜日の中津。
久しぶりに岡田君と稽古したい!というメンバーが、いつもよりたくさん集まった。

日中の凱風館の内田先生の稽古は肩取りだった。
稽古中、スパークするものがあった。
それは、自分ひとりで思いついたわけではなく、このところ続いた、守さんや甲野先生の講習会で教わった理合やアイデアと、自分がなんとなく考えていたことがぱーっと繋がった、という感じ。
守さんも甲野先生も、講習会で教えて下さるのはどれもすごい技や理合なのだが、もちろん合気道ではない。
合気道にも通じそうなアイデアが毎回繰り出されるが、全てがすぐに使えるとは限らない。
たぶん、私に限らず合気道の人たちはみなそうだと思うが、合気道を通して咀嚼し直して初めて、そのアイデアや理合が「わかる」。
めんどうだけど、仕方ない。
内田先生の稽古中、そういったものがいくつか、パチパチっと繋がった。

さっそくその後の清道館で、内田先生の稽古の復習を兼ねて、それらを肩取りで試してみる。
こんなふうに、内田先生の稽古で「これってこうじゃないかな?」と思いついたことを、すぐ後、自分の稽古でみんなを動員して試すことができるなんて、本当にありがたいことだ。ご協力ありがとう!と言いたい。

肩取りの足捌き 入り身転換で内側に捌く
肩取り入り身投げ 内側に捌く→下段に切る→裏に入る→転換→投げる
甲野先生の不思議な入り身投げ、守さんの「かかと重心」と、ここのところずっとやってきた多接点少圧力、腰の回転&体軸の移動。
これらが全部、今のテーマ「一本足」に繋がった。

相手の左右のバランスを崩して一本足になった瞬間に仕事する。
相手をどう一本足に導くか。当然、小手返しも、一教も、四方投げもたぶん同じ。

入り身投げでは、相手の顔を横または上に向けて二の腕につける。
これも難しいことに、一本足にしてやろうとか、顔を横にむけてやろうとか、バランスを崩してやろう、などと意図的にやってもできない。
いかに、動きの中で、気の流れに巻き込まれる中で、自然に圧なくやるか。

そのために使う様々なメタファー、例えば、「向こうにブラックホールが空いていてわーっと吸い込まれる」とか、多田先生の「アイスクリームをスプーンですくう」といった、喩え、物語の中に、いかに自分を騙して投じることができるか。
甲野先生いわく、その演技力、芝居力がものをいう。
そうだ、メタファーを提示できないと、自分の身体も「騙せない」し、みんなにも伝わらない。

内田先生の二部の稽古が正面打ち小手返しの返し技だったので、インスパイアされて、後半は返し技をやってみる。
今日は土曜日だし。

肩取り一教からの返し技で一教 返し技をする時の足踏みの変化が要
肩取り入り身投げからの返し技で
 裏へ入って小手返し
 上段で入り身投げ(下段でも可)

稽古の後は岡田君を囲んで、いつもの「いこい」で「おかえり~!」の乾杯。
今日も少し飲み過ぎたようだ。

代稽古 稽古日誌をアップしました

井上がヨーロッパに遠征中の10日間の間、3月に初段となった4人に、代稽古をしてもらうことになった。

内田先生に3周年のご報告と御礼のご挨拶をした際、
「代稽古を頼めるようになることが、道場として、最初のステージクリアだね」
と仰った。

代稽古すること、先生の代わりとして稽古を主宰し指導することが、どれだけ勉強になるか。
それは、私自身が身を持って経験してきたことである。
これをみんなにも是非、経験してもらわねばならない。

代稽古の稽古日誌を書くことを、今回の4人には宿題として課させてもらった。
4人がそれぞれに悩み、考え、単なる私の代わりというのを超えて、創意工夫して稽古を主宰したか、プレッシャーにもがきながらも、任された場を責任を持って成し遂げ、どれだけ成長したか。
本人たちの了承を得て、あえてノーカット、ノー編集で全文をアップします。

これを機に、今後も機会を設けたいと思う。
代稽古する助教の制度を、凱風館内田先生のやり方に習い、準じたいと思います。
みなさん、代稽古してくださってありがとうございます。
彼らを応援するべく稽古に参加してくれた、仲間思いな清道館メンバーにも感謝します。

