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ドラマ「半分 青い」(@井上英作)

ドラマ「半分 青い」が終わった。ドラマ「半分 青い」は、今年前半の「朝ドラ」の題名である。取り付く島の多かったドラマだったと思う。その島について思うところを整理してみた。

①バブル

若い方はご存知ないかもしれないが、かつてこの国には、「バブル」という「瞬間」が存在した。しかし、その「瞬間」は、あっという間にあっけなく終わりを告げる。日経平均株価は、1989年12月29日に史上最高値38,957円44銭を付け、翌年から株価は下がり続ける。「失われた10年」の始まりである。極めて個人的なことだが、この1989年に、僕の中では、何か大きなものが失われた気がした。それは、僕が今でも世界一のアーティストだと信じて止まない、こだま和文率いるダブバンド「MUTE BEAT」の突然の解散と、俳優松田優作の急死が象徴している。その時の喪失感は、かつて味わったことのないもので、そのときの感じは、今でも生々しく僕の中に残っている。

そして、このバブルを経過した後、大きく日本は変わっていったように思う。それは、戦争に負けた日本が、戦勝国のアメリカに対し今度は経済という武器で復讐を試みるのだが、その結果、最終的にはアメリカに息の根を止められてしまったからだろう。僕は、本当の敗戦は、この1989年だったのではないかと思っている。そのことのショックがあまりに大きかったのか、このバブルを検証した文献や文学がどうして存在しないのか、僕には不思議だったのだが、ようやく30年の時間を経て、ぽつぽつとバブルと向き合うようになってきた。本作においても、脚本の北川悦吏子が、ほぼ同世代ということもあり、かなり正確に当時のことを描いている。特に印象的だったのは、正人とディスコに遊びに行こうとする、律のファッションで、当時の時代の空気感が見事に描かれていた。

来年で、「平成」という時代が終わる。「失われた●年」という言い方は、あちこちで耳にする言葉だが、「平成」という時代そのものが、失い続けた時代なのかもしれない。北川悦吏子は、本作を「平成」という時代へのレクイエムとして、執筆したのではないだろうか?だから、この作品を2018年に放送することには、とても意味のあることのように思える。

②故郷

寺山修司は、映画「田園に死す」のなかで、子供時代の故郷について、劇中「これは、すべて嘘である」と言い放ち、観客を挑発した。つまりは、過去というのは、創作された物語に過ぎないというわけだ。人は、自身の過去を、自分の都合の良い過去に書き換えてしまう。どうやら人間とは、そういう生き物のようだ。

主人公スズメと律は、同じ日に生まれ、高校を卒業するまで、仲間たちと楽しく岐阜で過ごす。その仲間とは、男二人に女二人という構成で、学校の帰りには、たまり場の喫茶店で、お好み焼きを食べながら、恋愛や将来について語り合う。僕は、そんな前半の岐阜でのシーンを、自分の学生時代と照らし合わせながら観ていた。僕は、そんなシーンを懐かしいというよりは、羨ましく思いながら観ていた。なぜ、羨ましかったのか?それは、現実には、おそらく存在しないからだ。確かに、僕たちも、土曜の午後、学校の近くのお好み焼き屋で、たこ焼きを食べながら、あるいは、無料券を片手に「王将」で餃子を頬張りながら、よく延々とバカ話をしたものである。ただ、そこには、女子の存在は皆無で、いつもそこにいたのは、むさ苦しい男連中だった。男女のグループがなかったわけではないが、思春期の子供たちが、まったく、異性としての女性を気にせず付き合うことなど、到底不可能だった。そう思うと、本作における「岐阜」は、「そうあってほしかった過去、場所」ということなんだろうと思う。

一方、「そうあってほしい過去、場所」に対し、「東京」では、果てしなく冷徹で非常な現実が待っている。漫画家を夢見て上京したスズメだが、デビューを果たすも、自分の才能に限界を感じ、漫画家をやめる。その後、結婚した相手に捨てられ、シングルマザーとなる。再度、上京を果たすが、勤め先の会社経営者津曲に夜逃げされる。

この作品が、単なるご都合主義や陳腐なサクセスストーリーに陥らずに済んだのは、この「東京」を冷徹な態度で描ききったからこそ、その対比として、甘美なまでに虚構としての「岐阜」を際立たせたことによるものだと思う。

③死者の存在

最後にこのことが、僕を最も魅了したことだ。この作品では、風吹ジュン扮する、スズメの祖母のナレーションが、物語を進行させていく。もちろんこの祖母は、すでにもうこの世には、存在しない。ただ、あたかもそこに存在しているかのようにナレーションが毎回繰り返される。