もちろん、お付き合いで参加した門人はいないと思う。
なにより私自身、凱風館の他の助教の先輩、後輩のみなさんのお稽古に参加することは、毎回ものすごく勉強になる。
同じ師匠に習いながら、各人それぞれに全く違う受け取り方があり、出力が変わるのが面白い。
みなそれぞれに、日々研究をされているということがよく分かり、大きな刺激を受ける。
みんなもそうであるに違いないと思う。
代稽古は、指導する人も参加する人も、互いが学び合い、刺激し合えるよい場だと思う。

最後になりましたが、この場を借りて、私が不在の間、弟子たちの稽古にご参加くださった凱風館の皆さまに、心より御礼申し上げます。

3/31(木) 石橋 指導:森川

審査のあとさき
                               森川祐子

去年の1月のことだから、もう1年以上前になるが、突然気付いた瞬間があって『稽古を重ねることによって、細胞レベルで分かることがあることに気付いた。だから、やっぱり稽古するしかない。(中略)何度も何度も稽古したら、もしかしたら原子レベルで分かることもあるかもしれない。今はへたくそだけど、もしかしたら“分かる”だけじゃなくて、“知らん間に勝手にできた”“動けた”と思えることもあるかもしれない。わくわくしてきた』と、この「みんなの部室」に書いた。書くだけではなく、ほぼ皆勤でお稽古に出たし、私なりに精一杯励んだつもりだった。そうして臨んだ去年3月の2級審査と9月の1級審査。“動けた”にはほど遠く、実はあまり気持ちのいいものではなかった。なんでかな? まだまだお稽古が足りへんのかな? 出稽古もせんとあかんのかな?

そんな私の葛藤をよそに、月日が流れ稽古数が足りて、先生からお許しが出て、3月の凱風館合宿で初段審査を受けることになった。ほんまに受けてええのですか? 膝の調子も芳しくなく、審査中に膝崩れが起きたらどうしよう・・と不安ばかりが募っていた。

でも、いつだったか定かではないけれど、初段審査を目指す中で、ふっと分かったことがある。3月の時も9月の時も「これだけお稽古してるんだから“動ける”ようになっているハズ」と思っていたな、と。全く驕った思い違いだった。それは、稽古の多少の話ではない。つまり稽古の「数」が足りないのに云々という話ではなく、そんなことは先に思うようなことではない、ということ。そんなふうに思うこと自体がすでに執着だった。“知らん間に勝手にできた”“動けた”なんて、あとで“ひょっとしたらあれがそうだったのかも知れない”と思って一人笑いがこみ上げてくるようなことに違いない。

それからは、ある種の諦観ーと言えばかっこ良すぎるけどーが生まれた。今の私はこれ。それ以上でも以下でもない。やっぱりダメだなあと思ったり、前よりはええんじゃないかい?と思ったり・・。決して「平常心で初段審査に臨んだ」なんてええかっこは言わない。十分ジタバタしたし、必死にもなった。それでも『だから、やっぱり稽古するしかない』は言い方を変えれば、『稽古したことしか出力できない』のであり、さらには『どのように稽古したのか?』が問われるということなのだと思ったから、体が動かなくても諦めがついた。だから、もっと稽古するしかないねん、稽古の仕方考えんとあかんねん、と思えるから。

もうひとつ初段審査を目指す中で気付いたことがある(ほんと、審査っていろいろ気付かされる)。

私はずっと「指に力が入り過ぎ!」「そんな力いらんよ!」と言われ続けている。決して好戦的、攻撃的な人間ではない(つもりだ)けれども、力を入れずにしっかり密着する、というのがどうも苦手で、ずっと悩んでいる。でも、はっと思うことがあった。38年間に及ぶ会社人間のとき、いつも外へ外へ出力し続けてきたな、と。自分の内に向かっていくことは文字通り内向的であって、あまり喜ばれることではなかった。

この気付きには、今受けている「認知運動療法」も影響している。先にも書いたように膝の具合が悪い私は同門の松本さんから認知運動療法を受けているのだが、この療法はまず、自分の体の各部位がどんな働きをしているのかということに私自身が耳を傾けるところから始まった。どうせお前には無理でしょ、と決めつけていた「左ひざ君」が黙っていた(黙らされていた)だけであり、実は他の筋肉や関節やらの助けを借りればもっと冗舌になり、生き生き働き出すのだ、と松本さんに教わって、私は“自分の”「左ひざ君」に目を向けた。そうして「ダメな奴」ではなく「やれることが一杯あるがんばっている奴」と思えるようになった。

「思い込み」という鎧の内に押し込められた「無口な、中身の自分」に目を向け耳を傾けたら、「これまで見えていた、聞こえていた(つまり認知していた)自分」とは違うものが「認知される」。「左ひざ君」だけでは頼りなくても、回りを巻き込むことによって力が倍増三倍増される。同様に、取りである自分だけではなく、受けの力を味方につけたら、大きな力の固まりとなってどこへでも「一緒に」(ここが大事なのではないかと思うのだが)飛んで行けるのではないか、とそんなことまで考えた。そして、つい入りすぎてしまう「自分の力を抜く」のではなく「相手の力の声を聞いてみよう」と視点を変えたら、いつか力を抜くこともできそうな気がする。まだ少しだけど。

さあ、「そんなこんな」な日々のなか、審査の日を迎え・・・そして、終わった。今、はっきり思う。審査なんて、ひとつの通過点にすぎない。でも、この通過点は「通って良し」と先生に言われたが最後、ここに至るまでの自分の、自分でも気付かなかった「無口な、中身の自分」をさらけ出さなくては通れないような、シビアな通過点なのだ。審査の日は、“この”ビール好きな私が早々に切り上げて布団に潜り込み泥のように眠る、ぐらい疲れ切っていた。

審査が終わっても、まだ何も終わっていないように感じていたのは、井上先生渡欧修行中に課せられた、私にとって初めての“代稽古”のせいであったことも確かだ。上に書いたような、審査前に感じたことの必然的な結果として、“代稽古”の主題はすんなり決まっていた。「受けを感じる“取り”・取りを感じる“受け”」。あとは先生から教わった百・千・万の言葉から、この主題を稽古しやすい言葉を選び出さなければならない。

3月31日石橋の道場にて18時から私の代稽古は始まった。

参加は、松本・佐藤・菱田・矢野・趙・本田・神田・柴田(敬称略)の8名。

・体操:ていねいな呼吸を心がけて。「緊張と弛緩」のとき「左足首から先のみ
緊張させて・・」というようにパーツ毎に分けて行った。これは先の凱風館合宿で経験して興味深かったから。
・呼吸法
・四方切り
・受け身、膝行(前後)途中で転換
・二人で向かい合って呼吸合わせ(受けは佐藤君に頼んだ):最初は合わせて、慣れたら陰陽で。3回相手を変えて行った。3回目はもっと離れて。

[逆半身片手]

ここで、今日のテーマは「受けを感じる“取り”・取りを感じる“受け”」と伝える。

・通り過ぎて一直線:接点を大切に。
・完全に通り過ぎて、そこにふわっと落とす:とにかく接点を大切に味わって。

  • 90度の入り身転換。取りは受けの腕の上にふわっと腕を載せる。相対する
  •  :大きな球体。動きの中に巻き込む。
     :入り身転換の足捌きをていねいに。

    以下、全て90度の入り身転換から入る。そのときに二人で作った球体をこわさないようにしながら、その先の技に進むこと。

    ・上段に切って、裏に入って入り身投げ
     :上段に切る前に、取り受け共に相手の腕の感触をよく味わうこと。
     :前足の踏み込み。

    ・上段に切って、表に入って一教/表:同上。受けの脇下を気持ちよく伸ばす。
    ・上段に切って、裏に入って一教/裏:同上。
    ・下段に切って、裏に入って入り身投げ:ガツンはだめ。接点最後まで大切に。
    ・下段に切って、表に入って入り身投げ:同上。
    ・ふわっと手刀でパスして、四方投げ。
    ・全員で自由技:取り手は逆半身片手。できれば、今日やった技を混ぜて。
    ・全員で呼吸合わせ

    ポイント

    • 今日集った8人が呼吸を合わせ、接点を大切にするところから始め、あとは取り受けの二人で作る世界(球体)をこわさないこと。
    • 90度の入り身転換の足捌きはきっちり行うこと。
    • 転換後の前足の踏み込みは、しっかり深く、方向は自在に行うこと。
    • 以上の3点に集中する。なので、技の手順の説明はほとんどしなかった。でも、先輩がちゃんと教えてくれていた!