物語では、スズメにとって大事な人たちが、次々に亡くなっていく。祖母、祖父、律の母、そして親友のユウコ。

本作の最後の方の回、「マザー」(スズメと律が開発したそよ風扇風機)のお披露目のスピーチで、スズメは「私たちは、生と死の境界線のようなところで生きていて、死者は、そのすぐ傍にいつもいる」というようなことを言う。僕は、この考え方を支持する。

北川悦吏子自身も、病と向き合いながらの人生のようで、そんな彼女にとって、死の存在を身近に感じていたことは、想像に難くない。

ある時、僕は暇に任せて、自分にとって大事な人たちについて、何か共通点がないかどうか考えてみた。考えてみて、自分でも想像していなかったことに気づいた。彼らに共通していたのは、死者の存在を信じているということだった。僕は何もオカルトめいたことをいっているのではなく、目に見えないものを感知し、信じることは、人にとって最も重要な要素だということだ。宇多田ヒカルの名曲「道」の歌詞「It’s a lonely road But I am not alone」といったところだろうか。

みんなの部室投稿「水辺」菱田伊駒

「水辺」 菱田伊駒

その日は、外に出てぼんやり過ごしていた。最近、梅田で再開発が進んでいる地域には、緑が植えられ、人工の川が流れ、近くにベンチが置いてある場所が増えた。パラソルで出来た陰のあるベンチに座り、水遊びをする数組の親子を眺める。幼稚園くらいの子どもが2~3人、水をかけあって遊んでいる。

小学校低学年くらいの子とp4c(※「p」hilosophy 「f」or 「c」hildren=こどものための哲学)をやっていると、慣れてくるといきなり背中に飛びかかってくる。あるいは肩にぶら下がってきたり、コミュニティーボールを投げつけてきたり、人のボールを奪い取りにいったりする。周りにある道具を触ったり転がしたり、上に乗ったり、箱であれば中に入ってみる。最後の方は、みんなでとっくみあいになって、ふとした拍子に頭をぶつけて、泣き出してしまったりする。

子どもたちと接していると、人や物との関わり方の直接的な面白さを感じる。もっと小さいと、なんでも口にいれてみたりする方法があるのだろう。鼻の中にビーズを入れたまま何日もたって、病院に行って取り出してもらった男の子の話を思い出す。

今の自分は、そういうことをしようとは思わない。それは、経験を積んだ人間であることの1つの証拠だろうか。

みんなの部室投稿「代稽古」菱田伊駒

「代稽古」菱田伊駒

ここ最近、合気道の稽古が楽しい。稽古に行くと人がたくさんいて、話をしたり技をかけあったりする。他の人がにぎやかに喋っているのを心地よく聞けるのは、珍しい機会だと思う。道場には、日常とは違った時間が流れている。

 

昨日の稽古は、K先生が海外遠征中のため、M本さんの代稽古だった。稽古をしていると、上手くいくこと、上手くいっていないことがそれぞれ感じられる。こういう時は、充実した稽古なのだと思う。上手くいっていない動きについても、この方向性で稽古していけばよいのでは、と課題意識を持って取り組める。自分が上達する予感がなんとなくあり、何度も動きを確かめてみたくなる。普段は、2回ずつ技を掛け合うところを、お願いして回数を増やしたり、スローで動きながら体にかかる力、形を確認した。M本さんの言ったことを実現しようと思うと、自然と丁寧な稽古になっていった。

上達する予感というのはなかなか貴重だ。初心者のうちは、とりあえずの動きをなぞるだけになってしまう。どちらかが上級者であれば、改善の方向を示すような声かけをしてくれる。初心者同士で組むと、二人ともわけがわからないという状態になって、見た目だけの動きをなぞることになりがちだ。「これでいいのだろうか?」という迷いが生まれる。お互いそう思っているので、ぎこちない技の掛け合いになる。それでも、どうしてよいか分からないので「難しいですね」などと、お茶を濁すようなことを言いながら動きを繰り返す。やはり昨日も、同じ繰り返しから抜け出せないでいた。

そういう時、M本さんが近づいてきて、手を添えて体の形を確かめてくれる。あるいは、一緒になって掛かり稽古をしてくれる。ある瞬間、自分の肩甲骨から手の平までがつながった感覚があり、「あっ」と思う。その時、M本さんもぼくの感覚が伝わったようで「うん、それでいいよ」と言う。この方向でよいのだ、と背中を押された気になり、安心した。