    ・「パーツごとの緊張と緩和」「陰陽の呼吸合わせ」「全員で自由技」のみっつは必ずしようと思っていた。

    終わってから
    テーマがちゃんと伝わったのかどうか、怖くて聞けなかった。趙さんが「二人でする呼吸合わせが面白かった」と言ってくれたっけ。「二人で作る世界」と連発していたら、なんだか昭和歌謡みたいだった。自由技でみんな楽しそうだったな。趙さんに「腕がらみもどき」が生まれたときは、みんなでやんやの声援だったな・・・と、ここでやっと一区切りついた「私の初段審査のあとさき」。

    3/30(水) 中津 指導:松本

    3月30日 稽古日誌
    3月30日の代稽古では、普段自分が稽古をしていて「館長の言われていることは、もしかしたら身体のこの部分、この反応を使っているんじゃないかな」と考えていたのを補足(自分の考えと断って)説明しながら行いました。
    準備運動後の稽古では、技別にテーマを設定して、そのテーマや技が持っているだろう型の感触がわかりやすい取り手で、稽古しました。
    余計なことを言ったかなぁと思い反省するところもありますが、館長のおっしゃっていることを自分でかみ砕き、咀嚼して皆さんに還元しま(と思いたい)した。わたし自身は、代稽古で教えながら館長がそばにいるような感じになり、不思議に身体の動きが洗練された体感があり、楽しく稽古することができました。ただ、3日ぐらい前からかなり緊張していたので、その緊張が皆さんにも伝わって、内容も含めて稽古がつたないものになってはいないかなぁと思っています。
    佐藤さん、森川さん、(岸本さんの代稽古は受けていません、すみません)と自分の代稽古を経験して。
    三者三様で、それぞれが、それぞれの仕方で清道館の稽古を自分のものにしていることがわかりました。一人一人が違う、多様性。井上館長、弟子達は未熟ながら館長の言葉、身体、呼吸からそれぞれの形で、合気道を身に付けていっています。それは、興味深いと同時に、少しずつではあるがお互いが成長していくことを垣間見られた感動でもありました。
    あらためて、井上館長の清道館に入門して、三年間続けてこられたことに感謝いたします。
    準備運動
    +肩甲骨の連動の実感方法 胸骨・肘と肩甲骨の連動を体感し、肩甲骨の落ちる感覚を「み」てもらう
    +足の指のストレッチ
    基礎練習
    ・受け身 前受け身 後ろ受け身
    ・膝行  前 後ろ 途中回転
    ・転換の足捌き
    ・剣の振り +手ではなく足から生えて振る感覚を「み」てもらう +非対称性頸椎反射の説明
    1入り身投げ
      ・方手取り ・諸手取り(上段・下段の2種)  +対称性頸椎反射の説明
       「入り身の入りやすさは、起こる前からすでに一体になっているイメージ」
    2四方投げ
      ・逆半身  ・横面打ち
       「相手の慣性を回転で活かす」
    3一教
      ・立ち正面打ち   ・座技正面打ち
       「同時に起こる 押し切り・引き切り」

    3/27(日) 阿波座 指導:佐藤

    ○日時・場所
     3月27日(日)15時~18時 西スポーツセンター
    ○参加者:藪内さん、松本さん、岸本さん、田中(ゆ)さん、大門さん、川住さん、小谷さん、井村さん、飛田さん(9名)
    ○稽古内容
    1.体操、呼吸法、呼吸操練、四方切り
    2.剣杖(素振り、左右に回して素振り、前後に素振り)
    2.転換(4番まで)(受け:井村さん)
    3.ランダム転換(4番まで)(受け:井村さん)
    4.正面打ち、入り身に入る(受け:小谷さん):受けはしっかりと打ち込む。取りは受けの打ち込みに対向しない。まずは剣線を躱すことが大事。そのための足捌き。
    5.入り身投げ(受け:小谷さん):手刀を重力に任せて斬る。筋力由来の加速度は各人各様だが、重力加速度は全ての人に共通しているので違和感を感じない、という自説を無謀にも披露。
    6.気の結び(受け:田中(ゆ)さん):手刀が合ったところから接点を保ったまま自由に動く。受けは細かくついて行く。取りは途中で左右の手をバトンタッチしてもよい。相手、自分、そして場に対するリスペクトが大事。
    7.小手返し(受け:田中(ゆ)さん):気の結びを重視。手刀を重力に任せて斬り、受けを誘い込む。
    7.内回転投げ(受け:大門さん):受けは当て身に反応し、空いている方の手で身を守る。当てられっぱなしにしない。相手の頭を下げるために、本気で畳を触りに行く。
    8.四方投げ(受け:大門さん):手刀をガチッと当てない。相手の手刀を自分の懐に呼び込みながら合わせ、斬り下ろす。
    9.天秤投げ(受け:大門さん):四方投げ→天秤投げのつながり、肘を曲げない。遠くを見る。投げるときは親指を下に。
    10.一教(受け:川住さん):相手の肩甲骨を動かしてあげる。そのために脇腹を伸ばしてあげる。
    11.三教(受け:岸本さん):(まずは一教。三教でも相手の肩甲骨を動かしてあげる。そのために相手の手先から肩甲骨まで繋げてあげる。)
    ○所感
     前日の岸本さんの代稽古が面白かったです。普段は慎ましい人ですが、ご自身の考えをしっかり説明される姿勢に接することができ、とても勉強になりました。
     今回の稽古を準備するにあたり、当初は「自分ができること」を中心に考えていましたが、そのレパートリーが少なすぎて、ほどなく行き詰まります。
     先日の合宿での宴会で内田先生と井上先生から伺ったことを思い出し、「(何をやってもいいんだったら)むしろ自分が苦手に思っていることをやってみる」ことにしました。
     ただ、苦手なことばかりやると稽古全体がトーンダウンしそうなので、数カ所盛り込む程度に。
     もうひとつ。思い切って自説や信条を言い表してみました。リスペクト云々は、イタリアで強く感じたので、いつかお話ししたいと思ってました。
     スケジューリングが甘く、一教が終わった時点で17時45分。ただ、三教(苦手の一つ)を是非やりたくて無理にねじ込み、ギリギリまで時間が押してしまいました。
     皆さんのご協力のもと、無事に稽古を終えることができました。
     振り返ると、言いたかったことの半分も伝えられませんでした。自分で説明をしながら、「本当に下手だなー」と思いました。恥ずかしい限りですが、そのぶん多くのことを考えることができました。
     ありがとうございました。

    3/26(土) 中津 指導:岸本

    3月26日代稽古(岸本)

    準備体操。

    受身の練習。
    膝行の練習。
    転換など1番から4番。
    正面打ち一教。
    正面打ちニ教。
    片手取りすみ落とし。
    「代稽古を終えて」
    “断定して言うこと。間違っていれば後日ごめん違ってたって言えばいい。”
    この言葉は合宿の時に初段審査を受けた清道館メンバーが内田先生から頂いたアドバイスである。
    これを聞いたとき、“やっぱり!そうだよなあ。”っと心の中で思ったものである。
    自分の中で100%確信がなければ、人に断定して言えない性格の私はこれがなかなかできない。
    しかし、代稽古していてこんな自信なさげにやってたら稽古に来ている門人を路頭に迷わしてしまうと心底感じた。
    稽古の進め方、説明の仕方、反省点はいくつもあるが、“その動きはそうだったんだと思った”と言ってもらえて少しは役に立ったかなと嬉しかった。
    普段、自分がリーダーシップをとって何かをするという事がないので、凄くいい機会を頂いたと思う。
    これからは、今まで受身で稽古を甘えてしていたなと感じたので自分でいろいろ発見できるようにしたい。

    4/21(木) 石橋

    石橋商店街のアーケードの屋根をたたく大雨。
    石橋のクラスを始めて、六月で一年になる。

    今日は8人。
    このところようやく石橋も安定的に人が集まるようになった。
    内田先生によると8という数字がキーワードらしい。
    8人いれば稽古が成り立つ。
    4人ずつの掛り稽古もできるし、二人ずつ組んでも4組。
    少なすぎず多すぎず、石橋北会館の広さに丁度よい。
    畳にして35畳ぐらい。
    神戸女学院の岡田山ロッジの道場と、広さも、縦横のバランスが同じなので、先生の仰る意味が実感としてよくわかる。

    雨の音と、会館の西側を流れる川の音に耳をすませて、安定打坐、稽古が始まる。
    ここは本当に「気」の流れがいい。
    大きな声を出さなくてもよく通る。
    石橋での呼吸法は格別だ。

    定番の足捌きは1番、2番A/B、3番Bまで
    剣 中段に振る 足を出して切る/引いて切る 
      上丹田で回す 足を出して/引いて どちらも自在にできるように

    合半身片手

    裏に入る 
    下段/上段の入り身に入る脚の稽古
    入り身投げ 下段/上段 転換
    小手返し 下段
    入り身投げ 上段 転換なし

    表に入る
    上段/下段の入り身表に入る脚の稽古
    入り身投げ 下段 表に入り転換なし 足を引く/引かない
    一教 上段 

    腕がらみ
    上段 表に入る/裏に入る 手刀

    四方投げ

    角落とし 表 上段一教から

    4/20(水) 中津

    火曜日の凱風館の、米山君の稽古がおもしろかった。
    「のる」稽古。四方八方から受けが取り囲んで、どんどんかかっていく。
    多田先生も時々、この「のる」稽古をされる。
    トランスに入る、無になる、三昧境に入る稽古だ。
    相手に囚われていてはのることはできない。
    また技の手順に囚われていてもできないので、初級の者には多少難度が高いかもしれないが、細かいことはまた別の機会に丁寧に稽古するとして、こういうときは気にせずどんどん「のる」感覚を養い、その楽しさを体感してほしい。
    上級者もこういう稽古の時は、初級者の細かいところをいちいち止めて直すことはあえてせず、間違ってもよいからできるだけ止まらず何かやる、動けることに配慮して指導してほしいと思う。

    五方向の転換
    また、ここでも大事なのが、最近のテーマであるところの、「ブラックホールに吸い込まれる」。
    この喩えは甲野先生の教えでもあるが、私自身も以前に使ったことがある。
    「身体を道具的に使ってはいけない。身体を道具的に使うと、腕や手を動かすことを目的としてしまう。手や腕と言った目に見えるものを動かそうすると、その部分だけを動かそうとする、この時体幹は使えない。目的を身体の外に、見えないものに置く。見えないことをやろうとするとき、人は無意識に全身を動員する。もっとも合理的に無意識に全身を動員して、結果強い力が通る。その見えない目的の遂行途中に、たまたまタカミー(受け)の手があるだけ」 
    内田先生の朝稽古で仰ったことをまとめるとこんな感じである。
    内田先生も甲野先生も同じことを言っている。

    この、「自分をだます」ことに、どれぐらい本気でリアリティをもって、そこに自分を投じられるか。
    その「演技力」にかかっている。
    気の流れという見えない大きな渦が、手の先に開いたブラックホールに吸い込まれる、それに受けと一緒に巻き込まれていく。
    どれぐらい大きく強い渦を作ってどれぐらい本気で吸い込まれるか、演技力と想像力がものをいう。

    合半身方手取り
    「入り身に入る」ところまでを繰り返す運動、のる。自分の場を作り主宰する。
    入り身投げ 四方から掛り稽古
    小手返し 四方から掛り稽古
    「四方投げ」表は回転、裏は転換回転までを繰り返す運動
    四方投げ 四方から掛り稽古
    呼吸投げ 腰だけを回転して手を上から、歩み足を解放する
    一教の、固める前までを繰り返す運動
    一教

    入り身投げの返し技で入り身投げ 裏に入った相手が転換したところで相手の裏に抜ける
    入り身投げの返し技で一教と三教 同じく

    天秤投げ

    審査、合宿、ローマ、パリ

    一カ月以上、ブログを更新しておらず、各方面から苦情が出始めて、重い腰をやっと上げる。
    3月以降、いろいろありすぎて逆に書けなかった、というのは言い訳です、すみません。

    審査。
    清道館の進級審査をいよいよ自分でやることに。
    凱風館の審査人数が半端なく多い上に審査日が少なく集中しすぎて、内田先生からやんわり「そっちはそっちでやってくれ」的な圧力が、ではなくて先生から「自分で審査するのは勉強になるよ」と以前から言われていたから。
    凱風館ではなく、しかも私がやるとなると、みんな気を抜くのではないか、という不安があった。
    凱風館の大勢の前での内田先生の審査と、実際どう違ったのかはわからない。

    どんな状況での審査であれひとつ言えるのは、稽古は決して裏切らないということ。
    裏切らないということはつまり、稽古の質と量がそのまま良くも悪くも表面化するということだ。
    だがそれは審査を受ける者だけの問題ではない。

    合宿での昇段審査のあと、内田先生が仰った。
    審査では、教えている側が試される。
    つまり審査を受けるみんなを指導している私の方が、私自身の稽古の真価が審査される、ということだ。

    そのとおり、進級審査にも昇段審査にも、それははっきり出ていたと思う。
    怖いことである。たいへんに重いことである。
    なので申し訳ないが、門人たちの審査を「よかった」などと言ってくださるのは他人さんだけなのである。
    とにかく進級した者が5名、初段になった者が4名。
    自分の門人が初段になることの責任の重さ。
    合気道は初段から。初段ぐらいで合気道の何かがわかった、などと思う門人はいないと信じる。
    彼らと共に精進していく覚悟を決める。

    複雑な思いを抱えたまま、合宿が終わるとすぐにヨーロッパへ。
    ローマとパリで、多田先生の講習会。
    春に多田先生の欧州での講習会に参加するのは初めてである。
    ベルギーのテロ直後、その影響か飛行機が大幅に遅れ、ローマフィウミチーノ空港から講習会会場へタクシーで直行するも、スタートに少し遅れてしまった。
    多田先生に手短に挨拶してそのまま逆半身方手取り自由技の掛り稽古、ダニーロのグループに潜り込む。
    ローマ校外、ラウレンティーナの古い建物に、200人ぐらい来ているだろうか、見ると知った顔があちらこちらに。
    みんな来ている。
    稽古しながら目やハンドタッチで挨拶をかわす。
    一気にほぐれるものがある。
    体操も呼吸法もせず入ったが、投げ、投げられるうちに気持ちも体も一気に集中していく。
    多田先生のイタリア語のなつかしい響きに、長時間の飛行機の疲れも忘れてしまう。

    今回はローマで3日、パリで2日の多田先生の講習会。
    ローマが終わってからパリに移動するまでの4日間、ローマの同門道場をめぐることにした。
    多田先生の講習会が素晴らしいのは言うまでもないが、今回はこのローマ道場めぐりが予想以上におもしろかった。
    多田先生のイタリアのお弟子さんたちのうち、ローマで稽古場を持っている人たちがとても多い。
    入江さんに紹介してもらった道場も含めて、計4か所を毎日ハシゴした。

    ディオニーノ先生の合気禅の会(凱風館のキムさんルイジさんがイタリアで通っている)
    ルカのテルミニ道場
    マルコの万有合気道場
    京都入江道場に通っていたマルティナの望(のぞみ)道場
    この他にも、ロレンツォやアニエーゼもローマで道場をやっているが、曜日や時間帯が重なって今回は断念した。
    なんで来てくれなかったのと言われて誤ったが、次回は絶対に行ってみたい。

    というのは、どの道場の稽古もそれぞれにすばらしかったからだ。
    上から言うようで恐縮だが、本当にみなさんよく稽古されていると感じた。
    独創的に、しかし多田先生のメソッドを実に忠実に研究している。
    道場での作法もそれぞれに個性的でおもしろかった。

    ことに今回、印象に残ったのは、みんな決して恵まれた条件、恵まれた場所で稽古できているわけではないということ。
    我々と同様、みな場所の確保に苦労している。
    うるさかったり狭かったり、決してきれいとは言えない場所で、非常にクオリティの高い稽古をしている。
    うちなどは大阪市の施設を借りていて、色々と不便や不満もあるが、まだ恵まれていると感じた。

    パリの講習会には、昨年の秋よりさらに多くのフランス人が集まっていた。
    イタリア人たちはいつものメンバーが、やはり前回より多くローマから移動してきている。
    驚いたことにティシエ先生が来られていた。
    皆の稽古をじっとご覧になっている事が多く、技をまじえることは叶わなかったが、その存在感はさすがにすごい。
    ご挨拶だけしたが、穏やかで気さくな人柄にに多くの人が魅了されるのが分かる気がした。

    10日ほど外国に行って稽古しただけで、自分の合気道の何かが変わることなどない。
    だが、こう言ってしまうと身も蓋もないが、ただただ楽しかった。
    合気道の稽古は本来このように、ただひたすら楽しいはずだ。
    その理由を、帰って来てから考え続けている。

    佐藤君が私の留守中に代稽古をしてくれて、そのレポートを送ってくれた。
    その中に、「互いにリスペクトすることが大事」という言葉があり、はっとした。
    弟子に教えられるとはこのことだ。

    イタリアでもフランスでも、共通しているのではないかと思うことがある。
    稽古が互いのリスペクトに溢れている、ということだ。
    少なくとも私自身は彼らからいつも大きな敬意を感じる。
    それは、合気道の発祥の地から来た日本人だから、というだけではないと思う。

    誤解を恐れずに言うと、もし違いがあるとすれば、稽古する者同士の間にも、段級位や年齢、合気道歴や熟練の度合いに関係なく、敬意を払い合っているような感じが、日本に比べて強い、ということではないだろうか。
    いや、特に敬意を払うという意識はないかもしれない。
    敬意というより、誰が誰より上とか下といった「序列感」が日本に比べて、良くも悪くもヨーロッパでは希薄なのではないだろうか。
    例えば、掛り稽古の順番はいいかげんである。白帯が有段者よりどんどん先に出ても誰も気にしない。
    むしろ、白帯に先に出ろと背中を押すような高段者が多いのだ。
    また、良い悪いはおいといて、初級の人が技の手順に迷うような場面以外では、上級者が下の人に細かく教える光景を殆ど見たことがない。
    意地悪で教えないという感じではもちろんなく、単なる無関心ともとれるが、ちょっと違う。
    多田先生の教えを、各人が自分の「研究室」で「実験」するのを、相手が自分より初心者でも、たとえ見かねるほど下手でも、安易に手を出さない、その人の研究を邪魔しない、敬意を持って見守ろうとしている、という感じ。
    合気道のみならず、殆どの武道の稽古場で厳密であろう級段位の序列の感覚が、ヨーロッパでは日本ほど厳密に感じられないのは、彼らに儒教的なベースがない故なのだろうか。
    もちろん、ヨーロッパには階層的格差が歴然とあることは自明だ。
    イエローである我々も含め、肌の色も人種もさまざまだ。
    が、普通に海外旅行したら必ず感じるそのような階層的、人種的差別観を、畳の上で感じたことは一度もない。

    しかし、それはもしかしたら多田先生の講習会や稽古場においてのみ、なのかもしれない。

    そこでは多田先生以外に「先生」はいない。
    多田先生に対する絶対的尊敬、その非常に強い縦軸のもとでは、多田先生以外の人はみな同じ、多田先生に合気道を学ぶ生徒でしかない。
    多田先生の前では、段級位の上下、合気道歴の違い、上手い下手、年齢や性別の違い、あらゆる階層差がすべて一瞬でフラットになる。
    多田先生の、圧倒的な場を主宰する力のなせる技。

    多田先生は、合気道は「先の先」と仰る。
    稽古では自分が場を主宰し、相手と対等になってはいけないと。
    それは、相手より自分が上か下か、という意味の対等ではない。
    人として上か下か、級段位が上か下か、相手より自分が上手いか下手か、ではない。

    自分が場を主宰する。随所に主となる。
    とは、リスペクトにおいて自分が先手を打つことである、とも解釈できないだろうか。
    リスペクトされればするのが人情である。
    こちらが先に敬意を払う。
    相手に敬意を払ってもらったら払う、ではない。
    リスペクトにおいて「先の先」を取る。
    少なくとも私はイタリアやフランスで、彼らに先に敬意を払われた。
    そう感じるのは、ラスペチアやパリの講習会に行ったことのある方は頷いてもらえると思うが、私だけではないはずだ。
    「先の先」を完全に取られたのだ。
    まんまと乗せられて、だから彼らとの稽古が楽しくて仕方ない。
    日本でも稽古はできるのに、旅費と時間をかけてわざわざヨーロッパまで稽古しにいく。
    その理由のひとつが少しわかった。
    同時に自分の課題もみつかった。

    誤解していただきたくないのだが、決して日本での稽古が楽しくないわけでない。
    ただ合気道の稽古をするために懲りずに出掛けていく自分に呆れてもいる。
    その理由を少々自己分析したまでである。
    また、上級者が指導することを否定しているわけではない。教えることは上級者の義務。
    教えてもらえることがどれだけありがたいか、凱風館で教えてくださる先輩が少なくなって、そのありがたさを自分は誰よりも痛感している。
    あくまでも、どうすれば稽古場がより生産的にな学びの場になるか、誰もが「楽しくて仕方ない」ような稽古場をどうすれば主宰できるか。
    清道館をそういう場にしたい。そのための試行錯誤をやめることはない。
    そのためになら、どこへでも出かけて稽古しにいく。
    よいと思ったらなんでも取り入れる。
    それを教えてくださったのはほかでもない、内田先生であり、多田先生である。